2019年7月13日      宮本武蔵と とおりゃんせ
 
 時代劇に向く容姿がある。ヨーロッパ、カナダ産西洋時代劇ならほとんどの俳優の容姿は時代劇に向いている。就中、前近代的なというか、中世的な面立ちをしている女優がおり、英国にそういう女優は多い。目の大小を問わず顔の形は卵形。高貴な女性の顔は特に卵形。丸い顔はしかし愛嬌があり、役柄によって顔の形を使い分ける。
 
 日本ではかわいいからという理由だけでもてはやされたり、ドラマの準主役、あるいはいきなり主役に抜擢されることもあるが、とんでもない。演技力の乏しいダイコンが西洋でキャスティングされることは稀として、端役なら。だが端役でもきちんとやらねば次のオファーはないと思っていいだろう。
そういう環境にあるから俳優は育つ。50年前までならともかく、日本のように甘っちょろい環境で育つと思うのは大間違いなのだけれど、ダイコンのまま使われるから恐い。日本の女優はまずくても店頭に並ぶ。
 
 映画「宮本武蔵」は戦後、三船敏郎(1954)、萬屋錦之介(1961〜1965)などが武蔵を演じてきた。配役で考慮すべきはお通と朱実である。お通はみるからに初々しい若手がやってこそ「らしく」なり、八千草薫(1954)、入江若葉(1961〜65)がお通をやっている。入江若葉の母はご存知・入江たか子。
昭和30年前後にやった「怪猫シリーズ」(「化け猫」映画)の主役・化け猫を務めて戦後世代に名を知られたが、華族(子爵・東坊城)出身の映画入りということで世間を賑わせた往年の名女優である。娘の若葉は母に較べると演技はいまいちであったが、独特の可愛げな目とデビュー当初のフレッシュな色気がよく、ときおり漂う香気は中年になるまでつづいた。
 
 お通役でどうしようもなかったのが海老蔵「武蔵 MUSASHI」(2003 NHK)の米倉涼子。
米倉涼子の持ち味は激しさ。お通に女の激しさがあるとしても、秘めなければ劇性を欠く。押し合いへし合いをする現代のお通は時代劇のお通にならない。途中、演技がまずまずと思えることもあったけれど、それは宮沢りえが登場したときだけ。詳細を説明することもないだろう。
 
 お通ほど武蔵と関わらなくても大事な役が朱実。岡田茉莉子(1954)、丘さとみ(1961〜65)などがやっている。岡田茉莉子の朱実は丘さとみのガラを上回わり適役だったが、性根をいえば、丸顔の丘さとみも負けず劣らずいいところをみせていた。
 
 朱実と母お甲は旅の芸人一座、お通とちがい朱実は世間慣れしており、男を知っている。あるいは、知っているかのごとくふるまう。それをハラで示せるかどうか。
読み方を知らぬいまどきの人、アケミと読む。芸人一座なら芸は必須。芸をみせる場面の有無は別として芸達者のハラと、濡れ場はなくても、濡れ場の姿態を隠して生きる女のハラが要る。みる者の想像力をかきたてる媚態を着衣のまま、それらしいシーンは一切なく、それとなく匂わせる。そこが難しい。往年の名女優は難なく演じた。格の違いである。
 
 役所広司が演じた「宮本武蔵」(1984〜85 全45話 NHK)のお通役・古手川祐子はたいしたことはない。朱実がよかった。池上季実子である。明るく、屈託はないのにどこか屈折していて、庶民的な品がただよう。芸達者でもある。
十代目坂東三津五郎と仲良し従妹で、生まれは米国なのだが、幼少時に帰国し、京都市内の祖父(八代目坂東三津五郎)の自宅で育っている。が、祖母の死後まもなく祖父は再婚し、この再婚相手がとんでもない女で、池上の母(八代目の娘)との仲もこじれ、池上母子は京都を出る。
 
 池上季実子の話に出てきた「おじいちゃん」は八代目坂東三津五郎のこと。歌舞伎界の博識として知られ、3歳上の先代(十三代目)片岡仁左衛門と交流が深く、両人が上梓した座談本のほかに芸談などで、「松嶋屋さんが」とか「大和屋さんが」と頻繁に登場する。十五代目片岡仁左衛門は池上季実子の「上」のアニキ的存在。「下」のアニキは池上が「おにいちゃん」と呼び親しんでいた十代目坂東三津五郎。
 
 そういう彼女が歌舞伎の影響を受けないはずはなく、所作、芝居の間、せりふ回し、イキのつかいかたなど時代劇の似合う女優として成長したのは自然。
しかし池上季実子が本領を発揮したのは朱実だけではない、江戸期深川の木戸番の妻を演じた「とおりゃんせ」全23話(1995〜1996)はすばらしい。原作は北原亞以子「深川澪通り木戸番小屋」。
 
 池上季実子の時代劇の切れのよさ、うまさはいまさらいうまでもない。ダイコン男優の代表格・神田正輝は木戸番役が妙に似合い、演技を感じさせない芝居をして上出来。妻役・池上が神田正輝の呼吸を読み、イキを合わせたからかもしれない。イキを合わせたことによって妻の芝居も引き立った。夫が心のなかで感謝したかどうか、知らない。
 
 「とおりゃんせ」は人情時代劇の傑作。池上季実子は切れのいいところを隠し、この人にしては癒やし系の役柄。そういうハラでのぞんでいる。それが見事に成功、しっとりした味わいをみせている。芸容も大きすぎず小さすぎず。江戸時代の深川、情景と情緒がよみがえるかのような「いい女」。
 
 共演の大木実が実にいい。俳優志望でなく裏方(照明助手)をやっていた大木実が俳優をめざしたのは、5歳年上の、ちょっとバタくさい顔で、妖しくも豊満な名女優・木暮実千代が、「どお、やってみない」と勧めたからという。
池上季実子、神田正輝、大木実の三人が庶民や下級武士のために一役買い、といってもおおむね聞き役なのだが、報われるかどうかの瀬戸際で、報われずとも魂の救済をえるシーンは切々と胸を打つ。大木実は名脇役だった。同心役・林隆三、ナレーター平田満、音楽や主題歌「水の恋唄」もよかった。
 
 時代劇をやる俳優が少なくなっているのは、祖父母が明治の風をなびかせなくなっているからだ。曾祖父母は江戸の風をなびかせていた。江戸期とまでいかなくても、明治期の古民家や町家も減った。季節の風物詩も激減している。
そういうご時世、時代劇をうまく演じる俳優は歌舞伎役者を除けばわずか、しかし、これはと思う俳優がいないわけでもない。役のハラをつかめる俳優すなわち役者である。江戸の風をなびかせる最後の女優は池上季実子かもしれない。
 
 海老蔵の「武蔵」では晩年の柳生石舟斎をやった藤田まことが手堅く、いい味をみせた。「無刀取り」という技により石舟斎が武蔵の真剣を両手にはさみ、刀もろとも武蔵をねじ伏せる素早さ、あざやかさ。
そして長門勇。畑を耕す老いた男に道をたずねる武蔵。武蔵の殺気を感じとるその男は宝蔵院の老師・日観(長門勇)だ。日観はすなわち胤栄(いんえい)、十文字槍という独特の槍を創出した槍術家であり、興福寺・宝蔵院の院主。
 
 「三匹の侍」(1963−1969)で風采の上がらない男は斬り合いになると、切っ先鋭い槍の達人ぶりをみせる。長門勇だ。日観は槍のかわりに鍬を持っているところが演出の妙。寺の作男が野良仕事している。目立たず、外見は強そうにみえない。が、この老人はただ者ではないと思わせる何かを持っている。その何かがハラ。長門勇会心の一幕。
 
 朱実の内山理名もよかった。せりふ回しは及第すれすれ、女っぷりも池上季実子や往年の女優に及ばないのはしかたないとして、ガラが合っており、朱実の「らしさ」を表現した。
ほかに出雲阿国の片岡京子(十五代目片岡仁左衛門の次女)、池田輝政の中村勘三郎(当時は勘九郎)、細川忠興の夏八木勲が記憶に残っているが、思いがけない拾いものは宍戸梅軒の妻役・水野美紀。
 
 夫・梅軒から鎖鎌の扱いを教わった妻は、武蔵との果たし合いの末に敗れた夫の仇を討ちたい気持ちはあるが、仇討などせず故郷に帰れという夫の遺言にしたがい、武蔵に伴われて帰郷の途につく。
その道中、阿部寛演じる祇園籐次が武蔵襲撃を企て、彼女は鎖鎌をふるって武蔵に加勢し、危うく難を逃れる。複数のごろつき相手に戦う水野美紀は健気で、殺陣のかたちも決まって迫力もあった。
 
 武芸者のなかでも剣豪といわれた武蔵は、高名な吉岡一門と京都・一乗寺下り松で戦い名をあげた。武者修行中、ほとんど敗れることのなかった武蔵も若いころ、老人柳生石舟斎にいとも簡単に負かされる。日観に殺気を隠せず、目的を見破られる。上には上がいるのだ。
 
 果たし合い、女人との交流を主眼とした武蔵もそれなりにみどころはある。しかし老いて哲学者の風貌さえそなえた武蔵が、自らの考えを組み立て、工夫し、再構築し、その過程で苦悩するすがたとその後をじっくり描いた作品は少ない。
武芸も芸であってみれば、修練をきわめれば至極に達するかもしれない。実人生と同じく深みのある武蔵。12年単位で再生をおこない、剣術以外の新たな道に挑み、会得しようとする男。歴代の宮本武蔵役で誰よりも印象に残った役所広司、生涯の当たり役である。
 
 関ヶ原、幕末だけが時代劇ではないだろう。所詮娯楽と言ってしまえばそれまで。煎じ詰めれば生きることも娯楽にほかならないという皮肉な見方もできる。
人生は美しくあるべきだ。美しく過ごすための工夫、娯楽実現につきまとう苦難はむしろ当然。芝居とは役の人生を生きることだ。役を本気で愛し、本気で憎まなければその人間になることはできない。しかしふつうの人間がそうするように、愛も憎しみもハラにしまってあらわにしない。愛憎は複雑なのだ。
 
 「とおりゃんせ」のようにしみじみとした人情時代劇、「宮本武蔵」のようにいさましく印象深い人生を描いた時代劇が再生されることを願ってやまない。

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