2025年12月29日に放送された娯楽時代劇「丹下左膳」は、黛りんたろうの演出と、伝法肌(でんぽうはだ)のお藤を演じた黒木華(はる)が成功に導いた。黒木華が従来の役と真逆の姐御役をうまくこなしたのに感心。
森山未來の丹下左膳は大いに疑問だったけれど、キレのある素早い動きがさまになり、殺陣を盛り上げたのはお手柄。ダンサー出身なので身体が反応したのか。
殺陣といえば榎木孝明。道場主役で登場し、丹下左膳と斬り合う。榎木孝明の殺陣は構えといい、腰のすわり方といい、殺陣の見本。師範代役・福士誠治も好演。
丹下左膳は戦前戦後、大河内伝次郎の当たり役だった。1928年から1954年まで(戦中は製作されず)、16回もやっている。「姓は丹下、名は左膳」というせりふも伝次郎が言って、後の定番となった。
明治大正、そして昭和の前期に生まれた人で伝次郎の丹下左膳をみなかった人は稀少。彼は当時のトップスター、石原裕次郎的存在である。
しかし小生の左膳は大友柳太朗(1912−1985)。東映時代劇俳優のなかで殺陣が最もうまく、乗馬も得意にした。動きにムダがなく、剣さばきがスピーディで、しかも流麗。
最高の当たり役は「怪傑黒頭巾」、つぎに「むっつり右門」だったけれど、もともとせりふ回しに難のある彼は丹下左膳の早口は苦手だった。それが独特の味となって大友左膳をつくりあげてしまう。
大友柳太朗は晩年、テレビドラマ「北の国から」に出演した。純(吉岡秀隆)の親友・正吉の祖父役だった。偏屈だが骨のある老人で、時々虚言をいうので近隣の評判は芳しくないが、根はやさしい。
馬を飼っており、老人の馬を見る目にやさしさ、そして馬を愛する気持ちがあらわれている。乗馬を愛した大友柳太朗ならでは。
純と雪子(純の叔母)が車で移動中、吹雪に見舞われ身動きがとれなくなった。その報を耳にし、いち早く助けにいったのは老人である。吹雪が激しく、積雪も深いため車は走れない。馬車なら行けると疾駆し、車を覆った雪をスコップでかき、あわやのところで彼らを救出する名場面。
「北の国から」の脚本家・倉本聰はまちがいなく大友柳太朗の時代劇を映画でみていた。老人はまさしく、年老いた怪傑黒頭巾である。
今回の「丹下左膳」で黒木華がやった役は、阪東妻三郎が左膳のときは淡島千景、大友柳太朗のときは長谷川裕見子(船越英一郎の母)、丹波哲郎のときは嵯峨美智子(山田五十鈴の娘)と、伝法肌をうまくやれる女優。そういう点からガラの合わない黒木華の好演は光る。
御用のすじからお尋ね者とされているお藤(黒木華)は、つらい少女時代を過ごしてきたと思われる。左膳と出会って、片目、片腕なのに希望を失わず生きているすがたをみて自分を取りもどし、惹かれていく。左膳が危機に陥ったシーンでお藤は2丁拳銃をぶっぱなす。ラストシーンは東映時代劇ここにありの見せ場。
子どものころ、チャンバラごっこで丹下左膳をマネした。右腕は失っているという前提で、左手を使って枯れ枝の剣を振り回す。左右どっちだったか迷いつつ片目をつぶり、時々両目を開ける。片目だと視野が狭くなり、横から斬りつけてくる者が見えない。
斬られ役に転落した場合、なるべく斬られないよう逃げる。ずるいとか卑怯とか言われて仕方なく斬られるときの気分はどん底。相手も同じ気持ちで斬られたのだろう。
「やられた!」と言わず黙って笑みを浮かべて倒れる子もいた。ほほえまれると薄気味悪いが、かえってリアル。たかがチャンバラなのだが、倒れ方や表情を工夫する子としない子。しない子はアタマもよくない。と言ってしまえば身もふたもないがほんとうです。
大友柳太朗が時代劇で活躍したのは65年以上前、小生が9歳か10歳のころ、彼の丹下左膳を小さな映画館でみていたとき、危機一髪をしのいで敵を倒す場面ですすり泣く声がしたような気がしてうしろを振り返った。泣いているのが恥ずかしいのか、うつむいている。白装束の傷痍軍人だった。片腕だった。
映画館を出て歩き出し、従姉が言ったことを思い出した。「丹下左膳のマネしたらあかんよ。戦争でひどいめにあった軍人さんに気の毒」。昭和30年代半ばまで、仕事先のない傷痍軍人(しょういぐんじん)は家族を養うため、片手でアコーディオンを弾き、ハーモニカを吹き、家々の軒先を回っていた。
自宅の玄関で演奏する傷痍軍人に会ったことはある。が、映画館で会ったことはない。その後、チャンバラごっこで丹下左膳はしなくなった。近所の子がやろうとしたら「やめよう」と言うか、何も言わずその場を去った。
戦争で身体と心に大きな傷を負ったのだ。心の傷を理解したのは後年だったが、ことばは知らなくてもわかる。丹下左膳も怪傑黒頭巾もヒーローであることにかわりはない。
大友柳太朗の丹下左膳

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