60代半ばまで惜春ということばに自分の年齢を感じることはなかったけれど、散りそめの桜は、
どの花よりもノスタルジックな、あるいは悲劇的な、惜春の象徴でした。
 
あれはだれだったか、「花に限らず、自然界、人がつくり出した造形物で美しいと感じられるものは
なぜ美しいのか不思議です。小学生のころ、神通川の土手へ花見と写生会を兼ねた遠足に行った
ことがありますが、そのときは桜を美しいと感じることはありませんでした。
しかし年を経るにつれ、桜に対する思いも強くなってくるようです。人の美意識は味覚と同様に
年齢により変化するのでしょうね。」と言ったのは。
 
美しいと感じられるものはなぜ美しいのか。ほんとうにわからない。
 
子どものころ惜春という気持ちはなく、美意識も稀薄で、学校が終わったら外で遊んで一日が
暮れていました。
小川を堰き止め、水をさらえるのに手間取り、ぴちぴち跳ねる魚を見るまもなく陽が落ち帰宅。
放課後、小川へ行くと元通りになっており、魚は逃亡してがっかり。
(堰き止め遊びは昔からありました。魚を捕獲したら堰を切り、川の流れを戻します)
 
時がたち、「暮れなずむ春の日」という文言をみたとき、春の日は決して長くないと思ったものです。
或る日、別れや喪失感ではなく、お腹もすいていないのに、夕暮がひどく寂しかった。
 
早く朝が来ればいいと思っていた子ども。朝の来ない老人となるのを想像したことはありません。
 
青龍殿大舞台
青龍殿大舞台
 
2021年4月1日午後1時過ぎ、京都市山科区厨子奥花鳥町の将軍塚青龍殿大舞台に着きました。
2020年1月10日の大舞台は私たち以外に人はいなかった。今回はいました。でも予想より少数。
 
去年の冬、空が澄んで遠くのほうまできれいに見えましたが、今回は地面に近くなるにつれてダメ模様。
気象庁によれば黄砂は近畿地方から完全に離れたということだったけれど、低空は灰黄色。
春霞というより黄砂みたいな色。
 
 
3月26日に京都御所へ行ったばかりでしたが、3月31日夜、何を見たのか伴侶が、「サクラ、きれいでしょうね。
あした電車で行こうかな」とつぶやきました。
阪急電車の京都往復格安チケットの有効期限が5月31日までなので、それを使おうというわけです。
小生は留守番。
 
車のほうが断然早く行けるし、先日の京都御所行きで自宅出発〜帰宅まで4時間程度ならだいじょうぶ、
車で行こうと提案し、伴侶も「わかった」と了解。
 
青龍殿大舞台
青龍殿大舞台
 
右端に立つ伴侶が見ているのは中学時代の同窓生OT君のお墓の方向です。
 
青龍殿大舞台からの眺望
青龍殿大舞台からの眺望
 
北東方向の眺望。南禅寺三門がみえます。
山門の北(上方向)のベージュの建物はノートルダム女学院高校。
 
2008年5月の第4回OB会、身内の弔事で幹事が来られなくなりました。待ちあわせ場所は
南禅寺三門ではなかったでしょうか。南禅寺方丈庭園見学直後、幹事から電話が入りました。
 
火葬場の待ち時間ですと言っておられた。
その律儀さと心配りに感動したのがきのうのことのようです。
 
将軍塚青龍殿大舞台
将軍塚青龍殿大舞台
 
 
青龍殿
青龍殿
 
2013年6月初旬、道後温泉から松山城への坊ちゃん列車のなかでタブレットを操作するタカさん。
四国の坊ちゃんの異名を持つ第9回OB会幹事が車内で何かの説明をしています。
 
タカさんはそのことをタブレットで調べていたのです。タカさんから間違いを指摘された坊ちゃんは、
「先輩に恥をかかすのはいけんばい」とか何とか言いながら苦笑。
独特の言い方に両隣、前の席にいた諸氏も苦笑。いちばん笑ったのはタカさんです。
 
坊ちゃんは最近スキンヘッドになって、スマホの自画撮り画像をメールに添付して送ってきました。
これは誰かに知らせようと思った小生、横浜在住の仲間に送ったところ、ギョッとしたそうです。
殿山泰司かと思ったらしい。
 
青龍殿
青龍殿
 
 
青龍殿の玄関内から
青龍殿の玄関内から
青龍殿
青龍殿
青龍殿
青龍殿
西展望台からみる青龍殿
西展望台からみる青龍殿
西展望台から見る将軍塚と青龍殿
西展望台から見る将軍塚と青龍殿
西展望台から見る将軍塚
西展望台から見る将軍塚
西展望台から見る
西展望台から見る
右側は将軍塚
右側は将軍塚
西洋シャクナゲ 一輪だけ咲いていました
西洋シャクナゲ 一輪だけ咲いていました
脇役
脇役
 
 
将軍塚のうしろ
将軍塚のうしろ
将軍塚の桜
将軍塚の桜
 
 
将軍塚の桜
将軍塚の桜
将軍塚の桜
将軍塚の桜
 
将軍塚青龍殿に費やしたのは往復の運転+見学の合計4時間ほど。
伴侶がこしらえた花見弁当(おにぎり&卵焼きほか)を食べる時間もありました。