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ウェールズの首都カーディフに2泊した後、プジョー406を東に向けて走らせた。M4〜A346〜A338経由で
BEACON HILLまで来たところでA303へ入ったが、しばらくして進行方向左下に忽然と現れたのが
ストーンヘンジだった。古代遺跡を見下ろしていたのである。その場所、その角度でしか見られない風景。
ストーンヘンジは間近でみるより遠くからみるほうが躍動感に満ちている。パキスタンのモヘンジョダロ、
明日香の石舞台と同様、大地の蠢き、鼓動を感じる。私たちはまぎれもなくそことつながっていて、
そこに帰着する。私たちの魂は時空を超えて確実に古代と往き来しているのである。
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ストーンヘンジの駐車場が広いと感じられないのは、広大なソールズベリー平原の小さな点にすぎないからだ。
なだらかな丘陵のほかに目をさえぎるものもなく、ヒツジの群れが草をはんでいる光景も見過ごすほどである。
このあたりはソールズベリー平原の一部にすぎず、緑と灰色の衣をまとったこの一帯を、
だれがいったか、数頭のグレイハウンドがしなやかに身を伸ばし走り去る姿にたとえている。
ストーンヘンジにはロマンよりむしろ、神々が草原に広げた静かなテーブルについているような、
そしてまた、食卓を共にした人々があたかも昔からの仲間であるような何かを感じるのだ。
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三十数年ぶりの英国、A429のドライブは私の長い運転歴で最高の「fun to drive」だった。
Marlborough(モウルバラ)までの変化に富み、緑豊かな田園風景、すれちがう車が
一台くらい来ればいいのにと思った快適な道、田園をわたる風の爽快さ。
ソールズベリー大聖堂は1220〜58年にかけて建てられた初期ゴシック
様式の、英国一の高さ(123b)を誇る建造物である。
大聖堂にはマグナ・カルタ(現存は4冊)のうち保存状態のいい1冊が残っているとか。
また、英国最古の時計も収納されているそうである。
英国のなかでは、この大聖堂の尖塔が最も美しいと私は思っている。
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中世以来の古い家並みが残り、13世紀にはじまった市場が週二回開かれる。
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ソールズベリーのMilford streetにある客室53のレッド・ライオン。
ソールズベリーの宿としてはWhite Hart(68室)に次ぐ規模。
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南ウエールズ・カーディフからM4経由スウィンドンまで行き、そこからA346を13qほど行くと
Marlborough(マルボロといいそうになるがモウルバラ)の町に出る。その数キロ手前のOgbourne
にこのパブがあった。昼時で車を運転しながらキョロキョロしていたから見つけたようなものである。
入ってすぐのカウンターには常連とおぼしき中年男が数名、黒ビール片手に四方山話
の花を咲かせ、裏庭テラスでは太陽の下、十数名の老女がランチをたのしんでいた。
パブの主は30代後半の、すこぶるつきの苦み走った美男子で、ふらりと入ってきた珍客に見事な
応対ぶりを示した。その物腰、心をつかむような眼差しは、このパブのなんたるやを物語っていた。
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パブの主は何のてらいも気取りもなく自然体なのである。店内を撮影させてもらったが、撮影者(私)を見る目
が実にイイ。肝心の料理も美味。つれあいはシュリンプの炒めたものを、私は鶏もも肉のカレー味ソース煮を。
一品の量はご承知のとおり結構多いが、ペロっとたいらげた。この近辺の住人であれば常連になっていただろう。
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夫婦が仲良く旅しているのもよいものだ。ムーアで草をはんでいたヒツジが近寄ってきて、のんびり気分が
ましてくる。奥さんが突然トランクを開けたが、ヒツジを押し込み、今晩の「on the menu」にするのではない。
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「嵐が丘」の舞台はここからさほど遠くないハワース・ムーアである。原題「Wuthering Heights」の
ワザリングは、ムーアに吹く強い風がビュービュー鳴るさまをいうこの地方独特の形容詞だが、
荒涼たるムーアといい、Wutheringといい、まるで自分の心のなかの風景のような気がする。
(Wuthering Heights=嵐のような寒風にさらされた土地)
秋でもない(6月末)のに黒々したヒースの茂る原野。ときおり聞こえるつむじ風の音に耳をそばだて
2時間はいたろうか。英国はただでさえ高緯度に位置するが、ここまで来るとさらにその感が強くなる。
日中、太陽はムーアすれすれの高さまでしか上らず、そのままの位置でぐるりと移動するだけなのだ。
こういう自然環境のなかで綴られた「嵐が丘」とヒースクリフ、そして著者エミリー・ブロンテ。
つくる人とつくられた人は別々の人ではない、すべてみなムーアに生きた同じ魂なのである。
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英国らしい場所を‥と訊かれたら、ムーアと応えるだろう。むろん、コッツウォルズ、コーンウォール、
南イングランド、ハイランドなどみなそれぞれに英国らしいし、英国の心を語るに適していると思うが、
心の風景と呼ぶにふさわしいのはムーアとダノッター城(ハイランド)だけだ。
都会に当たり前のごとく存在するものがそこにはない。だが、ないがゆえに在るものに満ちあふれている。
それが何かを知ることが旅であり、旅の果実なのかもしれない。
ムーアに群生するヒースのなかで風はうめき声をあげていた。
荒涼とはこういうものか、そう思わずにいられなかった。
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