妙蓮寺山門は文政元年(1818)、禁裏より拝領し建立されたそうです。
創建以来、妙蓮寺は衰退の一途をたどり、1420年ごろ柳屋の地に再興され、その後「寺域」を四条堀川に移し、
伏見宮家と関係の深い日応僧正を迎え、皇室や将軍足利義尚の参詣が多くなったといいます。
天文5年(1536)、叡山など多数の僧俗の襲撃を受け、妙蓮寺ほか同門の21寺が灰燼に帰し堺へ都落ち。
1542年、大宮西北小路に復興後、1587年秀吉の聚楽第造営に際し現在地に移転。1平方キロの境内に
塔頭27を有する大寺院であったようです。1788年の天明の大火災によりほとんどが焼失、
わずかに宝蔵・鐘楼を残すのみでした。現在の妙蓮寺は塔頭8院を有しています。
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