ロカマドゥール1
ロカマドゥール1
ヘンリ・ミラーの言葉を借りれば「フランスが消滅しても、ドルドーニュはなくならないだろう」ということになる。
彼はこう続ける、「夢が人の心に生き続け、魂を豊かにするように」。
 
フランスの諸地方のなかで、アキテーヌやドルドーニュというと特別の思いをもつ人がいる。それほどに人を魅了
するからである。ドルドーニュ川沿いにベルジュラック、トレモラ、ラ・ロック・ガジャック、サルラ・ラ・カネダなど。
そのサルラから東南東に下ったアルズー峡谷のえくぼに、中世の巡礼地・ロカマドゥールはおごそかに佇んでいる。
 
 
ロカマドゥール2
ロカマドゥール2
ロカマドゥール(Rocamadour)という地名の語源は、ロック=岩とアマトール=愛する人だという。
12世紀、聖女ベロニカの夫、隠遁者アマドゥールの墓が発見されて一躍その名を知られるようになった。
 
 
ロカマドゥール3・アグネス
ロカマドゥール3・アグネス
アグネスはロカマドゥールのホテル「ホテル・ドゥ・シャトー」のオーナーの娘さん。
99年10月当時、年の頃は26、7歳、上背のあるがっしりした体型で、車の運転に自信があるのか、
ホテルまでの曲がりくねった道をF1ドライバーのごとくオペル・ベクトラのタイヤをきしませて突っ走った。
 
アグネスとは予約の段階で何度もFAXや電話を交わした間柄であったので、初めて会った気がしなかった。
ロカマドゥールの絶壁が一望のうちに眺められるオスピタレ村で途中下車し、写真を撮りたいと思っていた
のだが、それを知っているかのように、抜群のロケーションの撮影地点で車を停めてくれた。
 
私たち3人が息を飲んでいるとアグネスは独り言のごとくいった。
「いまが一年中で一番いいシーズン。自然は美しく、人は少なく。夏は人でごったがえして、ここの良さ
を満喫できない」。
 
 
ロカマドゥール4
ロカマドゥール4
断崖の突端に建てられた修道院の司祭館はシャトーと呼ばれ、館の上にのぼれるようになっている。
ここからの眺めは圧巻。石の回廊の先端に行って下を見ると目が回りそうである。ロカマドゥールは人口650人ほどの
小さな町だが、コルドのように「小さな巨人」であると思う。ところで、回廊の先端に立って考えたことは、今後5〜6万人
の旅人がそこに立てば、間違いなく石が崩れ落ちてお陀仏になるのでは‥ということだった。
 
私は高所恐怖症ではないはずなのだが、正直いって足がふるえた。風の強い日は恐ろしいにちがいない。
6万人目の旅人にはなりたくない。が、再びこの先端に立ってみたいと心から思っている。
 
 
ロカマドゥール5
ロカマドゥール5
画像左の四角錐ぽい屋根の建物は12世紀後半建造の教会(サン・ソブール・バシリカ聖堂)、
八角形の建物は聖ヨハネ礼拝堂である。
道が4本もあって、それぞれの高低差がおわかりかと思う。ウナギの寝床のような家並み。
中世以来、家も人も増えていないのだろう。人の顔は変わっても、こうして見ると、数台の車のほか
には何の変化もないように錯覚する。
私たちを旅へといざなうのは、町がかもしだす雰囲気と景観の魅力なのであろうか。
 
 
ロカマドゥール6
ロカマドゥール6
回廊は司祭館をぐるりとめぐっている。ここに上ると360度の景観が手に取るように見渡せるのだ。
 
ロカマドゥール到着の日、日中は正常に動作していたカメラ2台は、夕方になって突如クラッシュした。
2台(アナログカメラ)ともミラーが起きたままでバルブ状態なのである。あれやこれやと修復をはかった
が徒労に終わった。
夜景撮影のため三脚持参でやって来たのにと忸怩たる思いであったが、どうしようもなかった。
 
 
ロカマドゥール7
ロカマドゥール7
カンタベリー大司教トマス・ベケットとイングランド王ヘンリー2世との会見が1170年7月22日、フレトヴァルで
おこなわれた。ふたりの仲はすでに修復不可能で、ベケットは王に、「陛下、私たちはこの世では二度とお会いする
ことはないと存じます」という。
 
間もなくヘンリー2世は重病にかかり、8月10日、ノルマンディーのドンフロンで遺言ともいえる「王の最終意思」を
側近に書きとらせている。「長男ヘンリーにはイングランドの王冠とノルマンディー、アンジュー、メーヌを、
次男リチャード(後の獅子心王リチャード)にはアキテーヌを、三男ジェフリーにはブルターニュを」と。
 
ところがヘンリー2世は奇跡的に快復し、感謝の意をあらわすためにロカマドゥールへの巡礼を決めたのである。
 
 
オスピタレ村
オスピタレ村
ロカマドゥールの修道院から眺めたオスピタレ村。
村の道路沿いの展望台からみるロカマドゥールの眺望はすばらしい。
 
 
            ★下の夜景は絵はがきです★
夜景
夜景
修道院からほど近いレストランで夕食をすませたころ、すっかり夜のとばりが降りて、
あたりは漆黒の闇につつまれていた。私たちは修道院のなかを通り、ひたすら上り坂を歩いた。
歩けば歩くほどロカマドゥールは高貴であでやかな姿に変身していった。
 
何度立ちどまってため息をついたことだろう。
時間はどんどん経っていったが、時を惜しむかのようにその場に立ちつくした。
そんな時だった、つれあいの姉がポツリと言ったのは。「旅人の玉座だね」。
 
旅人の玉座とは‥深い感動をよぶ場所のことである。
そこでは、景色を眺めながら別のものを思いうかべている。最愛の人の顔、姿がうかびあがり、
風景はただちに心の映像に置きかえられる。
 
私たちはふつうに歩けば40分ほどの距離を2時間半かけて歩いた。
宿にもどったのは午前1時前。そして翌朝、ロカマドゥールは深い霧におおわれていた。
 
宿は高台にあった。濃い霧のため、眼下の家並みは見えないし、人の様子もまったく
窺い知ることはできなかったけれど、不思議と人の話し声や靴のひびく音だけは聞こえてきた。
前日、そんな音は毛ほども聞こえなかったのに、あたかも霧が音を運んできたかのようだった。
朝霧につつまれたロカマドゥール。あのときのざわめき、靴の音も忘れがたい。
 
靴音は、谷に一つ一つ刻まれてゆく音楽だった。
視界をさえぎる霧の舞台に、靴の奏でるたえなる音楽。それは悲劇的ですらあったように思う。
靴音とはそういうものなのか。そう思わざるをえないような響きだった。