2020年2月2日      幻のドン・キホーテ
 
 名前からしてコミカルである。国籍も作者もストーリーもわからなくても、子どもはおもしろそうな予感をもつ。現にわたしがそうだった。子ども向けの絵入り本で「ドン・キホーテ」を読んだのは小学3年か4年のときだ。
鎧はつぎはびだらけ、兜は鍋。滑稽だが勇敢で、弱い者、困っている者を放っておけず力を尽くす彼に魅了された。権力と無縁の人が事態を変え、好転させることもできる。東映時代劇に目をならされた子どもは騎士ドン・キホーテに未知への冒険心をかきたてられたのである。
 
 ドン・キホーテは「紅はこべ」や「怪傑ゾロ」と違ったタイプのヒーローで、頭が変だと知ってショックだったが、高校生になってペンギンブックス(英書)で読んだシェイクスピアのように名セリフがあるわけでもなく、ドン・キホーテの文言はほとんどおぼえていないけれど、人間味ある行動に共感した。
 
  作中人物に魅了されるのは現実の人間に惹かれるのと同じ、感性ゆたかで、しかも自分のあるべきすがたを示してくれるからだ。知識が横溢する人や、タテマエで押しまくる人に魅力などあろうはずもなく、偉ぶっている人は論外。自意識過剰なのか高慢なのか自信喪失なのか、ポーズをとり、すぐ見破られる人も魅力はない。
 
 感動は初めて経験したときより、その経験を追懐するときのほうが濃密である。その間には長い時間が眠っているからだ。時が思い出を濃くする。悲哀は悦楽を思い出して陶酔する。
 
 「冬のソナタ」、「バリでの出来事」が日本でもヒットしたのはそういう理由によるだろう。脚本と演出をそのまま本邦の俳優に振り当ててうまくいくはずもないのは役者のちがいである。表情だけでやるせない心境を伝えられるか、つまりは芝居ができるかどうか。
あのころのチェ・ジウに匹敵する女優は日本におらず、ハ・ジウォンに至ってはさらに難しい。ハ・ジウォン主演のドラマを数本みてきたが、時代劇なら「チュオクの剣」と「ファン・ジニ」がよかった。
 
 一瞬でいい、遠くをみる目になれば心の風景がわれわれの眼前に広がる。そういう目のできる女優が日本にいなくなった。経験は異なり、風景が異なっても感性を共有し、心は自由にフィードバックする。ドラマをみる者に心の風景がみえてくる。それが役者の真骨頂である。
 
  自分が道に迷ったとき、進むべき道を月明かりのように照らす人は決して理屈をふりまわさない。その人の生き方が魂を共鳴させるか、同化するか、あるいはそういう存在であることに気づくかだ。つながり、絆などと当世流行の陳腐さとは別の、自分の身体に潜む太古からのうごめきが気づかせてくれるのである。         
 
 2017年に旅立ったフランスの役者ジャン・ロシュフォールは若いころはふつうの俳優だった。しかし中年にさしかかって特異な存在となる。「髪結の亭主」、「パリ空港の人々」ほかの主演作や助演作で名演、ときに怪演する。
 
 19世紀ともなると、高名な作家や詩人によって作品に心理的解釈が加えられるようになり、それを契機に見直されたものは多く、17世紀初頭の「ドン・キホーテ」も名作とされた。主役は貴族や王の専売特許ではない、下々の者に騎士もどきの人間をからませて語ることこそ近代だとメディアが気づきはじめたのである。
 
 ドン・キホーテにはひたむきな魂がこもっている。だから子どもでもおもしろいと思うのだ。人間の初源とでもいうべきすがたを示していると、ことばにできなくても子どもは感じている。自分の声を探りあて、真摯に熱っぽく綴ったセルバンテスとシェイクスピアは共に1616年4月23日に永眠した。
 
 2000年、積年の夢をかなえるため映画監督テリー・ギリアムはジャン・ロシュフォールをドン・キホーテ役に起用して、翌年スペインでロケに入った。ロシュフォールはロケ前に7ヶ月にわたって特訓し、苦手な英語を習得した。ロケ地はスペインだけでなくほかの欧州諸国も予定されていたという。
 
 スペイン谷あいの屋外撮影中みるみるうちに暗雲が空を隠し、集中豪雨でにわか急流が出現、スタッフは機材を移動するのに大童、現場は上を下への大騒ぎ。雨があがっても一帯は湿地となり、撮影場所を移すこととなる。ことはそれで終わらず、諸々の問題が次々発生。
あげくの果てはジャン・ロシュフォールが椎間板ヘルニアでパリの病院に入院。病状観察でロケは中断。結局、治療が長期におよびロシュフォールは降板する。
 
 その顛末を映画化したのが「ロスト・イン・ラ・マンチャ」。風貌もコミカルさもドン・ピシャリ。ジャン・ロシュフォールはドン・キホーテなのである。が、ドン・キホーテの冒険譚を2時間とか2時間半でおさめるのはしんどい。せめて90分の8本連続テレビドラマにすべきである。製作はフランスでも英国でもいい。
 
 ジャン・ロシュフォールの映画「ドン・キホーテ」が未完に終わったのは残念でしかたない。洋画最高の時代劇になっていただろうと、ロシュフォールが旅立ってすでに2年以上たったいまでも思うのだ。
 
         ドキュメンタリー映画ロスト・イン・ラ・マンチャ」のドン・キホーテ役ジャン・ロシュフォール


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