竹茂楼 |
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竹茂楼 |
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竹茂楼 |
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竹茂楼 |
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竹茂楼 |
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のれん「川魚生州」の川の字をみて夫が言うには、高級銭湯の玄関みたいだと。「川魚生州」の称号は
京都所司代より許可を受けた「川魚生州八軒」のうちの一軒といいます。
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竹茂楼 2F 七重の間(54帖 最大68帖) |
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衾(ふすま)のような、衝立(ついたて)のような。生地、絵柄と色の意匠は能装束のような。絵柄の季節は秋です。
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七重の間 竹茂楼 |
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七重の間 竹茂楼 |
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「七重の間」にセッティングされた円卓は6人掛け。円卓の数は10卓でした。すだれ越しに見えるのは、
今年の紅葉は遅しの景色。
イスとイスの間はかなり余裕があり、ゆったりと食事できます。
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食前の菓子 |
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食前に「わらびもち 黒みつ」が出ました。
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先付 |
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先付は、鯖寿司、いちょう玉子、鯛の木の葉揚げ(衣にアーモンドスライス)、蓮根柿挟み、もみじ餅、
丹波占地(きうり&こんにゃくの白和え)
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食前酒 |
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「先付」の右下に見えるのは食前酒の盃。雪月花の雪。月の盃もありました。
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椀物 |
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椀物は白味噌仕立。かぶら、軸菜、舞茸、小豆、辛子。
世界の三大料理は中国料理、フランス料理、トルコ料理です。
トルコ料理が入っているのは意外です。フランス料理の元祖イタリア料理が入っておらず、
代わりにトルコ料理を入れたことを思えば、三大料理を定めたのはフランス人かな?
トルコ料理が世界三大料理の一つなのは、19世紀末までフランス人は極東の料理の存在すら
知らなかったからか?
ボスポラス海峡をわたればトルコ。ヨーロッパから近いし、オスマントルコが大帝国だったから、
コーヒーなどと一緒にヴェネチアや、オスマントルコの領土だったギリシャから料理も伝わった
のかもしれません。
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向付 |
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向付は横輪、鯛、いか。若主人の説明によりますと、ヨーロッパでは刺身は食べませんが、
すしは人気が高く喜んで食べるとか。むこうの人の認識はマリネだそうです。
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凌ぎ |
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凌ぎは胡麻豆腐、生うに。「凌ぎ」が出てくる前に隣の女性が話しかけてきました。
「顔見世をみました」とおっしゃり、ほんの少しだけおしゃべりしたばっかりに胡麻豆腐に切り口を入れて
食べようとした瞬間、主人の顔が浮かびました。
「いつだったか、食べた後で思い出したことがあっただろ」。そのときはフタ付きの煮物でしたので、
フタをかぶせて器だけ撮影したのです。画像を見た主人は、「ん? 中身は食べたな」とつぶやいていました。
いったん箸を入れた胡麻豆腐をつなぎ、ウニも乗せて撮影。一箇所にあったワサビは分散しました。
帰宅後、「なんかヘン」と言われる前に、「接合手術して、仏さまにならないうちに撮った」と主人に伝えました。
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焼物 |
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焼物は鰆味噌幽庵焼。柚子かぶらが添えられています。
幽庵焼の鰆は48時間、漬けているとか。外国でも人気料理のひとつだそうです。
かき氷も人気があり、ヨーロッパの氷は硬水ゆえとても硬く、器械の歯が欠けることもありますが、
日本の軟水ならそういうこともなく、おいしいので好評といいます。歯が欠けるって本当でしょうか。
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鉢 |
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鉢(煮物)は海老芋けしの実揚げ、堀川牛蒡、金時人参、湯葉、京菊菜、柚子。
ヨーロッパでかつお節は放射物質が入っているから持ち込めず、それで日本料理の味が
いまひとつ冴えないのだとか??
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御飯 香物 |
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かに入りのかやく御飯。赤出しは黒豆大豆みそ仕立て+なめこ、香物は千枚漬、水菜、すっぽん昆布。
すっぽんの味はしなかった。
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果物 |
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柿、梨、きうい、きな粉アイス。
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大広間 天井 |
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竹茂楼 |
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浄瑠璃の見台 竹茂楼 |
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階段右の白い房のついている黒いのは文楽の見台です。
見えにくいですが、見台下部に赤い魚の絵が。「川魚生州八軒」を表している
のかもしれません。蒔絵なので絢爛豪華な魚です。女性は女将さん。
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竹茂楼 |
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知恩院 |
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私鉄電車を利用して入洛したので、往復ともに「河原町駅」から徒歩。往きの四条通は八坂神社前まで
観光客で混雑していました。
円山公園も人、人、人でのろのろ歩き。さすがに神宮道を青蓮院門前あたりまで行くと混雑は緩和。
それでも徒歩25分の予定が35分かかりました。
復りは神宮道も知恩院前もすいていて、知恩院見学。白い花はサザンカです。
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知恩院 |
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大道芸 |
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円山公園にこんなのありました。イヌの三度笠道中。稽古を積んだとみえて芸達者なイヌです。
右上の青いハカマはご主人さま。
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南座 まねき |
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南座恒例の「まねき上げ」が例年より一ヶ月早かったのは、「南座」は改修工事のため3年間休館し、
再オープンしたからです。まねき看板は、右端上に坂田藤十郎、その下に片岡仁左衛門。
まねきの下の絵は顔見世の狂言で、右から「毛抜」、「連獅子」、「封印切」、「鈴ヶ森」、「寿曽我対面」。
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渡り鳥の羽休め |
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実食セミナーの前日午後、自宅バルコニーから撮影したマガンの群れ。川は武庫川といいます。
古来から「雁金」と呼ばれてきたガンですが、カリガネはくちばしが短く、額が出ていて、
全長もマガンより小さい60センチほど。
マガンは80センチ近くあります。雁金はガン全体の総称として使われてきました。
雁金はマガンにまぎれて移動する習性があるようで、よく見ないと区別がつきにくく、
上述の見分け方も近くで見ないとわかりません。
マガンは狩猟などでいっとき激減していましたが、天然記念物に指定されて少しずつ増えています。
編隊を組み、V字形飛行する黒ずんだ鳥はほぼマガンとみていいでしょう。
マガンの鳴き声は、「カハハン」と甲高く、よくとおります。やかましいと思ったらマガンか主人です。
音は低く、くぐもり声ですが。
2017年4月中旬まで現在地の2キロ南(川下)に住んでいました。最寄り駅まで徒歩20分、
いまは最寄り駅へ徒歩5分。
右斜め前の対岸に小林一三が創設した歌劇団の劇場があり、昔ながらのファンでにぎわっています。
転居前の住まいも武庫川の近くにあり、晩秋、河岸へ行くと先客のコブハクチョウ2羽が
近寄ってきて、遊んでもらいました。
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宝塚大劇場 |
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自宅バルコニーから撮影(2018年11月19日夕刻)した宝塚大劇場です。
左から宝怎oウホール(足場を組み外壁塗装中)、中央の大きめの建物が大劇場(歌劇場を含む)、
その後ろ(横にみえますが)の低い建物は宝怏ケ楽学校、武庫川に架かる橋は阪急電鉄線路。
線路は宝塚大劇場と宝塚音楽学校のあいだを走っています。
橋の向こう(対岸)に転居前の建物があるのですが、右端の建築物が邪魔しています。
川岸を右方向(南)へ行くとコスモス園。
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2018年11月21日の月 |
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2018年11月21日17時24分、バルコニーから撮影しました。
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花のみち 春 2013年3月31日 |
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宝塚大劇場の入口は「花のみち」側にあり、花のみちには四季を通じてさまざまな花が咲いています。
なかでも桜の時期、正午〜16時半ごろまでと、宝怏フ劇「夜の部」終了時(概ね17時25分過ぎ)
は人でいっぱい。
18時を過ぎれば閑散とするので、地元に住み時間が取れるなら、夜桜前の見物もあるでしょう。
右の銅像は歌劇の男役と女役。桜が散っても彼方の空に希望を託しているのかもしれません。
みちの先は少しずつ暗くなっていっても、いまはまだ明るいことを象徴するかのような手前の一枝です。
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高台寺 方丈庭園のしだれ桜 2014年4月24日 |
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葉桜になっても美しいサクラはあります。京都市東山区の高台寺方丈前庭のしだれ桜は4月下旬
こそ緑が美しい。北野天満宮御土居や東福寺などの青もみじと美しさを競うかのようです。
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花のみち 2012年11月21日 |
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4月上旬、桜は散ってもなお晩秋、葉は色づきます。「中高年になってもかがやく時がある」
と主人が申しておりました。
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