シテ1
シテ1
シテを歩くと、独立した都市機能を有していたことがわかる。城壁は二重構造となって、城壁間の人影のない石畳を散策する気分は爽快。カルカソンヌの町へは徒歩20分ほどだが、町は見るべきものがない。
 
シテ内にはインフォメーション、ホテル、レストラン、骨董品屋、ギフトショップなどがあり、約1000人が生活している。シテをすみずみまで歩いて時を忘れる。まさに至福のときである。
 
シテ2
シテ2
画像右が外側の城壁、左が内側の城壁。この道を幾度となく歩いた。
朝と夕方では景観がちがってみえるし、往路復路を逆方向に歩いても景色が変わってみえた。中世にタイムスリップしたとか不思議な感覚などとはいわない。
 
そういう陳腐でわけのわからない修辞とは異質な何かがこの道にあふれていた。中世に生き、中世を見た者は全員鬼籍入りしており、不思議という言葉も具体性を欠く。
 
それはもっと具体的で身近で、子供の頃ここで遊んだことがあるような懐かしさなのだ。シテの外壁は上ることもできるし、隠れ場所は迷うほどある。
 
過ぎ去れば夢のごとし。時間はまたたく間に過ぎてゆくが、夢の途中にいる私は夢のなかで旅をしているような気がする。子供のころ夢に出てきたお城や町を訪ね歩いているような錯覚にとらわれるのだ。
 
夢のなかには無数の空間や部屋があり、それらは色とりどりの糸でつながっていて、旅という糸が「思い出色」の組紐を織っているような気がしてならないのである。だが、夢ならいつかはさめる。夢からさめたとき、自分はどうなっているのだろうか。
 
コルド 民家
コルド 民家
コルド・シュル・シェルにはたった一泊しかしなかった。コルドの二つのホテルの内、グランド・エキュイエはすでに休暇中で、翌年5月まで閉館されている。
 
予約したオステレリエのアネックス(別館)も、私たちの宿泊した二日後から4月まで長い眠りに入る。それにしても私は、コルドを見たわけでもないのに、人口960人ほどの町だし、見所は半日で見終えるはずと高をくくっていたように思う。
 
バカな話だ、コルドは三日は滞在すべき町なのである。滞在は一日でも三日でも、立ち去りがたい気持は同じである。深い朝霧につつまれた町の全容を下の画像を撮影した丘から見るべきであった。
 
10月半ば、コルドの朝は凍えるほど寒い。厚い外套がほしくなるくらい底冷えする。だがそれが何なのか。深夜から明け方にかけて気温が急激に下がるから朝霧が発生するのだ。ところでこの家、赤いツタにおおわれている窓の部屋は「開かずの間」となっているのだろうか。
 
コルド 全景
コルド 全景
コルドを語ろうとするとき私はことばを失う。コルドは中世の石の塊そのものである。
コルドは素朴の意味を教えてくれる。こんなにも自然体で、優しく、溶けこみやすく、古くからの知り合いのような人々が住む町がほかにあったろうか。
 
そう思わせる何かがコルドには存在する。コルドは人々が神の手を借りて、いや、神々が人の手を借りてつくり給うた町なのかもしれない。そして、夢のなかに何度もあらわれた町なのだった。
 
いまも時々思うのだが、小高い丘の下半分が霧におおわれた朝の光景をみたかった。
その光景はまさしく空の上のコルド、天空都市コルドそのものであったろう。
ウィーン美術史美術館所蔵のブリューゲル作「バベルの塔」を連想させる風景であったに相違ない。
 
ヨーロッパには再訪したい町がいっぱいあって、いつもこころ悩ませる。
コルドとそこに住む人々。99年10月、私はそのすべてにこころ奪われ、はや7年の月日が過ぎた。
 
サルラ 何処へ
サルラ 何処へ
旅とは未知の世界への憧憬に憑かれておこす行為であると思う。
旅情を掻きたてられるのもある種の衝動からくるように思うし、好奇心の発露といってもよいように思う。
 
悲劇的ともいえる体験をへてなお生きてゆけるのは、好奇心を失わないからではないだろうか。好奇心を持ち続けているかぎり、人は希望を捨てないのではないだろうか。
 
中世の町サルラ・ラ・カネダ(SarlatーLaーCaneda)にはそういうことどもを考えさせて
くれる道がある。

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