2022年3月18日      時代劇ではないのですが(四)
 
 朝ドラは「ひよっこ」以来だった。「ひよっこ」をみていたのは主人公役・有村架純が道東から京阪神へ来たチエちゃんによく似ていたからで、共演の藤野涼子もよかった。
この20年の朝ドラは「まっさん」、「純情きらり」しかみておらず、多部未華子の「つばさ」をみなかったのは返す返すも残念。多部未華子は宮崎あおいと芝居の実力が伯仲しており、コメディもこなす。すぐれた女優は飲み込みも早い。
 
「カムカムエブリバディ」の初代主役が上白石萌音ということでみる気になった。彼女は多部未華子に次ぐ世代のなかで演技幅が広く、せりふに潤いがある。神社の境内を歩くときはそういう風情で歩く。焼け野原にいるときはそういう顔になり、リヤカーを引く姿も自然でさまになっている。
西田尚美、甲本雅裕、段田安則、世良公則など助演にもめぐまれた。岡山で過ごし、大阪に出るまでドラマはおもしろい。音楽もいい。上白石萌音が去り、二代目主役が深津絵里になって失速。
 
 それでもまだオダギリジョーと市川実日子、近藤芳正が芝居を持たせていた。世良公則が米兵のパーティで歌うシーンは往年視聴者へのサービス。盛り上がる。
三代目川栄李奈が主役になってさらに失速。共演者も主役に合わせて低空飛行。初代の演技は魅力的だったが、二代目は陰気で神経質。暗い過去を背負っている者でも溌剌として快活な日々はある。深津絵里は重病患者のごとく元気がない。
 
 ドラマを自分の人生だと思うハラ(精神的指針)が薄いのか、ハラはあっても表現力が乏しいのか。そして三代目は学芸会。20代後半になっても稚拙でみていられない。だんだんわるくなる法華の太鼓。
 
 それでもなんとか耐えて2回みたが、煙をあげ墜落してゆくのでみる気が失せた。ぶつぶつ文句を言いながらみると伴侶に「(音声が)聞こえない」と注意される。伴侶もドラマがたるんでいるという気持ちだろうけれど、行きがかり上みている。
 
 連続ドラマは単発ドラマとちがって長丁場ゆえ、そのつど脚本、演出、キャスティングを工夫しなければどうしようもない。毎回みさせる朝ドラは10本に1本くらい。日本の場合、別の役なら問題なくても、この役には適していないことが多い。彼らの演技の幅が狭いからだ。出来心でオファーしてもうまくいかない。
制作者は出来心で主役を選ぶのではなく、閃いたとしても、脚本担当者ほか識別眼の鋭い者とよくよく相談してもらいたい。閃きは長続きしない。
 
 三代目がダイコンなので芝居にならず、15分持たないからテンポがわるくなるようなムダなシーンを頻出させて時間を稼ぐ。関西といえば阪神タイガース、吉本喜劇という先入観がはびこっているのか、お世辞にもコメディとはいえない吉本の安手のコントが関西人の好みだと思うのは大間違い。
 
 関西人が贔屓していたのは、戦前は人形浄瑠璃、戦後の人情喜劇は藤山寛美、狂言師なら四世茂山千作。喜劇は「てなもんや三度笠」の藤田まこと。彼らの芸は多彩で幅広い。
 
 カムカムは、今週(3月中旬)になって目黒祐樹、多岐川裕美が出てきておもしろくなった。目黒祐樹は岡山の人をうまく演じ、ドラマの役柄の来歴をじんわり感じさせる。多岐川裕美は若いとき役柄にもよるが総体的にヘタだった。
ところが徐々に力をつけ、今回の役(女中から経営者跡とりの妻になる)を見事にこなす。表情のひとつひとつ、せりふ回しに苦労人の情感が満ちている。いつのまにか感動させる芝居を会得した。
 
 世良公則もかつての喫茶店主の息子役で再登場。役者がそろった。このへんで深津絵里も気合いを入れて挽回すべき。母安子・上白石萌音は生死不明。生きて再会する日を願う。
安子役がほかの女優に代わっているかもしれないが、深津絵里のような花のない女優は花を添えることもできないと思われれば女優失格。そうならないために再会シーンを設けるのがよろしかろう。
 
 以下の文章は4月8日「カムカム」の最終回後に追記。
 
 森山良子のような芝居の基本ができていないタレントが出てきて、しかも数十年後の安子役をやるなんて、キャスティングがなっていない。森山良子はちゃらちゃら芝居をする。せりふも表情もわざとらしい。
 
 深津絵里や川栄李奈のダイコンが目立たないようさらにダイコンを手配したのかもしれない。感動シーンで祖母・母・娘3人の声に潤いがなく、みていて感動しない。後悔と喜びがあふれると無言になるけれど、感涙にむせぶ声は潤う。キャストが泣くとき心で泣かず、ぎゃあぎゃあ泣くだけでは視聴者はシラける。
 
 終盤は上白石萌音が出てくるシーン(回想など)だけがドラマにふさわしい響き、ハーモニー、懐かしさ、清々しさに満ちていた。うまい女優は人生に潤いをもたらすのである。

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