1555年、近江坂本に創建された阿弥陀寺はその後上京今出川に移転したのが清玉上人で、
本能寺の変の3年後1585年現在の地に移転されたといいます。清玉は信長の弟もいわれ、
生後まもなく僧籍に入れられたようです。
阿弥陀寺古文書には、変の夜、垣根を破って清玉らが侵入、本能寺内にかけつけたのですが、
すでに信長は切腹、首は落とされ、卒塔婆をたきぎにして遺体は燃やされていました。
清玉は、火葬は出家のつとめ、骨は拙僧がと信長の遺骨を隠し持つ。
光秀の家臣が外を見張っていました。清玉は「本能寺の僧侶だ」と偽って脱出。遺骨を持ち去る。
阿弥陀寺に信長の墓があります。
信長の遺体が発見されなかったのはミステリー。阿弥陀寺古文書で謎が解けたかどうかは
ともかく、解明の糸口になるでしょう。
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