2024年4月16日    いつかの臨終
 
 漠然と死を意識したのはずいぶん昔のことだった。それから時がたって何度か意識したと思うけれど、おぼえていない。高齢となった2019年2月ごろ、入院手術の日取りが決まって実行したのは饅頭のバカ食い。伴侶が唖然とし、「この世の食べおさめ」と言ったら、さらに呆れていた。バカ食いは5月半ばの入院前日までつづいた。
 
 2019年5月から2021年1月の1年8ヶ月のあいだに入院手術2回、生体検査入院1回。その後4ヵ所の通院やら多種薬の副作用やらで衰弱が進み、遠出ができなくなり、2020年12月ごろには病気で苦悶する人の気持ちを実感できた。入院すると、考える時間、後悔する時間が増える。
 
 「あっち向いてほい」2020年12月13日「トク死ナバヤ」の重盛の心中を察した。戦国時代の武人より平安中期から末期にかけての都の貴族や武人に興味を持つのは、王朝の雅と関わっており、雅は現代につながっているからです。
 
 子どものころ、父方の祖父母と同居していた。小学校4年のとき祖母、中学1年のとき祖父の死に対面した。祖母は脳溢血で倒れ、そのまま数日間意識不明状態がつづいて亡くなり、祖父は祖母の生前から慢性胃炎で苦しんでいたが、腎臓の悪化(と思われる)で亡くなった。
「生きるのもつらいが死ぬのもつらいなぁ」という言葉を父に残したそうだ。高血圧気味の父は大学1年の秋、48歳で急死。祖父母と父は自宅で亡くなった。入院していた岳父は60歳で逝去、闘病中の母が72歳を迎える直前に死去、それから14年後に義姉が亡くなり、その4ヶ月後、入院中の妹が急死。
 
 2005年秋から始まったOB会の仲間の死は令和元年(2019)から相次いだ。令和元年9月、後輩HH君が逝去した。同年10月開催のOB会当日、空一面に大きな虹が架かり、出席者はHH君も来ていると思ったという。
 
 令和2年、後輩KT君が逝去。KT君の病気は2年前、二見浦のOB会でご本人から聞いて知った。その翌年の松山でのOB会に、翌々年も京都のOB会に出席、室生寺・奥の院への急な石段をのぼって元気そうにみえた。
令和2年の年賀状はユーモアあふれる文言が記されていたが、1月8日に亡くなっていたと知った。KT君の開設した画像掲示板に仲間が書き込みを続け、その結果OB会が起ちあがった。
 
 令和3年12月21日、多忙な日々をさいて出席していた後輩U君の悲報。入院後、容態がよくなりはじめた矢先。ショックで言葉を失った。同期の人たちは茫然自失だったと拝察する。毎年、大切な人たちが次々と亡くなってゆく。12月24日、横浜の仲間KY君からメールが届く。しんみりしていたのをさらにしんみりさせる文面。
 
 「夕方になって気を取り直し近所の遊歩道を散歩。いつもは静まりかえっているビルの窓が全館明るく煌々と光っていて、そうか、きょうはクリスマスイヴで、そのイルミネーションかと気づいた」。この話は2021年12月26日「サイレント・ナイト」(「あっち向いてほい」)に書き記しました。
 
 「人通りの少ない遊歩道。金星はもう見えなくなって、木星だけが輝いている。サイレントナイト」。読み返すと、行ったこともないのに、KY君が歩いた遊歩道の空気感と、あのとき自分が思ったことがよみがえる。U君は澄みきった風景の、透徹した通路をわたって旅立ったのだ。
 
 
 70歳を過ぎたころから死者を身近に感じるようになった。対話の多くは亡くなった人と交わす。「井上さんはだいたい同じ話をしている」とU君が言う。そうです、私の主食は昔話です。奥方と喧嘩して、「出ていけ!」と怒鳴ったら、「お前が出ていけ!」と怒鳴り返されたという話。2005年秋、初めてのOB会でU君から聞いた。
 
 U君との思い出はほかにもあるはずなのにいつもこれ。同好会の2年後輩の女性と結婚したU君に、「後輩だからあまり逆らわないのでは」と私が問いかけ、「とんでもないですよ!」とU君は言い、次に出た言葉が「出ていけ」。U君は地位をきわめた人だけに可笑しい。直近のことはすぐ忘れるのに、これで20年食っている。
 
 平成6年か7年、鳥取へ行ったとき伯母が「一つすりゃ、一つ忘れ」と言っていた。ちょうどいまの私と同じくらいの年齢。毎日がその境地となって約半年、伯母の言葉が身にしみる。懐かしい人はみな故人となってしまった。令和の若い女性を見るにつけマネキン人形を見る気分にさせられる。マネキンは年を取ってもマネキンだろう。
 
 「人間臨終図巻」によると72歳で死んだ人は阿倍仲麻呂、西行、舟橋聖一、八世松本幸四郎など。73歳で死んだ人は山上憶良、室生犀星、佐分利信、朝永振一郎など。74歳で死んだ人は、白楽天、鶴屋南北、川上貞奴、佐藤栄作など。
75歳で死んだ人は、鑑真、新門辰五郎、上田秋成、会津八一など。76歳で死んだ人は、豊臣秀吉夫人、勝海舟、坪内逍遙、北大路魯山人、長谷川一夫など。
 
 顔ぶれをみると自分は長生きだと思える。閻魔と相性がよくないのか、大鎌を振りかざす死神の隣で青ざめながら、まだ生きています。

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