2026年3月3日      茂七の事件簿 新ふしぎ草紙
 
 2002年に放送された「茂七の事件簿 新ふしぎ草紙」が日曜午前6時ごろから再放送されており、録画して視聴している。放送中の大河ドラマは出演者の芸が拙く、評にかからない駄作、書くこと何もなし。
佐々木蔵之介主演の時代劇も放送中だが、顔ぶれでわかる三文芝居、みる気がしない。「金と銀」の続編が4月に放送されるまで退屈しのぎに「茂七」をみはじめた。
 
 「茂七の事件簿」は初回放送時、第1シリーズから第3シリーズまで全作をみた。ストーリーは特段これといって新鮮さはないのだけれど、そこがいい。時代劇は新鮮さを必要とせず、脚本と役者のうまさが肝心、と考えていたが、茂七の事件簿が妙に新鮮に感じられたのは、近年の時代劇がつまらないからだ。
 
 茂七シリーズの原作は宮部みゆきの「本所深川ふしぎ草紙」ほかで、ドラマの脚本は金子成人。とくればおもしろくないはずがない。宮部みゆきの本領はミステリー。しかし金子成人はミステリーより人情を重視している。そこがいい。
岸谷五朗主演で放送された連続時代劇ドラマ「ぼんくら」の原作も宮部みゆき。ミステリー・タッチにコミカルな音楽が効いて、助演の奥貫薫、風間俊介、志賀廣太郎の好演がドラマを盛り立てた。
 
 茂七シリーズでは、主役の高橋英樹が親分肌の岡っ引きのガラに合い、情味あるニンをうまく演じており、姑(亡妻の母親)の淡路恵子が古き良き時代、酸いも甘いも心得た庶民のカラっとした風合いを見事に演じている。
毎回のゲストはおおむね顔がそろい、第3回目の「鬼子母火」の木の実ナナは特によかった。木の実ナナは墨田区向島出身。チャキチャキの下町江戸っ子。時代劇では、40年以上前にやった出雲阿国が印象に残る。適役だった。
 
 阿国は京都・北野天満宮の常設舞台で踊った(「当代記」)とされる。出所は不明だが、後陽成天皇の生母(女院)の御前でも踊ったという。阿国を演じた役者で記憶に残るのは佐久間良子、片岡京子(当代片岡仁左衛門の次女)。木の実ナナはある種の野性味も加わり最適役と思える。
 
 茂七シリーズでは女中頭役で、10代半ば〜10代後半の女中に厳しく、容赦なく叱る。叱り方に江戸っ子の片鱗が出て、イキがいい。女中見習いから女中頭になった彼女の苦労は、木の実ナナの実人生の苦労と重なるのかもしれず、役のハラをつかんでいる。
 
 後半、田舎から出てきたばかりの若い女中にみせる木の実ナナの思いやり、そのときの目、茂七に自分の生い立ち、若い女中への気持ちを語る表情が秀逸。誰にも見せなかった顔を初めて見せるという芝居は何度もできるものではない。経験を重ねて人は進化、もしくは退化する。
 
 思いやり、情けのある人は、何食わぬ顔をしていても、肝心なときは行動で示す。ふだん柔和でも、いざというとき言葉を濁す、あるいは何もしない人間は薄情と思われても仕方あるまい。
 
 行動力の乏しい者はみな同じ顔をしている。関わりたくないので逃げ腰になる顔。自分にできることがあるかもしれないとは考えない顔。行動で示した経験が少ないからそういう顔になる。出身地や服装、物腰で都会人か田舎者かを区別するほど世の中は甘くない。
 
 1970年代、先入観や固定観念の強い人間は田舎者とみなされた。引っ込み思案、消極的、行動力の欠如は先陣を切る気構えもなく、誰からも頼りにされないのだが、当人はそれが理解できていない。
昭和初期を描いたドラマに、誰が言ったか忘れたが、「農民は掟を守るが規則は守らない」というセリフがあった。掟は農民自身が定めたが、明治期以降に押しつけられた法令や規則は拘束と思ったのだろうか。
 
 ミステリー作家は人間の心理を読む。読めなければペンを進めることはできない。だが、心の動きは不可思議、読もうとして読めないこともあり、だからこそ作者は登場人物の行動に託す。
心模様は不可解でも、行動を見ればわかる。登場人物が思案を重ねたすえの行動であっても、思案外や衝動的であっても、行動の結果、導き出される思いを読者や視聴者に委ねる。
 
 現代劇の脚本は、現在進行形の人たちと歩を合わせるように登場人物を描き、その人物たるや、日常であれ特殊な事件であれ薄味で素っ気ない。さらさら流れる小川ではなく、蛇口からポツリ、ポツリ落ちる水滴のような現代劇を濫造している。人情時代劇に登場する人物の味わい、庶民的な思いやりを表現する場面が激減した。
 
 隣近所の住民と関わりたくない気持ちが脚本に反映され、家庭内や社内の日常、もめごと、珍事を描くばかりでおもしろさに欠ける。たまに「不思議」と彼らが言う出来事や心情は、不思議でもなんでもなく、不思議という言葉を使いたいだけである。
 
 そういう現代劇の弱点を補うのが時代劇であったはずなのに、いつの間にか時代劇は現代劇になっていた。脚本の迎合がそういう傾向に拍車をかけており、関係者がその傾向を是としている。
 
 大声で叫んだり、オーバーアクションの登場人物に違和感はないのだろうか。自分も同じようにする、もしくはしたいと思っているのだろうか。まぁ、そうね、所詮ドラマと軽くみているのか、高をくくっているのか。ドラマのような人生を経験したことないのですか。そんなことないでしょうに。
 
 時代の趨勢は古き良き時代を懐かしむ時代劇を必要とせず、制作意図はあっても幹部からのお許しが出ず、20年以上前の録画を放送し、たまに90分の単発時代劇を放送するという按配。
このまま推移すれば10年後、時代劇ファンは絶滅危惧種となる。惰性で大河ドラマをみる人も危惧種予備軍。ところで、現代って楽しいですか? コルティナ五輪が終わり、楽しみが少なくなりました。

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