2026年2月15日    カーリング女子の歴史
 
 カーリング女子が初めてオリンピックに出場したのは1998年長野五輪だった。開催国特権で予選なしの出場だった。
 
 当時、カーリングという競技があることさえ知らず、試合もみていない。2002年、ソルトレイクシティ五輪でもカーリング観戦した記憶はない。
 
 カーリングを熱心にみはじめたのは2006年トリノ五輪からだ。おもしろかった。誰が言ったのか、氷上のチェス。技術、頭脳、経験、体力、集中力を併せもち、でたとこ勝負を乗り切る。
 
 
 予選は全チーム総当たり。はっきり言えるのは、過去のデータによって決まる世界ランキングの順位はオリンピックではまったく参考にならないということである。メディアはランキングをアテにし、データを重視する。担当記者も評者も先入観、固定観念が強い。下馬評を好み、何勝何敗で決勝にいくかを皮算用する。
 
 2026年2月14日、強豪スイスに勝利したフォルティウスの米国戦に関して、NHKスタジオに吉田知那美を招き、今後の戦況について発言を求めた。以下3行は発言の要約。
 
 「オリンピックにはランキングは関係ありません。ランキングの格上とか格下は問題でなく、相手がどこであろうと全力でぶつかり、1試合1試合に集中する。どこに負けてとか勝ってとかは一切考えない。常にチャレンジャーの気持ちで試合するしかありません」。
 
 メディアは耳が痛かったろう。吉田知那美は苦労人である。ロコソラーレのすばらしさの一つは、ぎりぎりの勝負になったときの対応力。4人が一体となる。
 
 2006年トリノ五輪。日本代表はチーム青森の小野寺歩(スキップ)、林弓枝(サード)、本橋麻里(セカンド)、目黒萌(リード)。林の巧みなドローショット、胸のスカっとする小野寺のダブル・テイクアウト。
結果は4勝5敗で7位(全10チーム参加)だったが、順位だけではわからないおもしろさにあふれ、ここぞというときに決めるショットは、ほかの競技では得られぬ爽快感に満ち、カーリング熱に火をつけた。
 
 トリノ五輪修了後、示し合わせたかのごとく小野寺と林はカーリングを離れる。後に知ったのは、ふたりが結婚し家事に専念しているということだった。2010年バンクーバー五輪のチーム青森にはスキップ目黒萌、サード近江谷杏奈、セカンド本橋麻里、リード石崎琴美を擁して闘う。結果は1次リーグ8位(10チーム参加)で予選敗退。
 
 2010年11月、姓が小笠原となった小野寺、船山となった林が北海道銀行のサポートを得て現役復帰した。このとき吉田知那美も道銀に入団。学生だった小野寺佳?も加入し、2011年4月、チームの正式名は北海道銀行フォルティウスと決した。めざすはソチ五輪。
 
 2014年のソチ五輪は小笠原(スキップ)、船山(サード)、小野寺佳歩(セカンド)。吉田知那美はリザーブ(補欠)。結果は4勝5敗で5位。ソチ五輪終了後、2014年3月、吉田知那美は北海道銀行フォルティウスを退団した。理由はわからない。
 
 その3ヶ月後、吉田知那美はコンビニのパートタイマーになっていた。カーリングをやめようとも思っていた。そこにあらわれたのが本橋麻里である。本橋は自分が起ちあげ、スポンサー確保に奔走したロコソラーレに来ないかと誘った。
 
 すでに吉田知那美の妹・吉田夕梨花と鈴木夕湖はロコソラーレに参加している。吉田(妹)と鈴木の卓越したスィープがなければ藤澤の一投も好位置にキープできないと言ってよいだろう。氷を読む眼も傑出している。氷の状態を読めなければ勝てない試合を勝ってきた。
 
 本橋は吉田知那美に言った、「私たちはもう次ぎ(平昌五輪)に向って進んでいるよ」。吉田知那美は、「カーリングをやめようと思ったこともあります。自分を救ってくれたのは本橋さんです」と目にいっぱいの涙を浮かべて語っている。
 
 ベテラン石崎琴美がロコロラーレに加入した。みなから信頼され、試合終了後の深夜、ストーンを磨く。点検作業を入念におこなう。他のメンバーが気づかないことをアドバイスする。石崎は引退後テレビ解説をしており、的確で、わかりやすく、選手の次の一手、心理を読み、視聴者に伝える。
 
 スキップ藤澤五月、サード吉田知那美、セカンド鈴木夕湖、リード吉田夕梨花でのぞんだ平昌五輪は5勝4敗の4位、最終的に3位となってカーリング史上、記念すべき銅メダルを獲得する。その後の活躍は言うまでもない。
 
 カーリングに大きな功績を残した小笠原歩(旧姓・小野寺)、船山弓枝(旧姓・林)は引退後も活躍している。小笠原はジュニア・チームのコーチとなって優勝に導く。船山はフォルティウスのコーチとなって後進の指導にあたった。小笠原はコルティナ五輪カーリング女子のナショナルチーム監督に指名される。
ロコソラーレを創設し、選手に力を貸し、さらなる名選手に育てるきっかけをつくった本橋麻里は名伯楽である。マリリンと騒がれながらテレビ出演のオファーをすべて断り、北見市と北海道内でスポンサー探しに明け暮れた本橋。スポンサー探しの多くは飛び込み営業だったという。
 
 カーリング女子歴代の名スキップは小笠原、藤澤だ。藤澤のほうが小笠原より若干すぐれているように思える。フォルティウスのスキップ吉村紗耶香が藤澤と互角の名選手になれるかどうか、コルティナ五輪の活躍如何にかかっている。
 
 ことし1月スウェーデンでおこなわれた世界大会準決勝でロコソラーレはスイスと対戦。終始リードされる展開だったが8エンド、2点スチールで追いつき勝利した。
2月、日本カーリング協会は3月にカルガリーで開催される女子世界選手権代表にロコソラーレを選んだと発表。
 
 オリンピックはいまも続いており、フォルティウスの健闘を望みつつ、心はカルガリーに飛ぶ。ロコソラーレの選手を見ていると「四銃士」の「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン」というセリフを思い出す。4人の心技は一体なのです。

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