2003-02-16 Sun      旅に想う(4)
 
 旅は旅行者の五感にはたらきかけ、知的満足を与えてくれる。知性の光は、日なたでは見ることのできないごくわずかな光の陰影を見分け、不可視の秘められた姿を私たちに顕示する。知性をことばで語ることが難しいように、旅をことばで語ることは難しい。耳や目から入る情報が、さまよう魂に届いたためしはない。
他人の旅は、どれほどすばらしいものであっても人を感動させはしない。他人の旅のアルバムを見て感動するだろうか。そこに自分はいないのだ。他人の旅に心を動かされるとしたら、それは1枚の写真、一つのことばが落とした一滴のしずくを額に受けたにすぎない。
 
 旅と知性は懇(ねんご)ろの関係にある。旅を無数にしても知性は満たされない。旅は旅人の知性を照らし、知性が旅を、旅が知性を飽くことなく追究するがゆえに、旅人は旅の修了者になることはないのである。
 
 『六歳のころから自分は物の形を描くことにとりつかれていた。五十歳のころにはすでに数え切れない絵を出版した。しかし七十歳以前に描いた物はすべて考慮に値しない。七十三歳で自然、動物、植物、鳥、魚、虫などの真の構造についてすこしわかった。その結果八十歳のときにはもうすこし進歩するだろう。九十歳では事物の神秘を貫くであろう。百歳で脅威の段階に達するのは確かだ。百十歳のときには描く物すべて点であれ線であれ命を持つだろう‥‥七十五歳の北斎 描くことにとりつかれた老人記す』
 
 ごくふつうに考えれば、人はみなその時その時に或る年代に初めて辿りつく。したがって、いくら年をとっても、その時初めて到達した年齢に対しては明らかにビギナーであり、その年代を過ごしてきた人々と較べれば未熟者といわねばならない。
 
 1999年10月、スコットランドから南西フランス=ミディ・ピレネーのトゥルーズへ移動したとき、光の量の変化に私と家内は異口同音につぶやいた。「明るいし暖かいね」。十分な光はからだに吸収される養分である。秋のスコットランド、光はきれぎれで細かく、そのほとんどは澄んだ空気に吸い込まれるように散ってしまう。だが同じ季節のミディ・ピレネーの光の量はたっぷりで、半分は空気に溶けこんでいくが、あとの半分は私たちのからだに吸い込まれていく。
 
 あふれんばかりの光のなかでは、修道士のように質素と孤独をもとめず、むしろ、陋習が隔てる境界線を飛び越えて、旅人が享受できるすべての歓びで自らを充たすほうがよい。ミディ・ピレネーの豊かで温かい光をからだいっぱい浴びたにもかかわらず、私たちがその時思ったのは、私たちが黄泉の国に召されたあと再会できるならスコットランドを選ぶ。
スコットランドは十分な光をあたえてくれなかった。わずかな光はちりぢりになって消えていったが、私たちに飛びきりの郷愁と心の在りよう、毅然たらんとする大切さをあたえてくれたように思うのだ。肉体の解放とは対極の乏しい光、うそ寒さのなかに私たちがみたのは、過剰なるものが温かさを妨げる都会には見いだせない馥郁たる人間の香りであった。
 
  
 私は後悔を甘美に変えるために旅をしてきたのかもしれない。旅の途上では現実の生活から遠ざかっており、自己を束縛する影は薄い。しかし、旅の途上で見栄を張り、虚栄という幻影に縛られる人もいないわけではない。現実の生活では嘘を受容しなければ幸福にありつけない。悲観的にいっているのではない、事実をいっているのだ。この世は虚飾と汚辱に満ちており、現実を覆っている厚いベール、すなわち嘘を受け容れなければ、幸福の甘い蜜をなめることはまれである。
 
 私の耳元で時折ささやく声がある。生活不適格者とは嘘のつけない人間のことだ。人がしばしば嘘をつくのも、嘘を許すことで、お前を生活不適格者にしないための神の温情なのだ。彼は続けて云う。希望を捨てても人は生きてゆける。だが嘘を受け容れなければ、お前の生きてゆく余地はせばまるばかりだ。他人の不道徳をみすごしにはできないが、自分の不道徳をみすごすように、人の嘘は許せないが、自分の嘘は簡単に許す。人は元々そういうものなのだ。
 
 そうした強迫観念や猥雑さから逃れるために旅をする、と人はいう。ほんとうに逃れられるかどうか定かではないが。私の旅は日常の軛(くびき)から逃れるためではない。後悔を甘美な思い出に変えるために旅をするのである。そしてまた自己省察するために。だが、自己省察とはいかなるものであったか。
自己省察などと意識しなくとも、風景をみるうちに心のなかの風景があらわれ、いつの間にか眼前の風景ではなく心の風景をみている。旅に出れば、おのずと自己省察しているのである。
 
                          (未完)
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