2017年7月11日、閉門(午後4時)ぎりぎりの午後3時50分ごろ京都市上京区寺町通広小路上ルの廬山寺を拝観しました。
廬山寺は京都御苑の東に隣接する寺町通に面し、向かいに梨木神社があります。紫式部邸址として知られる廬山寺ですが、
6月下旬〜9月初旬を花期とするキキョウでも知られ、花期が長いだけに最適な見頃はお寺に問うのがベスト。
 
入口左に「桔梗見頃」の案内板が立っています。
 
 
 
 
 
本堂内に安置されている阿弥陀三尊座像(2017年重要文化財指定 撮影禁止)は、中央の阿弥陀仏、
両脇侍の観音菩薩、勢至菩薩ともにみるべき価値があるでしょう。
 
 
 
拝観者は私たち二人だけ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
紫式部邸宅址
紫式部邸宅址
 
紫式部邸宅址の顕彰碑は1965年、角田文衞(つのだぶんえい 1913−2008)によって考証され、
新村出(しんむらいずる 1876−1967)が「紫式部邸宅址」の文字を揮毫しました。
 
角田文衞といえば、名著「待賢門院璋子の生涯」、「紫式部伝」があり、特に「待賢門院璋子の生涯」は、
璋子(たまこ)さんに対する考証がすばらしく、
西行、白河法皇、鳥羽天皇などに関する記述も見事というほかありません。璋子さんがお気に入りだった
のではと思えるほど秀逸。
 
 
貧しい家の出である紫式部ですが、「堤中納言」といわれた曾祖父藤原兼輔(賀茂川堤に屋敷があった)
〜伯父・為頼〜父・為時へと継承された邸宅で生涯の大半を過ごしたといいます。
 
ここで親子ほど年のはなれた夫藤原宣孝との結婚生活(2年半で夫と死別)をおくり、一人娘の賢子をもうけ、
源氏物語を執筆したそうです。父為時は漢学者で、当時の学者は富裕と無縁です。
為時が関白藤原道兼第で詠んだ「遅れても咲くべき花は咲きにけり 身を限りとも思ひけるかな」に自らの
不遇を嘆じる気持ちがあらわれています。
 
 
同じような写真を連ねたのは、肉眼で見ると塀に青もみじが描かれたように見えたからです。
 
 
 
桔梗特有のすがすがしさ。気分は秋。
 
 
 
 
 
 
 
角田文衞は「紫式部伝」で廬山寺が紫式部邸址である根拠の詳細を示した上で、
「紫式部邸の大部分が現在の廬山寺に当たり、(中略) 紫式部の居宅は、廬山寺の境内、
即ち京都市上京区寺町通広小路上る北之辺町397番地にあったと判定される」と
前掲書148頁に書き記しています。
 
 
 
 
夏の風にゆれる桔梗。
 
 
 
 
 
 
 
 
夕食(午後7時)までの時間つぶしに洛西方面へ。いつもの場所に駐車したら、家内が
小路にアジサイがあったといい、角を曲がると雛祭りのぼんぼりのように丸いのが。
 
大きさがわかるように手をそえてもらいました。
 
 
塀に四角い穴があいています。白い立方体状の箱? 照明器具です。
こういう遊びができる人はさぞ資産家であると思われます。それもそのはず、
塀のなかの豪邸は二尊院関係者の屋敷。
 
 
小倉山 峯のもみじ葉 心あらば 今ひとたびの御幸またなん
 
私たちの願望をこめた歌かしらん。思いを寄せた人との再会。
ふたりとも往時のすがたのままで。
 
 
 
二尊院から落柿舎方面へ向かう道筋、百人一首公園入口前あたりの店先。
おりしも夕日が射し込んで、まばゆいばかりでした。
 
百人一首公園のハス
百人一首公園のハス
 
桔梗、アジサイ、ハス。夏の日が暮れなんとしています。それにしても暑かった。
 
 
ハスの命は、童女、少女、熟女、老女の4日。午前中に開いていたハスも午後になれば閉じます。
午後になっても開いたままのハスはすでにご臨終、翌朝にはお迎えがまいります。
 
人間はハスに較べると熟女の期間が長すぎる。近年は老女の期間も長くなる傾向が。
老女になっても少女の面影を残している女性はステキです。