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入口左に「桔梗見頃」の案内板が立っています。
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本堂内に安置されている阿弥陀三尊座像(2017年重要文化財指定 撮影禁止)は、中央の阿弥陀仏、
両脇侍の観音菩薩、勢至菩薩ともにみるべき価値があるでしょう。
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拝観者は私たち二人だけ。
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紫式部邸宅址の顕彰碑は1965年、角田文衞(つのだぶんえい 1913−2008)によって考証され、
新村出(しんむらいずる 1876−1967)が「紫式部邸宅址」の文字を揮毫しました。
角田文衞といえば、名著「待賢門院璋子の生涯」、「紫式部伝」があり、特に「待賢門院璋子の生涯」は、
璋子(たまこ)さんに対する考証がすばらしく、
西行、白河法皇、鳥羽天皇などに関する記述も見事というほかありません。璋子さんがお気に入りだった
のではと思えるほど秀逸。
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貧しい家の出である紫式部ですが、「堤中納言」といわれた曾祖父藤原兼輔(賀茂川堤に屋敷があった)
〜伯父・為頼〜父・為時へと継承された邸宅で生涯の大半を過ごしたといいます。
ここで親子ほど年のはなれた夫藤原宣孝との結婚生活(2年半で夫と死別)をおくり、一人娘の賢子をもうけ、
源氏物語を執筆したそうです。父為時は漢学者で、当時の学者は富裕と無縁です。
為時が関白藤原道兼第で詠んだ「遅れても咲くべき花は咲きにけり 身を限りとも思ひけるかな」に自らの
不遇を嘆じる気持ちがあらわれています。
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塀に青もみじが描かれたように見えました。
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桔梗特有のすがすがしさ。気分は秋。
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角田文衞は「紫式部伝」で廬山寺が紫式部邸址である根拠の詳細を示した上で、
「紫式部邸の大部分が現在の廬山寺に当たり、(中略) 紫式部の居宅は、廬山寺の境内、
即ち京都市上京区寺町通広小路上る北之辺町397番地にあったと判定される」と
前掲書148頁に書き記しています。
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夏の風にゆれる桔梗。
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夕食(午後7時)までの時間つぶしに洛西方面へ。いつもの場所に駐車したら、家内が
小路にアジサイがあったといい、角を曲がると雛祭りのぼんぼりのように丸いのが。
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大きさがわかるように手をそえてもらいました。
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塀に四角い穴があいています。白い立方体状の箱? 照明器具です。
こういう遊びができる人はさぞ資産家であると思われます。それもそのはず、
塀のなかの豪邸は二尊院関係者の屋敷。
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小倉山 峯のもみじ葉 心あらば 今ひとたびの御幸またなん
私たちの願望をこめた歌かしらん。思いを寄せた人との再会。
ふたりとも往時のすがたのままで。
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二尊院から落柿舎方面へ向かう道筋、百人一首公園入口前あたりの店先。
おりしも夕日が射し込んで、まばゆいばかりでした。
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桔梗、アジサイ、ハス。夏の日が暮れなんとしています。それにしても暑かった。
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ハスの命は、童女、少女、熟女、老女の4日。午前中に開いていたハスも午後になれば閉じます。
午後になっても開いたままのハスはすでにご臨終、翌朝にはお迎えがまいります。
人間はハスに較べると熟女の期間が長すぎる。近年は老女の期間も長くなる傾向が。
老女になっても少女の面影を残している女性はステキです。
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