プラハ1
プラハ1
あなたの町には母なるもの、あるいは父なるものを感じさせる風景‥山、川、丘、湖、建物など‥があるだろうか。あえて建物を挙げたのは理由のないことではない。エッフェル塔、エディンバラ城、サグラダ・ファミリアなどは、もはや単に町の象徴ではなく父母といっても過言でないように思える。
 
そういう意味においてプラハ城は父親なのかもしれない。こうした風景は町のどこからでも見えるようになっている。突然すがたが見えなくなることもあるが、すぐまたどこかからあらわれる。親とはそうしたものであり、いつまでも心の風景として私たちのなかにとどまるのである。
 
プラハ2
プラハ2
いまだにこう言う人がいる、「海外旅行するなら首都は見ておいたほうがよい」。
それはまるで出来の良くない教師の言いぐさである。時間がたっぷりあれば、あるいは、暇つぶしをしたいと思うなら、首都は見ておいたほうがよいかもしれないと私なら言う。
 
首都は政治経済の中心地であることが多く、人間と車がひしめいていて、排気ガスを胸いっぱい吸わされ、過剰と喧噪が容赦なく襲いかかり、いやされるどころか疲れるだけのことだからである。大きな美術館は首都にあつまっていることが多い。美術館目的なら首都もよいだろう。
 
画像はプラハのマラー・ストラナ地区。首都にも例外があって、プラハ、リスボン、エディンバラ、ワルシャワなどは旅のメインにしてもよいかもしれない。
 
天文時計
天文時計
からくり時計を見ていると、ぐるぐる回る人形がいまにも現れて、「君、私たちと一緒に夢の国に行ってみないか」と言われそうな気がする。
 
天文時計の人形は十二使徒なのにそうは見えない、そこがおもしろい。
人形の誘いを断るのは簡単であるが、もし相手が絶世の美女だったら、あるいは、歴史上の著名な人物であったら、ティツアーノやブリューゲルのような画家、シェイクスピアやモリエールのような劇作家であったら、迷うことなくついてゆくだろう。時空を超えて過去に遡る、それこそ私の望むところなのだから。
 
馬車
馬車
観光用であっても、馬車に乗る気分はちょっとしたものである。ほんとうは幌がついているものや、本格的な箱ものの馬車のほうが外から見られないし、にわか雨に濡れなくてよいと思うのだが、人は好きずき、衆目に晒されるのを好む方もいる。
箱も幌もなし、素寒貧のほうが視界も見晴らしもいい、観光馬車はそうしたものと割り切るほかない。でもやっぱり、箱ものに乗りたい!
 
馬車に乗るのは交通量の少ない町にかぎる。直線道路をひた走れば、けっこうなスピードが出て、待ちこがれた恋人との逢い引きを急ぐ色男の心境になれる。
反面、男がひとりで乗ると、よほど二枚目でないと、おのぼりさんとみなされる。
 
馭者のうしろの紅白のカサは雨用。こぬか雨ならともかく、本降りになって男ひとりカサをさす姿を想像すると‥。雨の日は、蛇腹の幌付き馬車に乗りたいですね。
 
カルロヴィ・ヴァリ
カルロヴィ・ヴァリ
カルロヴィ・ヴァリはカールスバート(独)の名でも知られるチェコ有数の温泉保養地。ベートーヴェンもここに来た。
 
カルロヴィ・ヴァリで昼食をともにした英国人は思い出すにつけ愉快な人たちだった。
当時(96年10月初旬)はユーロ実施前で、国によって通貨はさまざま。
プラハ国立歌劇場の観劇料の話になり、ドイツマルク、オーストリアシリング、UKポンド、チェココルナの為替レートを即座に換算したために、ある英国人に「君はBankerか」と返されてしまった。
 
そのときのメンバーであったヨークのご夫婦のことが忘れられず、チェコ旅行の3年後、私たちはヨークを旅した。ヨークは静かで落ち着いた町だ。カルロヴィ・ヴァリとヨークはワン・セットというか、一対の町なのである。

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