セント・オズワルドの道 |
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車、バスで回る巡礼もあって多彩。長距離を一日で歩くのは無理として、一日20〜25キロ程度であれば徒歩という選択も可。
「トラベル(Travel)はローマ人が使った拷問器具に由来することばで、古代人の旅がいかに苦労が多く、危険をともなうものであったか
を想像させることばでもあります」と梅田修氏は「地名で読むヨーロッパ」に書き記している。
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セント・オズワルドの道 |
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セント・オズワルドの道 概略図 |
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セント・オズワルドの道はノーサンバーランド州東部沿岸のリンディスファーン島(ホリーアイランド)を出発し、
ハドリアヌス帝(A.D.76−138)が築いたハドリアヌスの城壁(Hadrian's Wall 完成当時・東西118キロ)に近い
ヘヴンフィールド村まで全長約156キロの巡礼&探索ルートである。
リンディスファーン島〜バンバラ村の30キロ、バンバラ村〜クラスター村の22キロなど6行程がある。
ウォーキング好きの多い英国内で年々人気は高まりつつあるが、国外でほとんど知られていないため、
チャレンジするならいまのうち。
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セント・オズワルドの道 バンバラ村 |
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セント・オズワルドの道をたどる旅のチャレンジャーは概ね中高年。若い世代にまで情報が浸透していないせいもあるけれど、
中高年のほうが旅に関する情報に敏感なのだ。若い世代が情報入手に血道をあげるのは、グルメ、ファッションなどが主で
旅の情報収集は二、三番手。情報収集は経験がものをいう。要不要をみきわめ、情報を迅速に分析するのは経験力なのである。
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ガイドブック |
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「セント・オズワルドの道&セント・カスバートの道」のガイドブック(ペーパーバック)は11.31ポンド。
発売日は2016年7月5日、ページ数は192ページ。アマゾンの価格は1743円(2018.9月)。
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セント・オズワルドの道 バンバラ村 |
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バンバラ村フロント・ストリートの城に向かって右側、平屋の建物はキングフィッシャー・コテージ(Kingfisher Cottage)
という名の宿。英国にあるセルフケータリング(Self Catering=自炊)式の宿泊施設。
セルフケータリング式の宿というと低料金なのだが、キンギフィッシャー・コテージは一泊480ポンド〜(2018年夏現在)もする。
自炊式ゆえキッチンがあり、リビングと寝室(ツィンベッド)2部屋は高級仕様で厨房や調理器具も最新式。備品にBDレコーダも。
しかし、ミニマム480ポンからの室料はいかにも高い。
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バンバラ城 道路側 |
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バンバラ城 海側 |
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北海と雑草がなければ、城の景色は平凡である。
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北海 |
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海浜植物が毛先の長い雑草のなかに隠れている。バンバラ城は、城よりも北海と砂浜と雑草、そして風が記憶に残る。
日ざしや雲を見ると暖かそうにみえるかもしれない。が、北海からの風は夏でもひんやりしている。
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北海 |
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バンバラ城 |
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旅は感性をみがき、たかめる。近世以来、画家、音楽家、作家など創作にかかわる人々が発想を得たのは恋愛、そして旅だ。
恋愛はいつか終わる。だが旅は無限の広がりを保ちながら生あるかぎり持続する。
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バンバラ城と北海 |
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1999年6月初めてバンバラ城に来たとき、駐車場は草地を刈り込んだ地面にすぎなかった(城の右側)。道路(B1341)
から駐車場へ入る道も未舗装の地道だった。城、砂浜、雑草、そして北海から吹く風。ロケーションと自然は大演出家だ。
19世紀、ニューカッスル・アポン・タイン出身の初代アームストロング卿(男爵 鉄鋼業の覇者 1810−1900)が1894年に
買い取ったバンバラ城は中央部やや南よりに立つ四角い天主閣を除いて大規模改築された。
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バンバラ城 俯瞰図 |
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俯瞰図中央の四角い建物が天主。俯瞰図右は北海。
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バンバラ城と北海 |
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アームストロング卿といえば発明家としても知られており、アームストロング砲を開発し、米国の南北戦争、幕末1863年の薩英戦争で
アームストロング砲が使用されたことは周知のとおり。
アームストロング社は造船でも各国に知られていた。ハプスブルク家のオーストリア=ハンガリ−帝国に売った巡洋艦2隻をはじめ、
戦艦も売りさばく。社の重要な顧客は日本海軍で、出荷戦艦の合計排水量は英国に次ぐ量であったという。
それにしても、そのような生臭い歴史を忘れさせてくれる空と雲、海と風であることはたしかだ。
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バンバラ城 砂と草 |
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海浜植物、といっても毛先の長い草が砂地をおおっているだけなのだけれど、微粒の砂に生える雑草が北海の風にゆれるようすを見る。
なんでもない風景が心に残る。それが自分遺産となってゆく。
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バンバラ城 |
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「アングロ・サクソン王のひとりアイダ(Ida of Bernicia ?〜559 治世は547〜559)はバンバラを王国の首都と定め、
初めて石造りの城となる」と「イギリスの古城を旅する」(西野博道著)に記されているが、アングロ・サクソン支配が
確立しはじめたころ、戦略拠点に築かれた要塞、城砦の多くはかつてローマ人が建造したものを再利用したのだ。
その点に関して梅田修は、「アングロ・サクソン人は石の要塞を築く技術をもたず木材を使ったのですが、
各地の要塞はノルマン時代(1066−1154)に次第に強固な石造りへと変化していったのです」と「地名で読むヨーロッパ」に
記している。
「Bamburgh」のburgh バラ(「Dunstanburgh Castle」のburghも)は城壁を巡らした町や城砦、要塞都市のことであり、
エディンバラのバラも同様。
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バンバラ城 ゲート |
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バンバラの名は、アングロ・サクソン王アイダの孫エセルフリス(Aethelfrith)の妻ベバ(Bebba)にちなんで
Bebbanburgh、そして、Bamburghの名になったという。サクソン王国の首都を守りつづけ、
後年、イングランド諸王の夏の居城となる。
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バンバラ城 屋内 |
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バンバラ城内 |
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城内の展示品の多くははアームストロング卿のコレクション。
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バンバラ城内 |
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バンバラ城内 |
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バンバラ城内 |
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バンバラ城内 |
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バンバラ城内 |
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バンバラ城内 |
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バンバラ城 King's Hall |
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King's Hall |
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バンバラ城内 |
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バンバラ城 Cross Hall |
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バンバラ城内 |
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バンバラ城内 |
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バンバラ城内 |
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バンバラ城内 |
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バンバラ城内 |
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バンバラ城と北海 |
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ポピー バンバラ城 |
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サンライズ バンバラ城 |
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早朝の撮影は天気まかせ。目覚めてしばらく身体が痛い。曇や雨だとほっとして眠りに落ちるけれど、
晴れていれば撮影スポットまで車を飛ばす。北海からのぼる朝日を撮るのは何年ぶりだろう。
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サンセット バンバラ近辺 |
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夕景の撮影は楽だ。英国の初夏、日没は午後10時ごろなので、夕食をすませて現場に行けばいい。
潮が満ちてくる砂浜を裸足で歩く。北海の風も水も冷たい。しかし、だからこそ記憶に刻まれる。身体がおぼえているのだ。
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朝 バンバラ村 |
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海外に出ているときだけたまに朝も散歩する。長い影はときに美しく、のんびりもする。
高層ビル、タワーマンションの影を美しいと思ったことはない。
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