2020年5月19日      事代主神(三)
 
 美保神社は松江市にあるが、市の東端(島根半島)美保関は鳥取県境港市の境水道大橋をわたって行く。すなわち米子から弓ヶ浜を右手(東)に眺めながら向かうほうがいい。弓ヶ浜はその名のとおり弓のかたち。大山から俯瞰する弓ヶ浜は美しい。
 
 境港には米子の伯父(伯母は母の姉)の親戚がいる。美保神社へお詣りした帰りにそこへ寄って、おいしい昼食を食べるのが楽しみだった。親戚は門灘(かどなだ)さんといい、奥さんの汁椀、煮物のダシの味は絶品。門、灘はいかにも島根半島に近い鳥取県(日本海寄り)の名称である。灘は古来から熊野灘などにある。
 
 昔々、米子の旅館に逗留し、伯州綿の入ったふかふかの布団にくるまって夜を過ごした。中国産ダウン羽毛布団とは寝心地がちがう。雲泥の差といってもいい。伯耆国の木綿は天日干しにするといい匂いがする。
 
 子どものころ綿入れの袢纏(はんてん)は冬の室内着だった。伯州綿は高価、綿入れ袢纏の産地は知らないが、子どもに着せるにはもったいない。木綿製の衣類を本格的に着るようになったのは江戸時代初期という説がある。
北前船は蝦夷地のニシン、昆布を日本海の港々に運び、漁師は上質の伯州綿でつくった防寒着を買い、木綿の肥料はニシンかすが使われたらしい。島根半島の外海は日本海、このあたりは北西の風が吹くと海が荒れる。
 
 境港は「出雲風土記」に「夜見島」として出てくるというが、奈良〜平安期、流砂が積って米子方面と地続きになったらしい。北に接する細長い島根半島が境港の風よけになるので、漁船の停泊、入出港に都合がいい。古代出雲の有力豪族は交易と漁業を重視したはずゆえ、海上権をめぐって争奪戦があっただろう。
 
 14年間神に仕えた者として言及すると、供物=神饌は洗い米、塩、水は必須として、酒、野菜など農作物のほかに祭りの日や神事のさいには鯛など鮮魚である。洗い米、塩、水は毎日替える。鮮魚は神事や祭りに供えたあと直会を開いて人間のクチに入る。
 
 現在の島根県、鳥取県は古代から日本海で獲れる魚介類も豊富にあったろう。神を祀るコトシロヌシにとって神事に欠かせず、漁を生業とする者や、支配者にとっては恩寵というべきだ。魚は栄養価も高く、エネルギーとなる。古代出雲が栄えた理由のひとつは漁業だ。
 
 美保関は島根半島の南側、内海なので風が入りにくく海は荒れない。美保神社が建てられたのはそういう地理的条件によるだろう。古代の島根・鳥取の地形、気象がいかなるものであったか不勉強ゆえ知らない。美保神社に何度もお詣りした経験からいえば、外海は風が強くても内海はおだやか。船の停泊にはうってつけ。
 
 「古事記」によるとコトシロヌシは知盛のように船から海に飛び降りたのではない、船を傾けて入水したのである。しかも、人目のない外海へ出ず、青柴垣を海上にこしらえ、その垣根のなかに身を投げた(「船を踏み傾けて、天の逆手を青柴垣に打ち成して、隠りき」)。
人目を避けもせず、海水に没する目的でつくったであろう青柴垣の囲いのなかに身を投げる。すでに述べたように、コトシロヌシの父オオクニヌシは子の自死と引き替えに隠棲して祀られる。国譲りのクライマックスである。
 
 子を犠牲にするオオクニヌシとヤマトの妥協は、出雲の支配権を握っていたオオクニヌシより祀られる神にこそ意味があったことを象徴的にあらわしているのではないか。祀られる神はしかし自ら出現しない。
 
 「あれませる(現ませるor生れませる)」のは神と通信できるコトシロの「みわざ」によって「あれませる」のである。
コトシロ(事代)は神を仲介する。言い換えれば、特定の人=コトシロ=が神の管理権を持っているということになる。神は常在しない、神事、神行、祭りをおこなう日、あれませる。すがたを見せないのは古代からの約束事であるかのように。
 
 益田勝実は「廃王伝説」(「火山列島の思想」)に、「8世紀に生まれた出雲国風土記にはコトシロの神は一切登場しない。これほど重要だった神の鎮まった場所も記録されていない。オオナモチ(オオクニヌシ)のコトシロたちが滅亡しては、その職能神コトシロヌシも滅びざるをえないわけである」と記している。
 
 ヤマト政権といえども祀られる神を死に至らしめるわけにはいかないのだろう。代わりに祀るコトシロを死なせる。それが古事記の記述となった。コトシロの青柴垣は神事の仕掛けである。そしてその神事は同時に敗北・敗死の儀式であるだろう。出雲の支配者および神の仲介コトシロはそうして交代を余儀なくさせられる。
 
 国譲りを語るとき、譲るがわ、譲られるがわ双方が破綻をきたさない物語として映るような工夫がコトシロヌシの描写であったのかもしれない、オオクニヌシという有名な傑物の代わりに無名のコトシロヌシに死を課すことによって。
子を身代わりにして隠棲するような親はけしからんと責めるのは当世のわれわれである。出雲風土記に出てこないコトシロヌシはしかし神となって美保神社など多くの神社に祀られている。
 
 古事記に現代的整合性をもとめるなかれ。概念、倫理観、事象の問題だけでなく息吹が近代以降と違う。生き生きしているのは自然と一体化していた古代の息吹である。その息吹は伝承と共に近世初期(安土桃山期)までつづく。
 
 コトシロは名を変えて日本各地に居住する。○○神宮、△△大社、□□神社などの宮司は神事や祭りのさいのコトシロである。神はすがたをあらわさない、コトシロが神の仲介役である。お詣りに来る大勢の人々がいようといまいと、神がかっても、神がからなくても神官は常在している。
 
 


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