イラン

1976年、ホメイニによるイラン革命(1979)前、イランが王国(パーレビ国王)だったころの平和な時代。
テヘラン 建国2500年祭記念塔
テヘラン 建国2500年祭記念塔
 
1971年10月、イラン建国2500年祭が挙行され、記念塔が落成した。
内部のペルシャ歴史博物館も同時開館。
 
テヘラン市内
テヘラン市内
イスファハン
イスファハン
マスジッド・イ・シャー(イスファハン)
マスジッド・イ・シャー(イスファハン)
 
マスジッド・イ・シャーは「王のモスク」(シャーは歴代王の呼称)の意。
17世紀サファーヴィ朝ペルシャ時代に建設。
イマーム広場(世界遺産)のモスク(高さ54メートル)。
 
マスジッド・イ・シャー
マスジッド・イ・シャー
イマーム・モスク(イスファハン)
イマーム・モスク(イスファハン)
 
サファーヴィ朝時代17世紀建造のモスク。
 
拝火教神殿跡 イスファハン近郊
拝火教神殿跡 イスファハン近郊
 
イスファハンから西方10キロ。ササン朝ペルシャ時代(3世紀〜7世紀)に建てられた
ゾロアスター教神殿跡。
 
エラン・ガーデン(4月の宮殿) シーラーズ
エラン・ガーデン(4月の宮殿) シーラーズ
 
19世紀に建てられた邸宅。世界遺産に登録。
 
シーラーズ市内
シーラーズ市内
有翼の精霊 前6世紀 パサルガダエ
有翼の精霊 前6世紀 パサルガダエ
 
テヘランを南下、イスファハーンからシラーズへ至るハイウェイの
途中の平原にパサルガダエの王宮址がある。
紀元前550年、アケメネ朝ペルシャのキュロス王が造営した王都。
 
有翼の精霊の名で有名な彫像は、「2本の角の上に芦を束ねたような花冠
をかぶり、房つきの服をまとい、アッシリアの精霊のように2枚の翼を
つけている」(「栄光のペルシャ大帝国」新潮古代美術館参照)
 
 
ペルセポリス 王宮
ペルセポリス 王宮
アパダーナ(謁見の意)宮殿
アパダーナ(謁見の意)宮殿
ダレイオス1世(紀元前550年ごろ〜紀元前486年)の王宮造営碑文に、
「アウラマズダー(ゾロアスター教の最高神)の恩顧によって余はこの官邸を
建てた」(「栄光の大ペルシャ帝国」)と記されているという。
 
王宮に防護施設がない理由として、「王宮の造営を意図したのは、
政治的な首都ということではなく、
古代イランの新年(春分の日)に属州の人々を集めて忠誠を誓わせる
ための儀式の場」と古代ペルシャの歴史家ロマン・ギルシュマンは考え、
「謁見殿の壁の浮彫はその光景を表した」としている。
アパダーナ(謁見)宮殿
アパダーナ(謁見)宮殿
アパダーナ宮殿 衛兵の行列 前6−5世紀
アパダーナ宮殿 衛兵の行列 前6−5世紀
 
「同一のポーズの人物が規則正しく、リズミカルに配置され、スクリーンに映写されたかの
ように表現されている。
 
アパダーナ宮殿東側基壇 朝貢者行列浮彫 前6−5世紀
アパダーナ宮殿東側基壇 朝貢者行列浮彫 前6−5世紀
 
「エジプトの浮彫と異なって、肉づけの丸みや肉体をしのばせる衣紋の手法がみられ」(前掲書)
る朝貢者行列浮彫。
 
朝貢者行列浮彫
朝貢者行列浮彫
 
立体的な浮彫。
 
ダレイオスの宮殿
ダレイオスの宮殿
ダレイオスの宮殿
ダレイオスの宮殿
ダレイオスの宮殿
ダレイオスの宮殿
ダレイオス大王の謁見図 前6−5世紀
ダレイオス大王の謁見図 前6−5世紀
 
ダレイオス大王(1世)の謁見図の浮彫は、朝貢する全属州の民族を代表し、メディアの高官が
いかめしい大王に向かって忠誠を誓う姿を表している(前掲書)。
 
大王と侍従
大王と侍従
王座担ぎの天蓋とアフラマズダ神の陽盤 アケメネス朝
王座担ぎの天蓋とアフラマズダ神の陽盤 アケメネス朝
ゾロアスター教の最高神アウラマズダはいちだんと高い場所に鎮座する。
 
アルタクセルクセス2世の墓
アルタクセルクセス2世の墓
 
ダリウス2世の長子アルタクセルクセス2世(前404〜前358)はアケメネス朝の他の王同様、波乱の生涯を送った。パサルガダエの宮殿での戴冠式の途中、弟キュロスの短剣から逃れた後、母パリュサティスの哀願を聞き入れキュロスを釈放し、キュロスの親衛隊のいるサトラピー(小アジア)への帰還を許す。
 
その後キュロスは蜂起するが、バビロン近辺で勝利を手中にする直前、殺される。
同時期、ギリシャのアテネ、スパルタなどの都市国家はペルシアの賄賂によって互いに反目し、無益な抗争を繰り返したすえに弱体化する。黄金の魔力に抗いきれなかったギリシャ人に全盛期の面影はなく、凋落の一途をたどった。
 
アルタクセルクセス2世の外交策が軌道に乗ると思われた矢先、重税に危機感を募らせたペルシア西方諸州のサトラップたちが反乱をおこし、他方、エジプトは独立を宣言する。そのことでペルシア帝国の収入がほぼ半減したのは大きな痛手だった。
 
エジプトはスパルタ、サトラップと同盟を結び、ペルシアに対して軍事行動をおこすが、内乱の勃発によりエジプトは崩壊寸前にまで追い込まれる。ファラオは同盟軍を離脱し降伏、サトラップのアロアンダスも降伏する。
 
アルタクセルクセス2世は窮地を免れたが、大帝国ペルシア崩壊の芽は生まれていた。マケドニアのアレクサンドロスの登場も間近い。
 
 注:「サトラップ」 ペルシア帝国の官職名。ギリシャ訛音のサトラペス(Satrapesが語源で「王国の守護者」の意。【アジア歴史事典(平凡社)】