「Public Footpath=パブリック・フットパスは公衆が歩く権利を持つ自然歩道。
英国のいたるところにパブリック・フットパスはあり、市民のいこいの道となっています。
フットパスを歩いているとさまざまなものに出くわします。
馬、ヒツジはいうにおよばず、荘園領主(マナー)の館、小川、地元の人々、旅人。
 
フットパスのほとんどは私有地ですが、所有者は自己の所有権より公衆の歩く権利を尊重せねば
なりません。拒否すれば歩く権利を侵害したとして法的措置をとられかねないからです。
英国の町や村を歩いていると必ず「Public Footpath」の標識があり、誰にでもそれとわかります。
 
英国はえらい、つくづくそう思いました。
英国全土に網の目のごとく連なるフットパスの総延長は地球4周分(英国政府試算 16万9千キロ)。
歩く1
歩く1
アッパースローターからローワースローターに至る道は何本かあって、どの道もおもむきがある。
ご紹介するのは歩行者専用の道で、とはいっても、それは車の通行を禁止するということで、フットパスにはヒツジや馬が登場するし、
さまざまな小動物の生活の道でもある。
 
カントリーサイド気分を手っとりばやく満喫したいムキにはフットパスはもってこい。カントリーサイドはそもそも田園という意味ではなく、
生け垣や石垣で仕切られた牧草地とか草地の意味で、フットパスには生け垣、石垣が多く、だいたいが地道である。
 
 
歩く2
歩く2
その昔、といってもせいぜい170〜180年ほど前の英国では、フットボール(サッカー)をする者は暴徒扱いされていた。
公道法なる法律を施行し、フットパスを一般道でおこなうことを禁止した(1835)が、ほとんど守られなかったため政府は
一計を案じ、フットボールのためのスペースを公的に確保し、なおかつ散歩道をそこにセットで設けるという施策に打って出た。
都市部でのフットパスの由来はそういうことらしい。
 
田舎のフットパスは元来、ヒツジの多かった英国で放牧用の土地を人間も歩けるようにといった考えから設けられたという。
ヒツジの放牧地は私有地なのだが、所有者の好意で「歩く権利」を実行できるというわけである。
英国には「歩く権利法」があって、「ウォーキング大国 イギリス」によると、2000年カントリーサイド・歩く権利法が確認された。
 
「フットパス保存協会」が19世紀に設立され、現行の歩く権利法は1932年可決された
 
 
歩く3
歩く3
数頭の馬が放たれていた。馬小屋の屋根はいまにも崩れそうで、何本かの古い柱に寄りかかるのが精一杯というふうだった。
木の柵はグラグラしていたし、柵のはずれた部分には板が打ちつけられていた。
 
そういう補修は昔ながらのもので、50年ほど前、そこかしこの畑の柵にみられたものだ。補修しないと、ヒツジが紛れ込み、
馬の草をはんでしまうだろう。
 
 
歩く4
歩く4
歩く5
歩く5
イングランドにもうっそうとした広葉樹の森はあった。森が消えていったのは、中世後期の耕地化、および近世の製鉄と造船による。
溶鉱炉で鉄鉱石を溶かすには木が要るし、造船にはオークなどの広葉樹が要る。
 
 
 
 
歩く6
歩く6
消えた森の多くは耕地や放牧地となり、放牧されたヒツジは草を食べた、地肌がむき出しになるほど。
腹一杯のヒツジは草を求めて移動し、また草を食べ、草が生えたころもどる。
 
観光名所でもないのになぜ歩くのか、とお思いの向きもあるだろう。
ところが一見なんの変哲もない場所にも何かある。湿った木々の香り、地面、草から立ちのぼる蒸気、初夏の日射し、
遠くから運ばれた風の匂い、それらは間違いなく生きている。
 
森羅万象が渾然一体となって熟成された匂いは格別で、そこにしかない匂いなのである。
場所々々で匂いは異なるが、どれも芳潤である。歩けばそういうご馳走にありつける、だから歩くのだ。
 
歩く7
歩く7
この家族は私たちと同じ宿の客で、米国イリノイ州から来た。家族は五人なのだが、「ここへ来てほんとうによかった。
たった十日間の滞在だけど、こんなにすばらしいところへ来れて仕合わせ、かならずまた来る」と興奮気味に語っていた
三十代後半のお母さんは散歩に参加せず、長女がおちびちゃんの手をひいていた。
 
 
歩く8
歩く8
スタンダールは【イギリスについて】次のように語っている。
 
『イタリアの青年ほど閑人はいない。感受性を取り上げかねない運動などは彼らには堪えられないのだ。彼らとてもときには
2キロほどの散歩はやるが、それは健康のために辛い療法としてやるのだ。女にいたっては、ローマの女は一年中かかっても
若い英国娘の一週間分の道も歩かない』(【恋愛論】より)
 
 
歩く9
歩く9
川べりに近づくと何かよい匂いがしたので、あたりを見たが、特に匂いのする草花や実はなかった。
あの甘美な香りはどこからきたのだろう。初夏の森にはかぐわしい香りがあつまるのだろうか。
 
小なりといえども、そういう仕組みが昔から森に存在するのだろうか、川を渉るとただようあの匂いが。
 
 
小川1
小川1
ひたすら歩き、川辺にたどりついたら一休みして、川面をしばし眺める。さやさや流れる水を眺め、自らの過ぎこしかたを振り返る。
子供のころからそういう習慣が身についていた。自分のなかには川がとうとうと流れ、川の水位が変わることはあっても、川底は満々と
水をたたえている。過ぎし日の川の色は濃密である。
 
 
川面
川面
川は微妙な光、緑陰、空の色が残映をつくり美しさを増す。川は一日に刻々と変化し、四季折々で表情を変える。
朝みると凜としていても、夕方みるとなまめかしい。静かな夜は借りてきたネコのようにおとなしいが、嵐の夜は人が
変わったように身もだえする。水音も天候や時刻、季節によって変化する。
 
 
小川2
小川2
マガモ1
マガモ1
特にどこというわけでもないが、その風景にふさわしい動物はいるものだ。谷間や山ふところにはヒツジがいるし、
低地の牧草地には馬や牛がいて草をはんでいる。水辺とか湿地帯には多くの生きものが棲息している。小動物
とか昆虫類などエサ目当てに他の動物があつまってくる。
 
野鳥をみて見過ごしにできない理由は、私たちの身体の奥に太古からの鼓動がひそんでいるからだろうか。
動物の持つ太古からの鼓動を私たちが感得し、いいしれぬ親近感を覚えるからだろうか。
 
 
マガモ2
マガモ2
空飛ぶ鳥を見たら双眼鏡を取り出し、どんな鳥か知ろうとした。ワシタカ類が空高く飛んでいるのに、
手元に双眼鏡のないときは地団駄を踏んだ。
 
このあたりに棲息するカモ類は近づいても逃げない。至近距離でカメラを向けてもいやがらない。
ワシタカ類のような威厳に欠けるが、そのぶん可愛さがある。
しかし、ワシタカ類のあたりを睥睨するかのごとき荘厳さには代えがたい魅力がある、マガモちゃん
にはわるいけれど。
 
 
マガモ3
マガモ3
 
 
 
マナーハウス1
マナーハウス1
このマナーハウスは私たちの宿泊したホテルで、ここの庭先からフットパスがはじまる。
 
 
マナーハウス2
マナーハウス2
フットパスすべてが所有者の好意で提供されているわけではなく、所有者にも様々な意見がある。
 
「私有地であるが、フットパスだけとしてのみ認める」といった好意的なものや、「通過することは許可するが、
公的な歩く権利は認められない」、あるいは、「私有地につき侵害するな」といったものまで。
 
しかし歩く権利は優先され、何人も人の歩く権利を拒否、または阻害してはならないというのが英国の考え。
 
 
カントリーサイドの石垣
カントリーサイドの石垣
カントリーサイドの美観を保つのに一役買っている生け垣であるが、これがフットパスを寸断することもある。
農家からすれば、せっかく耕した畑ゆえ、ウォーキングと称する闖入者は迂回するかパスしなさいと言いたいところ。
多くの英国民からすれば、歩く権利を妨げるとはけしからんということになる。
 
所変われば品変わるで、歩く権利の対象となる農道、土地では、歩く人を邪魔する障害物、穀物類、雑草にいたる
まで、地主あるいは土地を借りている農家が除去せねばならない。
 
「ウォーキング大国 イギリス」によると、『農家が収穫のためにフットパスを利用しなければならないときは、
収穫後2週間以内に元に戻さねばならない』のだそうだ。日本の農家が知れば、びっくり仰天するに違いない。
徹底的「歩く権利」優先のおかげで、散歩を愛する私たちも恩恵をこうむっているのである。