アフガニスタンを旅したのは1972年10月でした
カイバー峠
カイバー峠
ジェララバードへの道
ジェララバードへの道
サラン峠 海抜3363b
サラン峠 海抜3363b
ヒンズークシ(サラン峠)
ヒンズークシ(サラン峠)
バルフ城壁跡
バルフ城壁跡
チャパル・スウ(バルフ)  チムール朝のイスラム学院
チャパル・スウ(バルフ)  チムール朝のイスラム学院
チャパル・スウ
チャパル・スウ
クンドゥズの少女
クンドゥズの少女
 
おとなの女はチャドルを身につけている人もいたが、子供はそうでなかった。
結婚するとチャドルを着なければならないという。この女の子、日本の同世代
の子供に較べると顔がDeep。
クンドゥズと私
クンドゥズと私
ブルーモスク1
ブルーモスク1
ブルーモスク2
ブルーモスク2
ブルーモスク3
ブルーモスク3
ブルーモスク4
ブルーモスク4
イスラムの学院1          (ブルーモスク内)
イスラムの学院1          (ブルーモスク内)
イスラムの学院2
イスラムの学院2
イスラムの学院3
イスラムの学院3
マザリシャリフの井戸
マザリシャリフの井戸
マザリシャリフの絨毯屋
マザリシャリフの絨毯屋
アジアハイウェイ      マザリシャリフ〜ヘラート
アジアハイウェイ      マザリシャリフ〜ヘラート
ヘラートの馬車
ヘラートの馬車
エークティヤルディーン城跡(ヘラート 14Cクルト朝)
エークティヤルディーン城跡(ヘラート 14Cクルト朝)
ヘラート 金曜日の大モスク     マスジェディン・ジャム    13Cゴール朝 修復1498〜1500&1944
ヘラート 金曜日の大モスク     マスジェディン・ジャム    13Cゴール朝 修復1498〜1500&1944
ヌリスタン(カフィール)族の少女
ヌリスタン(カフィール)族の少女
ヘラートのパン屋
ヘラートのパン屋
 
ヘラートのパン屋。1971年10月はラマダーン月。夜明けから日の入りまで
飲食ができないというイスラムの四番目の義務(全部で五つ)を課せられている。
パン屋なんかは気の毒、いやでもよい匂いがただよって。
 
プル・ク・ムリのウズベク族
プル・ク・ムリのウズベク族
 
アフガニスタンは多民族国家で、多数派のパシトゥーン族のほかにウズベク族、
タジク族、キルギス族など多種多様。みな誇り高い。
干し草集め(ウズベク族)
干し草集め(ウズベク族)
 
冬に備えて干し草を集めています。冬場、山羊などの家畜の飼料にする。
干し草を運ぶのはラクダ。
パターン族の男
パターン族の男
 
カブールのパシトゥーン族の男。パシトゥーン族はパターン族、ドラニ族、
ギルザイ族などから構成されていて、なかでもパターン族は900万人を占める
多数派。三度にわたる対英戦争の際、パターン族の不正規軍は英国に勝利した。
(右のおじさんはキルギス族)
 
「大軍をもって攻め入ればすなわち餓死、少部隊をもって侵入すればすなわち
大衆に包囲される」。ブルボン朝アンリ4世のスペインを評した言葉である。
英国にとってアフガニスタンはまさにその通りであると英将サー・ヘンリ・デュランド
が書き残している。
盲目を装った男たち
盲目を装った男たち
 
カブールのにぎやかな通りにいた目の見えない男二人。
歌をうたって施しを訴えていた。通りすがりのフランス人カップルが
幾ばくかの喜捨(イスラムの三番目の義務・ザカート)をしたら、
「アッラー、アクバル(アッラーは偉大なり)」と言っていました。
 
実はこの二人、目が見える。前日、カブール博物館からの帰り、両目を
見開き大口開けて話していた。アフガンにもこういうケシカラン輩がいる。
良家の子女
良家の子女
 
ヘラートからカブール行の機内。この飛行機、政府空軍のチャータージェット。
アフガニスタンの古き良き時代とでもいえばよいのか。こんな子供でも民族意識
は強く、左の子はアラビック、右の子はタジク族であると強調していた。
バルフの少女
バルフの少女
 
ごくごく庶民の女子である。良家の子女でも屈託のない子はいるが、
アフガニスタンの小さな町や村に行くとかならず見かける普通の子供。
 
自分でいうのも変だと思うが、子供とイヌにはどこでも好かれた。
それは現在も変わらない。