クィーンズ・ビユー
クィーンズ・ビユー
 
19世紀、時の女王ヴィクトリアがここに立って眺めたことにちなんでクィーンズ・ビューと命名された。
細長い湖はロッホ・タメル(Loch Tummel)。
 
ここでの話題は情熱。80を幾つか超えたとおぼしき老女数名が杖をつきつきやって来た。私たちは
老女をみて一様に思った。かくも辺鄙な場所へ来たのは情熱ゆえである。情熱が旅に向かわせたのである。
 
クィーンズ・ビューへはピトロッホリーからA8019を西に約8キロ進む。一本道なのでわかりやすい。
 
 
ハイランダー
ハイランダー
 
スコットランドは独自の紙幣を発行し、自らをイングリッシュと区別してスコティッシュと呼び、ハイランドに住む人々はハイランダー(高地人)と誇り高く呼んでいる。キリン(Killin)のパブで出会った海軍出身の快男児も、「自分はハイランダー」と誇らしげに言っていた。
 
60代後半〜70代前半とおぼしきその人は、若いころ英国海軍に所属していて、神戸や横浜に来たことがあり、旧知の友をみるように私たちを見た。往時さぞ美男であったことは現在の風貌でうかがい知ることができた。
私たちにワインやビールを勧めてくれたが、あいにく私は運転があり、つれあいと義姉は酒を飲まない。丁重にお断りし会話に花を咲かせた。その人は私たちの勘定を払うといってきかなかった。固辞するのはかえって失礼という気がして、結局その人のご厚意に甘えることにした。その人のやさしい顔、忘れられない。
 
2002年3月30日、101歳で逝去されたエリザベス王太后もスコティッシュだった。
エリザベス王太后との出会い(「ヨーロッパ旅行記」の「予期せぬ出会い」)も忘れられない。
あの時、王太后はすでに99歳になられていたが、とてもお元気そうであったし、なによりも慈愛に満ちたお顔をなさっていた。英国民に圧倒的な人気があるのも当然のことと思われた。
 
上の画像はストーンヘイヴン(Stonehaven)でのランチ。左の若い女性、もしかしたら料理人をめざして修業を積み、いまごろ腕のいいシェフになっているかもしれない。
 
Bridge of Allan
Bridge of Allan
 
スターリング(Stirling)の町に架かるアラン橋。左上に見える塔はウォレス記念塔。アラン橋は古くはスターリング橋といわれ、ウォレスはこのあたりで戦力に勝るイングランド軍を撃破し、一躍勇名をとどろかせた。
 
スターリングは城から下る道筋に沿ってひらけた人口3万人ほどの城下町。
ロバート・ブルース
ロバート・ブルース
 
スターリング城門の外、駐車場の斜め横にロバート・ブルース(ロバート・ザ・ブルース)の凜とした石像が立っている。ブルースは、ウィリアム・ウォレスが示したスコットランドへの愛国心と勇気に感銘を受けたと伝わる。
 
ウォレスが毅然としてイングランドに反抗の矛先を向けたとき、「エドワード(1世)は私の使える王ではない」という信念がウォレスにあったと年代記作者は記している。ウォレスがイングランド軍に逮捕、処刑されて1年後の1306年3月、スコットランド王の伝統的戴冠式場であるスクーン修道院のムート・ヒル(議会の丘)でブルースは王冠を授けられた。
戴冠の日、ブルースが「運命の石」に座したことは事実であると思われる。運命の石はこのときまだスコットランド国内にあり、ロンドンの戴冠式玉座の下にはなかったし、いまもない。
 
ロンドンの運命の石は贋作。ある年代記作者によれば、戴冠式の23年後、ブルースが死の床にあったとき、友人アンガス・オグにヘブリディーズ諸島のどこかに保管するよう託した。
生前のブルースはイングランドとの戦い(バノックバーンの戦いほか)に追われる日々だったが、ウォレスの意志は確実にブルースに継承されたのである。そしてブルースの石像は上を見ている。
ウォレス記念塔
ウォレス記念塔
 
英国王のなかでスコットランドに対して最も残虐行為をおこなったのは、私の知るかぎりエドワード1世である。13世紀、スコットランド最大の町はベリック・オン・トゥイードで、エドワード1世はベリックで兵を止め、前例のない大虐殺をおこなった。
 
市内をことごとく略奪し、男女の別なく殺戮し、犠牲者は1万7千人に達したという。(現在ベリック・オン・ツウィードの人口は約1万3千人) 加えてエドワードは死体を放置しておくよう部下に命じた。その異臭に反抗的スコットランドの人々も、誰が主人か思い知るだろうとの非道の措置であった。
スコットランドの長い歴史のなかで、これほどみじめな時代はなかった。そのとき立ち上がったのがウィリアム・ウォレスだった。ケルト系小地主の息子ウォレスは、イングランド軍の酷い蛮行に憤り、スコットランドを救おうと立ち上がったのだ。
 
グラスゴー出身の作家ナイジェル・トランターによると、ウォレスは「戦火で一つに鍛えられ、自由のために戦う」という概念を掲げて登場したのである。愛国精神などというが、当時のスコットランドには国民とか民族とかの概念はほとんど存在せず、ウォレスがそれを持ち込んだといえるのかもしれない。
 
1995年に製作された映画「ブレイブハート」でメル・ギブソンがウォレスを演じている。スコットランド・ロケにこだわったこの映画は、いまもなおハイランドにおいて根強い人気を保っている。ウォレス記念塔への急な坂道を登っていたとき、地元の小学生(男児)に声をかけたが、その子はウォレス役のギブソンのまねをして雄叫びをあげたのだった。
 

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