旅は心の軌跡であり、心は旅の軌跡である。1989年7月のヨーロッパ旅行から6年が過ぎ去っていた。
重度のアトピー性皮膚炎で数年間の隔離生活を余儀なくされた伴侶の病状が回復しつつあった。阪神大震災(1995)で九死に一生を得た彼女は、地震はショック療法、いつ死ぬかわからないなら断食療法をやめて、何でも食べようと言い、その後奇跡的にアトピーが改善されてきた。
京阪神で震災の影響が落ち着きはじめた5月半ば、伴侶にとって4年ぶりの京都は、なにもかもが新鮮に感じられ、四条河原町の高島屋地下「ひさご寿し」で食べる寿司の味は格別だった。
カウンターの向こうでスマイリー小原によく似た店主が握っており、ランチタイムのサービス定食はにぎり寿司9巻980円の格安(「思い出レストラン」2023年5月1日「ひさご寿し」)。
明けて1996年、久しぶりのヨーロッパ旅行をいつ実施するか、伴侶の回復度合いを見ながら考えていたが、同年夏ごろ、もうだいじょうぶと思えたのと、旅好きの伴侶は長いあいだ出かけておらず、前年の精神的痛手から抜けだせず、心が折れそうになっていた。
8月上旬、自室に閉じこもって計画を練る。航空時刻表、鉄道時刻表(トーマスクック)、各種ホテル代理店のカタログ、ミシュランの赤本と緑本、各国政府観光局から取り寄せた資料を入念に調べあげる。旅は計画を立てる時点ではじまっている。まずはフライト・スケジュール。
ちょうどその年の春、ルフトハンザが関空=ミュンヘン便を就航。機材は最新鋭のエアバス、座席はエコノミークラスでも80年代のビジネスクラスと同等のシート幅、ピッチがあり、長時間でも楽という情報を入手。
ミュンヘンに最近完成したフランツヨーゼフ空港はルフトハンザ優先で、プラハへの乗り継ぎもわずか20分で可能。ミュンヘン=リスボンは便数も多い。中欧巡りが主なのだが、リスボンへ行ったことのない伴侶は、「リスボンも行きたい!」と言った。これで決まり。
ルフトハンザ大阪支店は近鉄堂島ビル17Fにあった。行程を決めた翌日、予約に行く。9月出発と10月では格安航空運賃(9月出発は往復21万円、10月は17万円)が異なり、10月1日出発の旅程を組んだ。
はっきりと思い出せないが、ミュンヘン=リスボンの航空機が予定日の希望時間(早朝とか午後遅い便は乗らない)は満席ということで、1日ずらせばどうかと予約担当の女性に提案したが、今度はリスボン=ミュンヘンが希望時間に取れないという。10月のミュンヘンはオクトーバーフェスト開催のため航空機の混雑は予想されたが、リスボン便にまで影響が出る。
「すこしお時間頂戴してもいいですか?」と彼女は言い、ものすごい速さでキーボードを叩きはじめた。そして、「9月30日出発はどうですか?」と尋ねるので、「9月は10月より割高では」と言うと、「同じ運賃で」と応じる。そういう操作で手間どっていたのだ。パソコンが流通する前の時代。
座っていたので身長は不明として、容貌はおぼえている。小生と同世代、欧州系とアジア系の混血。座席指定をおこなった後、数枚綴りのフライトクーポンの精算をした帰り際、「10月初めのプラハはいいですよ」と言ってくれた。
関空=ミュンヘン=プラハ。プラハで4泊した。10月初旬のプラハ旧市街は街全体が美術館といっていいほど美しく、住民も溌剌として、伴侶はみるみるうちに元気になっていった。
1989年のヨーロッパ旅行はアトピーを患っているのが傍目にもわかったけれど、96年は片鱗さえ感じられず、何よりもそのことがうれしかった。伴侶はカンフル剤だと言ったが、起死回生のヨーロッパだった。
プラハ到着は夜だったので、翌日の朝食後、まず行ったのは国立歌劇場の公設チケット売り場、オペラ「リゴレット」のチケット。受付けの若い女性が開口一番、「あなたたちはラッキーです」と言った。さっきキャンセルが出たばかりだと、座席表を見せながら前から4番目、真ん中のS席2席を示す。料金は530コルナ、日本円に換算すると3000円弱、格安。
リゴレット役者のバリトン、歌、芝居がすばらしかった。幕が上がると、衣裳と彼らの配置に目を奪われた。マントヴァ公爵の宮廷・大広間、貴族たちが思い思いのポーズで立っており、陰影と照明がレンブラントの絵。彼らが不意に動きはじめたとき生命が宿る。音楽にも聴き惚れた。
カレル橋(プラハ)を通っていたとき、伴侶が楽器を演奏するストリートパフォーマンスの一団を見ていると、メンバーのひとりが声をかけ、トランペット・ケースから楽器を取り出して「吹いてみなさい」と渡す。二枚目のやさしさに弱い伴侶が吹くかっこうだけしたら、往来する観光客にうけたのか大勢が立ち止まり、演奏が盛り上がった。
プラハの路面電車はけっこうなスピードで走り、普通のシャッタースピード(125分の1秒)で撮影するとブレて、車内からこっちを見ている人たちもブレている。しかしそれがある種の味となる。
市内観光目的ではなく、乗るために路面電車に乗る。バスとの違いは、線路を走る独自の感覚、カーブを曲がるときのきしみ音、車内面積。乗るだけで心浮き立つ。
旧市街は絵になる。広場、カレル橋、天文時計、ティーン聖母教会、聖ヴィート大聖堂。家の屋根が同じオレンジ色で統一されているから美しい。スメタナの交響詩「わが祖国」の名曲「モルダウ」を聴くとプルタヴァ川とプラハ城の光景が浮かぶ。14世紀後半まで、プラハ城と旧市街はプルタヴァ川に隔てられていた。カレル4世がカレル橋を建設し陸路でつながった。
最近まで考えもしなかったが、プラハ旧市街が映しだされ、モルダウ(プルタヴァのドイツ語)が流れると泣けてくる。パリやロンドンなど大都会が映っても何も感じない。保存された旧市街は、プラハでもエディンバラでもリスボンでも、心の深奥、急所に届く何かがあるのだろう。
中欧東欧の街のなかでもプラハは独特。カネをもっていそうな客にはすり寄ってくるウィーンとちがって旅人にやさしく、市民の気持ちが風景に反映されているかのごとく清々しい。ヨーロッパの首都のなかで、ここだけは行っておきたいのがプラハなのだ。
(未完)

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