最初に舞い上がるのは五輪代表に選ばれたとき。2度目は空中に舞い上がるとき。3度目に舞い上がるのは表彰台に立ったとき。2度目まで経験しても、3度目のない選手は多い。幼いころ競技として訓練された選手と、最初は遊びで始めて、活躍する選手を見てその気になった選手とがいる。
スノーボードのハーフパイプ競技をはじめてみたとき、日常の不満を発散する若者の危険な挑戦に見えた。競技会場でやるなら誰にも迷惑とならず、思い切りやれる。ハーフパイプは向こう見ずの若者のスポーツ。
宙に高く飛び、4回転か4回転半して雪上に着地する。これは人間技ではない。だが哺乳動物でこれができるのは人間だけ。サルやヒョウにできないのは情熱と理性の有無による。技を磨き、能力を極限まで高め、競技のルールを守れるのは人間だけである。ハーフパイプを何度か見ているうちに先入観は完全に払拭された。
競技にルールはつきもの、ルールを破れば失格。4年前、ジャンプ女子の高梨沙羅は混合団体(4名)1回目のジャンプで暫定首位に立ったものの、スーツの規定違反で失格となる。1回目のジャンプの得点がゼロ(4名の合計に加算されない)になり、結果は4位。
スーツ規定違反の説明は、観戦者である私たちに対してメディアがしなければならない。しかしメディアは怠った。相変わらずメダルだ、記録だと叫んでいた。
それで調べた。着用するスーツ(勝負服)のサイズ、空気の透過率が定められた基準をオーバーすると失格。太腿、股下の服地の空間が大きいと、そこがふくらみ、滞空時間が長くなり、飛距離がのびる。
高梨沙羅の場合、太腿まわりのサイズが許可寸法より2センチ余分と判断されたらしい。わずか2センチ。高梨沙羅の注意力が足りなかったのか、デザイン、作成側のミスか、いずれにせよ故意ではなかったろう。
腿まわりを計測した者は根拠を明らかにするだけでなく、じっさいのスーツをしかるべき人間に公示し、客観性をもたせるべきである。そうでないと、日本にメダルを取らせないための操作、もしくはいやがらせと思われかねない。規則に厳しくあるなら、開示も公明であるべきだ。審査員の公明性は義務であり、使命である。
過去の冬季五輪で印象に残る競技は、思い出せないほど多い。1998年長野、フリースタイルスキー・女子モーグルの里谷多英。棚からぼた餅の金メダル。
五輪出場はリレハンメルにつづいて2度目だったが、冬季五輪史上初の女子選手優勝。おまけに当時、里谷は女子史上最年少の金メダリスト。メディアは史上初が大好き。里谷もメディアも舞い上がった。
舞い上がった後は舞い下がる。優勝直後にシャンパンをラッパ飲みする姿を写真週刊誌に掲載され、素行不良の烙印を押されてしまう。このとき舞い上がったのは写真週刊誌の関係者だけではなかったろうか。一般の人々は好奇の目をよせただけだろう。
里谷がどのように考えたのか知るよしもないけれど、おそらくは汚名を返上すべく長野五輪の翌月3月、スウェーデンでおこなわれたワールドカップで優勝。1999年、某テレビ局に入社。2002年リレハンメル冬季五輪に出場し、3位の好成績だった。棚ボタの金より値打ちある銅だった。
その後、世界選手権に出たが不調。テレビ局入社。2005年2月、六本木のクラブで、メディア報道によれば暴力事件に巻き込まれる。卑猥な行為をしたとか、足で蹴ったとかのさまざまな流言、憶測が飛び交い、里谷はいやというほど舞い下がったのではなかろうか。
メディアの餌食になったのは気の毒。芸能人でもないのに、一部メディアに安くみられた。この場合、安くみられる側より、安く見るメディアに問題がある。五輪選手の私的部分を、さも醜聞であるかのごとく報道して恥ずかしくないのか。鬼の首でも取ったかのように写真を週刊誌に売る者のモラルは皆無、メディアのモラルは以前から地に落ちていた。
里谷の長所は打たれ強さ、思いきりのよさ、突破力だ。2006年トリノ五輪、2010年バンクーバー五輪にも出場し、通算5大会連続となった。彼女は2026年2月12日、フジテレビ系番組「ノンストップ」にモーグル女子の解説者として出演したそうだ。東日本居住の人はみれたが、西日本住民はみれない。
コルティナ五輪モーグル男女の実況中継は上村愛子が解説している。現役時代、上村と里谷はライバルだった。個性も容姿も異なるタイプ。ふたりの引退後、人々の記憶から遠ざかったとしても、いまも活躍していることは喜ばしい。
ハーフパイプはモーグルより危険がともなう。よくもまあ、あのような恐怖にもかかわらずと思うが、当該選手は恐怖と闘っているのだろう。回転がうまくいかず、頭を地面に叩きつければタダではすむまい。
虚空に高く飛ぶ爽快感、何度も回転して着地が成功したときの心地よさ。引退して普通の生活にもどったとき、夢のなかで舞い上がり、ほかでは得られない快感を味わうのかもしれない。

|