2024年9月12日      篤姫
 
 2008年に放送された大河ドラマ「篤姫」(脚本は田渕久美子)アンコール放送を第34作目「公家と武家」から視聴しはじめた。2008年、篤姫をみていたときもそこから最終回にかけてが抜群のおもしろさだった。天皇の妹(腹違い)が将軍の正室になる(和宮降嫁)という前代未聞の出来事を契機に歴史は加速度的に動いていく。
 
 幕末史上有名な和宮役の堀北真希がどういう芝居をみせてくれるのか。薩摩出身の篤姫をやっている宮崎あおい、大奥の年寄り瀧山役・稲森いずみは、役のハラを完全消化し、見応えのある芝居をしている。そういう芝居巧者と渡りあい、ひけを取らないだろうか。
 
 ひな人形のおひなさま(女雛)のような衣裳に目を奪われる。髪型は床山の担当として、堀北真希の面立ち、風情は単なる原資ではなく芝居力である。気品を感じさせるのは、細かい表情の変化、目の伏せ方、たたずまい、皇室の尊厳などを自然に表現し、微塵も演技を感じさせないからだ。あたかも生まれたときから備わっているかのように。
謎とか不思議とかの陳腐な話は避けたい。しかし堀北真希がどのように役づくりをしたのか不思議。京都御所から江戸城に来ても、ひたすら美しく過ごしたいと願い、その気持ちを体現しようと考え、共演者の所作に応じてそのつど工夫したのだろうか。
 
 嘆きも怒りも、複雑な愛憎もハラにしまってあらわにせず、当然のことだが薩摩の島津久光(山口裕一郎)のような直情激昂型と異なり、周囲の思惑を見計らい、考慮しつつ行動する。それにしても久光をやった山口裕一郎のせりふ回しのうまさには舌を巻いた。発声の基礎がしっかりしているのだ。
激怒してもせりふを損なってはならない。朗々として聴き取りやすく、大名らしい品位を保ち、陰影に富むのが時代劇のせりふ。口跡のわるい俳優はペケ。山口裕一郎のせりふ回しは激昂するシーンでも不快感をあたえない。
 
 堀北真希や観行院(和宮の生母)をやった若村麻由美は口跡がいい。観行院(かんぎょういん)の実家・橋本家は京都御所と京都迎賓館のあいだに「橋本家跡」として「京都御苑案内図」に記されている。孝明天皇と生母は違うが、孝明天皇より和宮のほうが歴史の重要人物ということになる。橋本家の祖は西園寺。
 
 若村麻由美も時代劇に欠かせない女優である。人情時代劇ドラマ「柳橋慕情」(2000)の主役おせんを演じた。共演者の吉田栄作、田中実(故人)が常にはない芝居をやって飽きさせなかった。共演者も、内藤武敏、左とん平、滝田栄、織本順吉、市毛良枝などの役者がそろった。脚本は大野靖子。
 
 父・仁孝(にんこう)天皇崩御後に和宮が誕生し、観行院は実家の橋本家で和宮を育てたという。江戸へ降嫁するさい、観行院ほかの女官が随行し、観行院はそのまま大奥にとどまる。
京と江戸の生活習慣は異なり、朝廷が幕府に示した約束事は大奥に伝達されておらず、観行院は反発、篤姫や大奥ともめにもめたらしい。実相はドラマを参考にしながら想像するほかないとして、プライドの衝突云々ではなく、観行院も篤姫も気骨ある女性だったのだろう。
 
 2024年9月10日毎日新聞夕刊に安藤優子と伊達公子の対談が載っていた。そのなかで安藤優子は、「ありのままというのは、時に残酷で、時に切なく、やりきれない感情がたまっていきます」と述べている。ありのままの継続は気骨の産物と考えれば納得できる。
 
 「篤姫」の男性出演陣では、徳川家定役の堺雅人、家茂役の松田龍平が好演し、小松帯刀の瑛太(永山瑛太)も地味な役をうまくこなしていた。小松帯刀の実父役で鹿児島県出身の榎木孝明も善玉、悪玉を問わず時代劇に欠かせない役者。身分が低く、生計の苦しい家ゆえ子の才能を支援できず、しかし何とかしたいというやるせない気持ち、厚い心が伝わってくる。
 
 「篤姫」で出色だったのは大奥筆頭年寄りとして老中から一目置かれたといわれる瀧山役・稲森いずみ。瀧山はおそらく見た目が快活で偉ぶらず、部下への心配りにすぐれ、頭の回転がはやく、人の心をつかむすべを心得ていたのだろう。
人の心をつかむのは技術ではなく資質であり、徳である。天与の才といいかえてよいかもしれない。瀧山の実年齢は篤姫より30歳ほど上なのだが、宮崎あおいよりひとまわりほど年長の稲森いずみを抜擢し、成功した。
 
 本寿院(家定の生母)の側近で家定の乳母だった大奥年寄り歌橋(岩井友見)は、本寿院以上の権勢を誇ったといわれる。翻って、将軍の乳母ではなかった瀧山が大奥の頂点にのぼりつめたのは才覚と気遣いの賜物であったろう。
篤姫(家定没後は天璋院)との関係、距離感も絶妙で、御意にしたがう面とそうでない面を稲森いずみはうまく使い分ける。瀧山の才覚が大奥だけでなく幕閣との関係を円滑にしたものと思われる。
 
 田渕久美子の脚本がよかったのと、キャスティングも練り込まれていた。2011年の大河ドラマ「江〜姫たちの戦国」も田渕久美子の脚本だったが、「篤姫」と同じ脚本家なのかと疑った。キャスティングも著しく劣化しており唖然。10話くらいは辛抱してみたけれど限界。何かの間違いでアンコール放送されることがあったらご覧になるといい。
 
 2005年の「義経」で稲森いずみは源義朝の側室・常磐(ときわ)となって今若、乙若、牛若の母となる。牛若と別れを惜しむシーン、雪が降りしきるなか、常磐の嘆きが伝わってきた。立ち居振る舞い、愛する子と別れねばならない表情が見事で、苦難を背負ってこその牛若丸の活躍、そして義経の悲劇さえも連想させる。
 
 常磐は絶世の美女だったらしく、清盛の愛妾となり一子をもうける。その女子が天下一の美女といわれた廊御方(「あっち向いてほい」2022年2月2日「西行の時代補記(四) 都を離れて」)。
 
 宮崎あおいと稲森いずみを配したのは制作者の手腕。古き良き時代にはそういう実力者がいた。瀧山、天璋院篤姫のキャラクターを隠れ里、隠し味的な、日本人好みの発想に陥らせず、堂々と発言し、事実吐露させる設定。激動の幕末の大奥なのだ、「ここだけの話」が通用する時代でも場所でもない。
 
 「光る君へ」ではまひろ役吉高由里子が道長に対して臆せず堂々と接する。そうでなければドラマは盛り上がらない。昨今、制作者、俳優の凋落はすさまじく、時代劇ドラマの先行きが危うい状況での吉高由里子、柄本佑の健闘は好ましい。赤染衛門役の凰稀かなめは宝怏フ劇出身にしては芝居がうまい。貫禄があってよいのかよくないのか判断しがたいところだが。
 
 「青天を衝け」、「鎌倉殿の13人」、「どうする家康」と3年連続で男性主人公の駄作を放送してきた大河ドラマ、「女城主 直虎」(2017)の主役・柴咲コウは評にかからず論外。2016年以降、男優が主人公のドラマでこれはと思えたのは、「真田丸」と「麒麟がくる」だけ。
「光る君へ」は、大道具と衣裳に金額を投入しても脚本がぱっとせず、共演者もいまいち。秀逸なのはイントロの吉高由里子の表情と撮影、音楽だけかもしれず、「源氏物語」執筆をはじめた彼女を脚本力によって鮮明にせねばドラマは色あせる。これぞ平安時代と思える山河の撮影も望みたい。
 
 「光る君へ」のキャスティングで特筆すべきは一条天皇役の塩野瑛久(あきひさ)、芝居もうまい。円融天皇(坂東巳之助)と藤原詮子(吉田羊)とのあいだに生まれたとはとうてい思えぬ容姿。マガモから生まれたハクチョウ。稲森いずみが藤原詮子(あきこ)をやっていれば納得したろうけれど、そうなると吉高由里子の影が薄くなる。
 
  画像は拾翠亭  京都御苑は拾翠亭、閑院宮邸跡、京都御所、仙洞御所、大宮御所、京都迎賓館など見るべきものが多い


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