2024年4月21日    将軍塚青龍殿 大舞台

 
 京都市山科区の将軍塚青龍殿の大舞台を初めて知ったのは2015年1月3日放送のテレビドラマ「京都人の密かな愉しみ」第一回だった。大学教授エドワード・ヒースロー役・団時烽ェ完成したての大舞台を歩き、京都盆地を一望する。時季は晩秋か初冬。
黒のオーバーコート、赤のマフラー。清々しく満ち足りた顔を見て、ヒースロー役は団時烽フ生涯の当たり役になると思った。ダンディなのに庶民的、コミカル。
 
 大舞台の竣工は2014年10月上旬。その年は一般公開されておらず、見学するには青蓮院門主の許可がいるとのことでした。見学許可のための紹介状を大学のツテに書いてもらい古美術商を訪問するヒースロー。
 
 ヒースローより10歳前後年長と思われる古美術商曰く、「あそこで日の出を。そりゃまた雅(みやび)なことですな」。ヒースローの独白「この場合、雅は物好きと訳すべきだ」。古美術商「お役に立てるかどうかわかりまへんけど、お話はさせてもらいましょ」。
そこで手土産をわたす。和菓子屋の名をかえているが、俵屋吉富の羊羹2本入り(寒天を使った品)。ヒースローは和菓子屋隣の町家を借りて暮らしている。
 
 何年住んでいるかと問われ、「京都に住んでもう10年になります」。古美術商「大変どっしゃろ、夏は暑いし、冬は寒いし」。ヒースロー「そのぶん春と秋が美しい」。ヒースローの独白「彼らは自分たちの住む町に敬意が払われているかどうかに敏感だ」。
 
 古美術商「たいしたお方や。もう立派な京都人ですわ」。ヒースローの独白「まに受けてはいけない。三代この町で暮らしてもそう呼ばれない人たちもたくさんいる」。
 
 古美術商の、品はあってもどこかクセがあり、イヤミなところを隠しつつ、隠しきれず露呈する芝居を見事にやったのは佐川満男。それからも佐川満男は骨董の目利きの古美術商役で「京都人の密かな愉しみ」に出演。「月待ちの笛」と「逢瀬の桜」。いい芝居を見せてもらった。
 
 団時烽ノついては「あっち向いてほい」2023年3月26日に書き記しました。思い出すのは、京都出町柳の商店街の豆腐屋でとうふ一丁を買い、帰宅して豆腐を切るシーン。碁盤の目に切りながら「平安京」とつぶやく。夏の御霊神社(ごりょうじんじゃ上京区)で「蘇民将来」と歩きながら唱え、願かけするシーンもおもしろかった。
冬の奥丹後をさすらうシーンも忘れがたい。宇治の修行僧と出会い、「同道させてはいただけまいか」や、背にした新ジャガを寺の庫裏でごろごろ落とすシーンなどが懐かしい。「京都は美しい、しかし京都人はわからない」がヒースローの口癖。
 
 団時烽ヘ2023年3月、74歳で旅立ち、佐川満男は2024年4月、84歳で旅立った。病気をかかえながらの旅立ちだった。人生において苦しまずに得られるものはあるのだろうか。結局、苦しまずに得られる美と笑いがせめてもの慰めとなる。

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