2019年6月23日〜24日の2日間、当初の予定は1日目が甘樫丘&飛鳥寺でした。よんどころない事情が発生し、予定外の場所を選択。
6月23日正午、われわれ4名は京都御苑近くのホテルで待ちあわせ、館内のレストランでランチ。MK君は日替わりランチ(トリ料理)は
ハラの足しにならんとハンバーグ定食。
 
その後法金剛院&五位山、仁和寺観音堂を拝観。嵯峨北にある鹿王院の間近へ来て道に迷い、狭い道で方向転換を何度かくり返し、
鹿王院駐車場に着いたのは拝観終了直後の午後5時過ぎ。まだ明るいので嵯峨野へ。百人一首公園前を通り、常寂光寺まで歩きUターン。
ホテルにもどったのは午後6時20分過ぎでした。
 
再集合したあと、歩きたくない人(MK君)がいてタクシーを拾い、錦小路西入ルのちいさな料理屋(120年ほど前に建った古い町家)へ。
少人数だと各自好みのアラカルトを注文してシェアできるし、当人が食べる前になくなっていることもあっておもしろい。
 
MK君は「こってりしたものが好きじゃけん(四国はそうじゃとも言ってた)」と牛すじと何やらの煮込み、鴨肉つくねと鴨ナスを炒めた一品など
を注文。「鴨肉はうまいけん、うどんにも合う」と言う。KY君が、「Iさん、トリは‥」(苦手なのをご存知)とつづけたので、
「トリは、特にカモの脂身はダメ、赤身もダメ」とこたえ、MK君は「鴨南蛮はうまい。カモは脂身がうまいのじゃ」と申しておりました。
 
法金剛院
法金剛院
 
 
法金剛院
法金剛院
 
どこへ行っても、若い女性ウォッチング傾向が年々強くなっているHK。
 
 
法金剛院
法金剛院
 
法金剛院のハスはひときわ美しく、このくらいの開きぐあい、白く、上部がほんのり薄紅のハスに魅了されます。
 
法金剛院
法金剛院
 
 
法金剛院
法金剛院
 
これは開きすぎ。しかし一枚々々の花弁のかたち、色はきれい。笑っているようにもみえます。
 
法金剛院  北陸の友
法金剛院  北陸の友
 
学生時代、高田馬場のパブで呑むと北陸の友は決まってジンライムを注文。友も私も「呑もうか」とは決して言わない。
誘うのはいつも首都圏の酒呑みの友で、大学西門から駅への道中、パブに近づくと「一杯やっていこうか」と言う。
 
酒に酔わない呑兵衛の首都圏は、ケイコさんの話(自宅訪問したおり昼寝中のケイコさんを彼女の兄が起こし、
ふくれっ面していた場)を再現するため、一緒にいた私に「話せよ」と言い、アホらしいので無視しても、
「寝起きもいいね」と
美形のケイコさんを思い出して陶酔する。不機嫌顔も気に入って、不機嫌になりやすい別の女性と暮らしている。
 
 
法金剛院
法金剛院
 
池のハスが開花するのは7月に入ってから。
 
法金剛院 クチナシ
法金剛院 クチナシ
 
 
 
待賢門院御陵へ
待賢門院御陵へ
 
法金剛院から裏手の待賢門院御陵へ。つき当たりは宮内庁の立て看板。藤原璋子御陵とかなんとか記されています。
待賢門院(たいけんもんいん)璋子(たまこ)=藤原璋子。鳥羽天皇の皇后。崇徳天皇と後白河天皇の生母。
 
 
仁和寺 中門
仁和寺 中門
 
仁和寺観音堂の改修工事が終わり、期間限定の壁画公開をおこなっているということで見学。駐車場からは中門が近い。
 
 
鹿王院 ろくおういん
鹿王院 ろくおういん
 
青もみじの時期は過ぎ、紅葉真っ盛りは5ヶ月後。考えようによれば、この時期にしか見られない色。
 
鹿王院は「京都人の密かな愉しみ」の「桐タンスの恋文」(2015年1月放送)に登場。葉の色は違ってもこの景色。
 
鹿王院
鹿王院
 
 
鹿王院
鹿王院
 
3人縦に並んでいます。私たち4人しかいない夕刻。
 
 
鹿王院
鹿王院
 
カーナビが不正確でもドライバー(小生)の勘が冴えていれば、道に迷うことなく鹿王院の庭を見学できた。
 
タッチの差(拝観終了5時を7分くらい過ぎていた)で見学できず。
 
 
嵯峨野
嵯峨野
 
鹿王院から嵯峨野へ。二尊院前の無料化した駐車場に車を駐め、百人一首公園(向かって右)の前を歩いています。
 
会食は京都の元・町家。2時間半ほど談笑し、二次会の場所選びに紛糾し、バカ高い高級ホテルのバーを避け、
持参の大吟醸を飲もうわいとMK君が提案、異論も出ず。HKはひとりでは入りにくいリッツカールトンのバーへ
行きたかったが沈黙。コンビニで各自飲みものと軽い食べものを買い、午後10時前タクシーでホテルにもどり、
だれの部屋だったかへ。
 
拾ったタクシーは英国ふうのルーフが高く、室内空間の広い車。「これに一度乗りたかった」とKY君がつぶやく。
 
MK君は本格的弁当を買っており、箱ズシのようなものがぎゅう詰め。350円だったか380円だったか。
KY君が労働者のメシと言い、MK君も「そうじゃ」と言い皆にすすめる。しかたなくHKが一個食べました。
 
MK君が女にもてた自慢話。ぼやいているよりマシ。懐古談(MK君とHK)で夜はふけ、新潟という共通点のせいか
新潟へ行って女に会おうと意気投合。KY君が「やめたほうがいいでしょう。会うなら相手のご主人同伴で」と
水を差す。
 
煮えきらないHKがその女の話になるとガラリと変身。KY君のことばは耳に入らないようすで話を蒸し返し、
「新潟までの中間点・乗換駅高崎で待ちあわせよう」とMK君に言いだすHK。クチからでまかせ。
 
どのみち現在進行形ではなく、過去完了か現在完了。しかも関係者は70歳前後の男女。
 
女の話を避けるKY君も、魅力的な女性を見るときのキラリと光る目は隠せません。
解散したのは午前1時過ぎ。2人はイス、2人はベッドに座り、3時間以上もよう話しました。よう聞きました。
 
 
三室戸寺
三室戸寺
 
2019年6月24日午前10時半ごろ。三室戸寺有料駐車場に車に駐め一歩外に出た途端、
梅雨明けを思わせる日ざし。
 
三室戸寺
三室戸寺
 
 
三室戸寺
三室戸寺
 
前日、ホテルのフロント(レセプション)に積んであったウチワです。
 
 
三室戸寺
三室戸寺
 
 
 
 
 
三室戸寺
三室戸寺
 
時季はずれの赤とんぼ。
 
 
三室戸寺
三室戸寺
 
色あせた赤い欄干の建物は三重塔
 
三室戸寺
三室戸寺
 
左手は鐘楼、その奥に三重塔。寺と関係のない会話であると思います。
 
三室戸寺
三室戸寺
 
ことしのアジサイは天候の関係で色ツヤがパッとせず期待はずれ。この辺りはちょっとマシ。
 
 
勧修寺
勧修寺
 
三室戸寺の次は京都市山科区勧修寺(かんしゅうじ)仁王堂町の勧修寺(かじゅうじ)へ。
 
勧修寺
勧修寺
 
右上にちいさく見える塔は観音堂。
 
勧修寺
勧修寺
 
手のかっこうが同じ。阿弥陀仏の定印。
 
勧修寺
勧修寺
 
ガクアジサイは三室戸寺より色あざやかでした。勧修寺は一色に統一しています。
 
 
この方の自宅庭園に苗木で植えたケヤキが20メートルに成長し、枝ぶりもいいそうです。
帰宅したら「ハスを鉢植にして、ハスが増えたらでかい鉢に植え替えようばい」と言っておられました。
 
勧修寺
勧修寺
 
スイレンに間に合いました。終いのひと咲き。
 
勧修寺
勧修寺
 
正午前、ふつうは来ないサギが来たのは、まだ飛べない子のエサの調達。数年前にも木のてっぺんに巣をつくっており、
今回が同じサギかそうでないかは別として、同じ場所に巣があり、時々うごめく子を目にしました。
 
勧修寺
勧修寺
 
三室戸寺に較べ暑さはやわらいでいたような気がします。
 
勧修寺
勧修寺
 
2005年10月、30数年ぶりに京都で再会した5名のうち4名が今回のプチ合宿に参加。
 
勧修寺
勧修寺
 
2007年3月の不退寺、秋篠寺にはじまり、2007年10月甘樫丘、飛鳥寺などをへて男だけの参加
となったプチ合宿も足かけ13年。束の間でした。
 
今回はこころなしか笑顔がすくなかったような気がします。深夜、HKとMK君が女性の話に興じている
ときも笑顔はなく真剣そのもの。
 
聞き役のKY君と私は苦笑。2019年6月を最終回としてプチ合宿は終了しました。
 
 
古美研庭園班OB会 天龍寺前 2005年10月9日
古美研庭園班OB会 天龍寺前 2005年10月9日
 
プチ合宿のきっかけは2005年10月9日におこなわれた第1回古美研庭園班OB会。学生時代ゆかりの地京都。
当時はみな50代、元気でした。
 
OB会で記憶に強く残るのは第1回目。2回目以降の記憶をたどっても、思い出す分量が激減しつつあります。
1回目に勝るOB会はありません。再会できたこと、語らいの場を持てたことがすべてです。
 
 
庭園班 昭和46年(1971)
庭園班 昭和46年(1971)
 
上の天龍寺前で写っている人がこのなかに5人、天龍寺前の撮影者も1人おります。
 
4年生3人(男)、3年生3人(男)、初々しい新入生2人。画像提供&撮影者はクワシマ君です。