2021年4月6日      色にふけったばっかりに
 
 1995年3月に始まった「スタジオパークからこんにちは」の司会が堀尾正明、高見知佳に定着したのは1997年で、いつだった思い出せないが、そのふたりが進行係をやっていたころ、多彩なゲストが出演した。なかでも立木義浩と尾上菊五郎が印象に残っている。
 
 立木義浩の母をモデルにした「なっちゃんの写真館」(1980 主役は星野知子)という連続ドラマがあった。なっちゃんの祖父役は大友柳太朗。写真館というタイトルにひかれて毎回みていた。星野知子の純真、清潔感が新鮮に映った。
 
 スタジオパークは生番組である。堀尾正明は本番中に時々失言する。そこがおもしろく、その日もそうだった。
ゲストの立木氏が真顔で怒りをあらわにし、堀尾アナはひとことあやまればよいものを言い訳がましいことを述べたので立木氏は余計不愉快になる。高見知佳が老女のごとくうまく取りなさなければ、立木氏は席を蹴っていたかもしれない。
 
 菊五郎は見逃せなかった。話がうまいのだ。襲名披露の口上で艶のあることを言い場内をわかせる。
片岡仁左衛門(十五代目)の襲名披露のさい、「仁左衛門さんになにわの和事の真髄をご教示願いたく、隅から隅まで」と言い、坂東三津五郎(十代目)のときは、「別れて若い女性(近藤サト)と一緒になったのに、また別れて」と述べ、場内がドッときた。(和事の真髄はこの場合、色事の意)
 
 そういうことはよくおぼえているけれど、スタジオパークでの菊五郎の発言はひとつしか思い出せない。堀尾正明が番組終了まぎわ菊五郎に「歌舞伎で一番気に入っているセリフは何ですか?」とたずねた。
菊五郎の顔に打ち合わせなしと書いてあった。それでも堀尾氏は食い下がる。そのとき担当が「あと何秒」のプラカードを示したのだろう、菊五郎にしてはめずらしくあわてたような素振りで「色にふけったばっかりに」言い、エンディング。
 
 当時、菊五郎は50代後半。番組土壇場での質問に生真面目にこたえなくてもいい、適当にはぐらかせばいいではないかと思う反面、さすが菊五郎と思った。
 
 「仮名手本忠臣蔵五段目」の山崎街道、宵闇のなかイノシシを撃った勘平が獲物をとりに近づくと、横たわっていたのは人間だった。
祇園に身を売ったお軽の手付金50両をせしめようと執拗に追ってきた定九郎が与市兵衛((お軽の父)を刺し殺し、金を奪ったのだが、勘平はイノシシと間違え人を撃ったと動顛。思わず懐を探ると財布の小判にふれる。金は欲しい(討入り資金として)が押しとどめ、花道七三まで行き思い返す。
 
 縞の財布に入った50両を持って逃げるように帰宅した勘平は、お軽の実家に身を寄せ猟師となっていた。舅の遺体が運ばれ、縞の財布は祇園一文字屋の女将が渡したとわかる。自分が撃ったのは舅だったのかと狼狽する勘平。姑(お軽の母)に難詰され勘平は苦悶する。
しかし与市兵衛は刀傷であることが明らかになり、勘平の鉄砲が命中したのは定九郎で、結果的に義父の仇討をしたことになる。だが明かされる前に勘平は腹を切っていた。いまわの際、勘平は「色にふけったばっかりに」と言う。
 
 お軽は塩治判官の奥方に仕える腰元。勘平は主君(塩治判官)のお供で江戸に来ていた。奥方の手紙をたずさえて来た恋人お軽と勘平は庭で情を交わす。そのころ江戸城松廊下で事件がおきた。主君の急に駆けつけても中に入れない勘平は不忠を恥じて切腹しようとするが、お軽に止められその場を立ち去る。
 
 勘平の心のなかで何かが崩れ、喪失感にうちひしがれる。自らを責め、自己疎外に身を置くしかないだろう。討入り資金調達を願う夫の面目のため妻は身を売り、舅は死に、姑は悲嘆に暮れ、自分も死んでいく。すべての発端は、お家の大事と同日同時刻のあの日の情事である。よもや甘美に苛なまれるとは。
 
 奥底に潜む辛苦があふれ出たのは、悔悟は時間を超越し、心性が自責の念に根ざしているからだ。「仮名手本忠臣蔵五段目&六段目」がこんにちまで上演される所以である。人は過去の幽囚なのだ。
 
 菊五郎を勘平役者たらしめているのは、音羽屋のハラが人間の心性をとらえているからにほかならない。
実生活で浮名を流し、音羽屋の代表作が「弁天小僧」であり、名セリフが「知らざあ言ってきかせやしょう」、あるいは、「三人吉三」の「月もおぼろに白魚の」であるとしても、急な問いかけに菊五郎のクチから出たのは勘平のせりふ。舞台で役の人生を生きていることをはからずも吐露したのだ。
 
 束の間の恋にふけった。情事も手を握ることもなし。それでも女性の魅力に酔った自分を責めた。昭和43年11月下旬の経験(幕間 Short Stories 2020年5月11日「3日間の恋」)から53年。それにしても魅力的な女性だったと思えるのは、思い出は生きているからである。
 
                      
                     
                    2006年1月松竹座公演のチラシ。「落人」(道行旅路の花婿」)と呼ばれる勘平お軽の道行は
                    四段目「判官切腹」「城明渡し」の後上演され、東海道戸塚の山中。背景に桜並木と菜の花。
                    
                    勘平とお軽の気持ちが微妙に異なる舞踊劇。心すまない勘平と、それでも浮き浮き顔のお軽。
                    舞台は浅葱幕が落とされ始まります。仁左衛門の勘平もすばらしかった。


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