2007-04-14 Sat      旅に想う(7)
 
 文学は、だれがいったか忘れたが、言葉が単にものを示す記号でなく、別の言葉を生み出す生きものであると。
 
 そして旅は、十二使徒のひとりヨセフが杖を地に突き刺すと、いつの間にか根をおろしたサンザシの木である。好奇心を失わないかぎり希望もまた失われない。旅は好奇心の発露であり、希望の指針である。
 
 旅の途上ではさまざまな思いが駆けめぐる。旅を終えた後や旅に出れないときはなおさらで、旅への思慕がさらに強くなる。愛した人のすがたがみえてくるのは逢えないときである。愛した人との関わりあいのほんとうの姿がみえてくるのは別れたあとである。
旅から享受したほんものの果実は、愛した人に愛されたことで心が永年変わらぬように、終生変わることはない。いつまでも忘れられない旅がある、いつまでも忘れられない人がいるように。
 
 コッツウォルズ、ノースヨークシャー、スコットランド、ウェールズなどは、アフガニスタンを忘れられないように忘れることはないだろう。街で出会ったポスター写真をみても、雑誌をみても、たった1枚の写真に身動きひとつできないのは、それらの風景に溶けこむ自分の姿をみて郷愁にひたるからである。
 
 はじめて旅したはずの町や村、あるいは自然のふところに抱かれた風景であるはずなのに、はじめてみたような気がしなかったのはなぜだろう。私の心のなかにすでに組み入れられていたのだろうか。これがおまえの心の風景なのだと。それは、はじめて会ったのにはじめてのような気がしない人との出会い、そして別れと同じなのだろうか。
 
 それらの出会いと別れはすべて私が生をうけたときに決まっていたさだめなのだろうか。別れてもなお心のなかにとどまるように。出会う前にすでに互いの魂が共鳴しあっていることを知らしめるために。
 
                          (未完)
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