2020年8月18日      時代劇ではないのですが(三)
 
 ことし6月半ば、四国の坊ちゃんから電話があり、「コロナにかかったと思っちょった。落ち着いたら行くけん。行くなら平日じゃ。冬かそのあとじゃ。土日しか来れん人は外そうばい」と言う。
 
 言い忘れたことがあって数日後メールしたら、「アベのマネー(ひとり10万円の給付金)で娘がラプラドールを30万で買って(娘さんは3人家族?)、昨日、孫の名札を食べてしまい取り出すのに10万円」と返信が来た。
 
 小生の10万円の使い道は古い邦画や図書。通販で京マチ子出演DVDを8点ほか本を数冊購入。DVDのほとんどはテレビ放送でみた作品なのだけれど、「踊子」、「地獄門」は初めてみた。以前、おもしろいと思った「雨月物語」、「浮草」をみるのは3度目。「浮草」は何度みてもおもしろい。
 
 「寅さんシリーズ」にも京マチ子は出ている。その関連で昔なつかしい吉田義夫が寅さん映画のプロローグだけでなく本編にも小さな旅芸人一座の座主で出ていた。吉田義夫ら旅芸人は「寅次郎先生」と呼んでいる。立派で気前もいいからだ。
 
 当時としては長身で味のある風体の吉田義夫はどことなく四国の坊ちゃんに似ている。京都で生まれ、京都で没した吉田義夫は京都市立絵画専門学校で日本画を学んだ。映画では悪役もやったが、強面の陰にみえるあのやさしく奥ゆかしい顔が忘れられない。
世の中には小さな恩を忘れない人間がいる。小さな恩を時々思い返して涙ぐむ人がいる。恩を忘れるのはリンゴが腐っていくようなものだ。
 
 8月15日放送の「寅さん」の大詰、寅さんが田舎道を歩いていると、軽貨物車の荷台に乗って興行の宣伝(今回は「レ・ミゼラブル」)をする芸人3人がいる。寅さんが気づいて、走る車に声をかける。吉田義男も大喜び。寅さんが「町までのせてもらっていいかい?」と言い、軽トラが走り去って幕。横でみている伴侶に、「似ていないか?」と聞いた。「奥ゆかしいかどうか‥」と生返事。
 
 「人のよさそうな雰囲気が‥」と言っても暑さでへばっているのか問いにこたえない。京マチ子、京マチ子とやかましい小生に呆れているのか。爽やかな感じのしない京マチ子の顔は伴侶の好みじゃないのだ。
 
 晩年の吉田義夫は自宅で画を描きのんびり暮らしたらしい。四国の坊ちゃんは庭木の手入れにいそしんでいるのだろう。「苗木で植えたケヤキが20メートルに成長し、枝ぶりもいいけん。ことしはハスを鉢植にして、ハスが増えたらでかい鉢に植え替えようばい」と昨年6月下旬話していた。
 
 「浮草」の京マチ子をみて見直したのは何年前だったか。。ほかに杉村春子、若尾文子など揃っていても、京マチ子が断然いい。夏の志摩半島、小さな港町。二代目中村鴈治郎と言い争うシーンが複数回あって、夕立のなかで小道を隔てて喧嘩するシーンが出色。篠つく雨、赤い蛇の目傘。カメラワークも見事。
 
 映画は講釈や説明が多いとつまらなくなる。小津安二郎は講釈、説明を避けた。
溝口健二、織田作之助、田中絹代との対談(「溝口健二著作集」の「美と才能について」 1947年)で、織田作之助がごちゃごちゃと知識を羅列し、講釈を述べる部分を小生は飛ばし読みした。
 
 織田作之助にかぎったことではないけれど、文士だジャーナリストだとインテリぶって高飛車なのは、戦後まもないころの反動というべきか。
その時代の香りを嗅ぎ、そこに生きた人間にしかわからない体験をしているのだ。記録や情報を調べて評する通り一遍の者とは異なる。そこらへんの知識人や情報通の理屈とは違う、経験に裏付けされた発言をしてもらいたい。
 
 「浮草」の鴈治郎と京マチ子の言い争いは、鴈治郎の隠し子に関しての諍いである。京マチ子に痛いところを突かれて激怒する鴈治郎に、「偉そうに言うことだけは立派やな。(中略) そのたんびにウチが旦那衆に泣きついたから何とかなったんやないか」というシーンがある。
 
 売りことばに買いことば、鴈治郎は、山中温泉で働いていた京マチ子を一座に雇い入れ、一から面倒をみてやったとなじる。彼は「山中温泉のシシ」と罵倒するのだが、シシ(獅子)は湯女の隠語。彼女はいまや副座頭格だ。
そのときの京マチ子のキッとした目、佇まいに矜持を保つ女の風格と、やるせなさをみるような気がした。あの目と夕立のすばらしさ。一代の名優中村鴈治郎のちょっとした仕種、動作がリアルで、さまになっている。
 
 あの時代、歌舞伎から映画に転じた(後に歌舞伎に復帰)二代目中村鴈治郎は座頭だが「浮草」の舞台登場はない。杉村春子の息子(川口浩 隠し子)との会話に「水の流れと人の身は‥」とつぶやく場面がある。
歌舞伎「松浦の太鼓」で宝井其角が、「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠み、大高源吾が、「明日待たるるその宝船」とつづける。源吾は其角の弟子。鴈治郎家の芸「土屋主税」は「松浦の太鼓」の練り直しである。
 
 芝居小屋の化粧鏡の前にすわっている女役者。京マチ子の着物を見て伴侶が「お光だ」とつぶやく。緑色の着物は歌舞伎「野崎村」のお光である。隣にすわって顔をこしらえる若尾文子はお染。
「野崎村」のシーンはない。「浮草」にちりばめらた歌舞伎。鴈治郎が川口浩に言うせりふにも映画に押されて低迷する歌舞伎を連想させる。よい芝居をやっても当世、見る眼を持つ客は少ないという意味である。
 
 大詰、言い争いと打って変わった駅の場面がステキ。すがすがしい情愛がにじみ出る。男は女の引き立て役だ。小津作品はこうあるべきだという固定観念の強い人は高得点を与えないかもしれない。しかし先入観や固定観念は映画のおもしろさを損ないかねない。
 
 京マチ子が水野晴郎に語ったことば(1984年)のなかに、いかにも京マチ子と思わせるくだりがある(「水野晴郎と銀幕の花々」)。
「当時は気の弱さばかりでね。脚本を見るでしょ。これはすごいな、けど、私にできるかしら、というのが先行しちゃうんですね。でも、会社の命令でお仕事していた時代ですからね。まあ、受けたかぎりは恥をかきたくないという一心でね」。
 
 「私生活でも、お酒も飲めるだろうし、けっこう遊べる人だろうみたいにね。それにものすごく抵抗しましたけどね。この道に入ったこともおかしいの。ひょこひょこ付いていったおまけが映画入りなんてね。井の中の蛙が大海に出るということは勇気がいることですよね」。
 
 「本当に最近ですね、これは女優冥利につきるみたいなことでポンと受けられるようになったのは。見かけからはそう見えないらしくて誰も信じてくれませんけど。京マチ子というとドライな肉体派のイメージが強いんですね。私が、こんなに臆病な人間だとは誰も信じてくれないの」。
 
                    
                京マチ子と二代目中村鴈治郎 ラストシーン近く 小さな駅構内


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