大河ドラマ「べらぼう」が2月16日放送分でよくなった。それまでの脚本と同じ作家が書いたものとは思えない変わりかたなのだ。妓楼(遊女屋と呼ばない))と遊女を紹介するガイドブック「吉原細見」を改訂する話が持ち上がり、値段を半分にして倍売ろうと情熱をそそぐ主人公(蔦重)を妨害する連中のせめぎあい。
ほとんどが敵に回るなか、さまざまな人から知恵をもらい、自分も創意工夫をこらしてがんばる蔦重。持ち歩けるガイドブック「吉原細見」は魅力的である。ものづくりの楽しさを描く脚本家の多くは書き進むにつれて花も実もあるせりふを書けるようになるのだろう。
自ら版元になるため、隆盛から衰退に転じた吉原遊郭の客足を呼びもどす一助となるようガイドブックの作成を手がける。吉原に生まれ育った蔦重は吉原の役に立ちたい。遊女と引手茶屋の紹介本は吉原で遊女買いする客だけでなく、吉原の実態を知りたい者、吉原で遊ぶ金を持たない者にも売れるだろう。
瀬川を襲名した花の井(小芝風花)は吉原で売れっ妓の高級遊女である。しかし娼妓であることに変わりはなく、2月23日放送の「べらぼう」で行為後、使用済みの懐紙を手にする瀬川。リアルなシーンだ。
女優として一皮むけた小芝風花と言いたいところだが、彼女の隣でぐうすか眠っている客がいて、淫らさより「仕事ゆえしかたないのでありんすよ」と言いたげな楚々たる風情を見せるところ、花魁(おいらん)と娼妓を並立させたところが見事。
世の中には見せ場のない人間がいる。肝心なときに態度をあいまいにし、言葉を濁す人間は見せ場をつくることができない。率先して決めることも行動することもなく、隣人の足跡を追うだけだ。
そういうタイプは生涯にわたって盛り上がらないか、盛り上がりかけても空気が抜けた風船のごとく落下する。自らが風船であることも、落下していることにも気づかない。
見せ場のない人間に魅力がないように、見せ場を欠くドラマには魅力がない。日和見で小心者がドラマの主人公もしくは共演者となっても、共感を得るのは同種の人間だけだ。
明和の大火(1772)で大きな傷手を被った江戸市中。全焼した吉原も例外ではなかったが、被災者救済、町の再建に幕府は尽力する。各大名に命じて粥を支給したり、遊女のために仮設住宅を建てさせ、それ目当ての客も集まった。
品川、板橋、千住、そして1772年に再開された内藤新宿など、いわゆる岡場所が勢力を増し、吉原の引手茶屋が翳りをみせはじめても有効な方法を見いだせなかった。
当時の品川宿には約500人、板橋宿と千住宿にはそれぞれ約150人の飯盛女(娼婦)がいて、内藤新宿も150人まで置くことを幕府から許可されたという。
客寄せが目的でつくられた「吉原細見」は挿絵入りで遊女を紹介し、どこへ行けば彼女たちと遊べるか記している。20年ほど絶えていた瀬川の名跡を継承する話が持ち上がり、蔦重が作成した細見は飛ぶように売れる。というのが「べらぼう」の筋書き。
出版を一手に引き受けていた地本問屋は対抗策を講じ、蔦重を版元に加えるという約束を反故にする。そのやりとりを蔦重、引手茶屋とおこなうのだが、脚本力が生かされた。蔦重がああ言えば鶴屋がこう言う。こう言えばああいう。善良な市民と慇懃無礼な官僚の対話のようだ。
地本問屋「鶴屋」の風間俊介の芝居が憎たらしい。表面上、地味で親切めいた人物にみえるだけに余計ムカムカする。こういう輩には石でも投げてやろう。
あまたの引手茶屋は卒然と聞いているだけ。遊女屋(引手茶屋)は「亡八」と呼ばれ地本問屋からバカにされている。子どものころ亡八ということばを聞いた記憶がある。いつ、どこで、誰が言ったか思い出せない。
亡八(仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌の八つの徳を忘れた者の意)。昭和30年代初め、受けた恩を忘れる者を亡八と呼んでいたのかもしれない。
お前たち亡八には何の手出しもできまいと言わんばかりにぞんざいな態度の地本屋に対して、堪忍袋の緒が切れた引手茶屋「駿河屋」(高橋克実)は鶴屋(風間俊介)に殴りかかり、階段から蹴落とす。居並ぶ引手茶屋と視聴者の溜飲が下がる瞬間である。
高橋克実が蔦重に暴力をふるっていたのはこのシーンの伏線だったのかと思い至る。あいまいな態度を取り、至らないシーンのみで成り立つならドラマは楽。
脚本、演出のよさとあいまって引手茶屋「駿河屋」、蔦重の芝居が冴える。風間俊介の芝居がいいから横浜流星と高橋克実が引き立つのだ。2月23日放送分から俄然おもしろくなってきた。視聴者の納得がいく脚本を書きつづけてもらいたい。
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