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ヨークとエディンバラの中間にある大聖堂と大学の町ダラム(Durham)。
町の幾つかの建造物が世界遺産に指定されている。こじんまりした町(人口3万7千人)だが、
おしゃれなレストラン、カフェ、本屋、趣味の店などが目白押し。美し景色がいっぱいある。
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ウィア川に三方を囲まれた丘の上にダラムは位置し、城塞と大聖堂(1133年)が彩りを添えている。
城はダラム大学の寮となっており、この橋を渡ると大学(1657年)と大聖堂に。橋の下は深緑色のウィア川。
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ウィア川には橋がたくさん架かっている。私は川が好きで、川面を眺めて飽きることがない。
流れの迅い川、ゆったりした川、鏡面のような川、それぞれに表情がある。
物音一つ立てず静寂を装っているが、川底には太古からの蠢(うごめ)きがある。
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ダラム大学はボートが強い。ボートは男だけのものではなく、こうして女子学生も練習に励んでいる。
若い女性が運動する風景もよいもので、彼女らはチョッと休憩だろうか。
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この大聖堂で偶然聴いた讃美歌の、えもいわれぬ美しさは何としたことであったろう。
ヨークミンスターで聴いた讃美歌もたとえようのないほどであったが、ダラムは天上の声、天使の歌。
回廊を歩く修道士にも会い、中世の英国にいるような錯覚にとらわれた。
祈るときの声の響き、讃美歌の声の美しさに再び瞠目させられたダラムの町。
★大聖堂内部は映画「ハリーポッターと賢者の石」の魔術学校ボグワーツの授業風景に使われた★
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ここから見るとわからないが、バンバラ城の後ろは北海である。それも、手が届くほど近い。
バンバラ城はアームストロング卿が19世紀に買い入れ、その後、卿一家収集の歴史記念館が城内に
設けられた。甲冑、銃剣などが誇らしげに陳列されているが、見るべきは北海と城の周囲の景観である。
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1772年、バンバラ城の所有者となったJ・シャープは私財を投じて城内に学校、図書館、病院をつくり、
城内の建物の一部を住居用に修復した。1786年には世界初の救助船のための停泊所を建設、
難破船の乗組員を保護するリハビリ・センターとして城を活用した。しかし、その後の度重なる財政逼迫に
より売却を余儀なくされる。城を引き継いだアームストロング卿は1894〜1903年に住宅設備(8箇所)
を充実させるなどの工事をおこない現在に至っている。城は卿の生活場ゆえ夏期のみ一般公開される。
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ナショナルトラストは実に真面目にきめ細やかに自然と歴史的建造物を保護育成している。
それに費やす予算は尊敬に値するもので、どこぞの国の自治体のごとく、固定資産税ほしさに竹林や雑木林
を根こそぎ伐採した跡地にガソリンスタンド、スーパーマーケット、パチンコ屋が建ったという話は聞かない。
文化遺産を自ら守るという意識が根づいているから、いくばくかの入場料をとり修復費用に充当する。
少ない予算では多くのことをまかないきれず、施設の装備が整っていない場合もあるが、それはそれ、
真摯に地道に黙々と仕事している姿に心打たれる。文化遺産だけでなく、そうした姿にふれたいと思うのだ。
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バンバラ城から見た北海と反対側の景色。巨大な黄色の色紙でおおったようなタンポポ畑。
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