大河ドラマ「べらぼう」の第一回は明和の大火(1772)で始まる。明暦の大火(1657)ほどの死者数は出なかったというが、それでも1万数千人が亡くなった。
ドラマが始まって間もなく、主人公・蔦屋(つたや)重三郎と遊女・花の井、遊女・朝顔が燃えさかる吉原の大通りを走り抜けようとする前、炎と熱から身を守るため井戸水を汲んで身体にかけるシーンがある。
重三郎、花の井、朝顔はそれぞれ横浜流星、小芝風花、愛希れいかが演じている。べらぼう一回目で最も印象に残ったのは、制作者の思い通りこのシーン。
火事場の臨場感は撮影、カメラワークのお手柄であるとして、小芝風花、愛希れいかの水ぶっかけの迫力が見事。特に愛希れいかはほかの2名より1回多くぶっかけた。初回のみどころはそこだけといってもいいすぎではない。
愛希れいかは昭和レトロドラマ「アイドル」(主役は古川琴音)の舞台女優役で好演している。「べらぼう」でも初回で死ぬのはもったいないほどの芝居をしているけれど、過去の大河ドラマにも貫地谷しほり(風林火山)、吹石一惠(平清盛)、国仲涼子(光る君へ)などが初回であっけなく死んでいる。制作者の狙い通りということなのだ。
小芝風花は「あきない世傳 金と銀」の主役で成長し、「べらぼう」の遊女でどんな役づくりをするのか楽しみにしていた。花魁(おいらん)下駄をはいてそれらしく練り歩くための特訓をしたらしい。深夜、神社の境内、高下駄で歩く若手女優。お百度詣りという歩き方ではなかったろう。
共演者でこれはと思ったのは山路和弘。堅気と異なる女郎屋(扇屋)元締の鋭さと貫禄を感じさせ、せりふ回しがうまい。水野美紀はとかくグロテスクになりがちな役柄を寸前で押しとどめ、品のなさをうまく表現している。引手茶屋の女将に今後どのようなせりふを言わせるのか期待できる。
若き長谷川平蔵役の中村隼人は「大富豪同心」の同心役とダブってくる。中村吉右衛門の鬼平犯科帳の贔屓にとって隼人は物足りないかもしれない。隼人が本領を発揮できる場面、ドラマの進展とともにうまい役者が次々登場することを期して。
時代劇には京都の寺院や庭が頻繁に登場する。なかでも多いのは大沢池(おおさわのいけ)、妙心寺のいくつかの塔頭、東福寺通天橋、安楽寺などだが、ここは絵になると思っても撮影で使われなかった智積院(ちしゃくいん)がようやく出てきた。
田沼屋敷で重三郎と意次が会話を交わす場面。智積院の襖絵と庭園。有名な庭ではないから拝観する人は少ないが、座敷が横に長く、畳、縁側を入れて眺める庭は、池の色、つくばい、築山が調和し、撮影に適している。
2025年1月12日、2回目をみた。平賀源内をやった安田顕の風合いはよかったが、早口でまくしたてせりふがわかりにくい。実力のある人なのでせりふ回しに工夫がほしかった。
田沼意次の渡辺謙は石坂浩二とのシーンに役者の差が出る。長年キャリアを積んできた人にしては、渡辺謙の芝居が一本調子で単調。ハラで性根をあらわし、顔で芝居しなければ役がへたってしまう。石坂浩二のちょっとした表情はさすが、一枚も二枚も上であることを感じさせる。
ドラマ全体にいえるのは脚本に工夫が足りない。せりふをあてがえばいいというものではないだろう。シーンの多くは退屈で、制作者の意図に反して見せ場が生かされていない。特に武士階級のせりふのやりとりは魅力に乏しく、だらだら流しているだけで要点を把握しにくい。
このドラマで得をしているのは小芝風花。遊女はまずまずだが、歌舞伎・女形の大名跡・瀬川菊之丞ふうの若衆姿は似合っている。舞踊は小芝風花の研究熱心の賜物で、衣裳も着こなしていた。遊女はそのうちに板についてくるだろう。
花の井(後の五代目瀬川)は世に名高い鳥山瀬川事件の鳥山検校(けんぎょう)に1400両の大金で身請けされ、重三郎はそれを記事にしたのかどうか。出版していればバカ売れしたのではないだろうか。学術的な出版物なら学者や評論家気取りのインテリが買う。一般書で庶民の関心をひく出版物は低価格なら評判になって売れる。
身請けされたところで小芝風花の出番が終わり、「あきない世傳 金と銀」のシーズン2がスタートするような気がする。ところで、現在最もおもしろい時代劇は「雲霧仁左衛門」。残り6話、今回がファイナルだと。ばかいってんじゃねえよ、べらぼうめ。
田沼意次と蔦谷重三郎が対面した田沼屋敷は智積院(ちしゃくいん 2016.4.15撮影)がロケ地(下の画像)

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