2003-08-27 Wed      ザ・ペニンシュラ
 
 20年前までの香港ペニンシュラ・ホテルは、コロニアル・ムード満点の快適ホテルだった。
宿泊客や食事客、お茶だけ飲みにくる客のもてなし方を熟知していた。ホテル滞在の快適さが客室料金で左右されるホテルは一流とはいえない。15万円の部屋に投宿しようが、3万円の部屋に泊まろうが、スタッフのサービスが客室料金に比例するなら、そのホテルは二流以下である。
 
 とはいってもホテルは客の品定めをする。バスルームのアメニティがしゃれていると喜ぶ客もいるからホテルは横着になる。そうした客はホテルの人的サービスを云々しないからだ。人的サービスが行き届いているか否かがホテルの質を見定める指標であるはずなのに。
目新しいアメニティより従業員の懇切丁寧で心のこもった応対のほうが、あるいは、清潔なシーツやバスタオルのほうが快適なことはいうまでもない。使い捨てのアメニティより、まめにシーツ、バスタオルを買い換えるほうがコストがかかる。客のもてなしに長けたスタッフを雇い入れるにはもっとコストがかかる。アメニティは格安で安直ゆえ、安直なホテルに採用される。
 
 ペニンシュラのアメニティは、昔日のオリエンタルホテル(バンコク)、ラッフルズ(シンガポール)、リージェント(香港)など、かつてのアジアの名門ホテルがそうであったように、アメニティに凝ることはなく、石けんはレーンクロフォードで売っているアメニティサイズではない普通サイズのエルメスを箱ごと1個、無造作に置いてあった。
食事に関しては、往時のペニンシュラは西洋料理、広東料理ともに価格と味のバランスがとれていた。2Fヴェランダの昼用バイキングは絶品で、フォアグラのパテ、帆立貝柱のテリーヌ、極上車エビのコキュール、薄切りバゲットのキャビア添え、アボガドのサラダ、やわらかいローストビーフなどの料理、マンゴやパパイヤ、洋菓子など20種類以上のデザート、そういった内容のランチを邦貨1800円で食すことができた。
 
 2F嘉麟楼の広東料理の味も忘れがたい。豚の生ハムをベースにしたフカヒレ・スープの味は較べるものがないほどうまかった。後年、ペニンシュラ・ホテル・中華料理フェアと称して大阪・帝国ホテルなどで催しがあったが、本場のそれとは月とスッポン、似ても似つかぬ味であった。
スープもひどかったけれど、マンゴ・プディングの味は、どうすればこんなにまずくなるのかと思うていたらく。ホテル側の差し出したアンケートに、「筆舌に尽くしがたい。あまりにもお粗末」としたためたが、彼らにわかったかどうか‥。
 
 グランド・フロアのコーヒーハウスのアイスティーも味わい深かった。一言でいえば比類ない味で、爾来、アイスティーを他所で飲むことはない。アールグレイに数種の葉をブレンドしているのだが、葉の種類とブレンド率がわからない。何度ためしても失敗した。
コーヒーハウスで食したクラブハウス・サンドは、どこにでもある材料=薄切りトースト、豚のベーコン、卵焼き、トマト、胡瓜など=を使っている。それなのに何かがちがう。食材は同じでもトーストの薄さなのか、焼き具合か、いまもよくわからない。
 
 が、ペニンシュラも20年前から凋落の一途をたどった。ある日、2Fで朝食を食したとき、それまで味、色ともに変わらなかったマーマレードの色(本来は黒に近いオレンジ色)が、うすっぺらなオレンジ色に変わっていた。見るからにおいしくなさそうだった。長年の顧客とおぼしき英国の老夫婦が支配人を呼びつけ、慇懃に叱っていた。まさにそのことがペニンシュラの凋落を象徴していた。
 
 サービスは心の発露である。心が変われば人も味も変わる。心を喪失した場所から顧客は遠ざかり、去ってゆく。それが自然の摂理というものであってみれば、過去の栄光に満ちた名門ホテルから名門の看板が消えてゆくのである。。
 
 
 ※ペニンシュラ自慢のアイスティーも1990年頃を境に味が極端にわるくなりました。お茶の葉の品質を落としたからと思われます。そして、上質のアールグレイを少なめにブレンドするようになったと考えられます。バイキングは1986年に終了しました。嘉麟楼のフカヒレスープのふくよかで深い味も昔日のものとなりました※
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