2024年6月15日    哀愁のプラハ慟哭のリスボン(2)
 
 96年9月30日からプラハのホテル・パラスに4泊した。アメリカンエクスプレスのプラハ支店は旅行代理店も兼ね、日帰りバス旅の予約をした。バスはガイドが何語で対応するかによって英語、ドイツ語などにわかれ、英語バスに乗る。
 
 乗客は主に英国人で、プラハの西130キロ(車で3時間)にあるカルロヴィバリ観光のレストランでランチを共にした英国人5人を思い出す。チェコ料理はドイツ料理なみにおいしくないけれど、カルロヴィバリはヨーロッパ有数の温泉保養地だけあって、フランス料理なみのいい線をいっていた。メインディッシュ2種のフルコース。
 
 ヒルトンホテル発プラハ中央駅経由で目的地へ。バックパッカーの中年女性、やさしそうな50代後半女性、老夫婦、そして小生と同世代の英国俳優グレッグ・ワイズ似の二枚目。彼の話術は巧みで、愉しい話を相手から引き出す達人。バックパッカーはうまく乗せられ、プラハに来る前にどこを回ったかを話してくれた。
寝袋を持ってきたが、まだ使っていない。予定外のところが気に入って長居したためプラハ滞在を短縮、カルロヴィバリで泊まる予定を日帰りにして、このバスに乗った。間もなく休暇が終わってしまう。大柄で、明るく陽気な方だった。
 
 50代後半女性とはランチを終えて一緒に散策した。歩いていると何かを取り出して「食べませんか」と言う。風月堂のゴーフルそっくりで、味もゴーフルだった。日本にも同じようなのがありますと言ったら、そうですねと応える。日本に行ったことがあるらしい。
 
 寡黙な老夫婦はヨークに住んでいると言い、ただ微笑んでいたが、ご主人が別れ際に伴侶の頬に軽くキスした。別れのキスは哀愁に満ちている。
 
 グレッグ・ワイズに乗せられたのはバックパッカーだけではなかった。前夜にオペラをみたが、たまたまキャンセルが出て、前から4番目、中央の席の観劇料が530コルナ(チェコの通貨 3000円弱)、信じられない。日本の海外公演オペラなら10倍以上、英国ポンドでこれくらい、コルナならこれくらいとべらべらしゃべったら、「君はバンカーか」とジョークを飛ばす。
 
 「で、オペラの演目は?」とグレッグ・ワイズが尋ねる。「リゴレット」とこたえると、彼は、「それはおもしろかろう、リゴレットは道化、『剣でなく舌で人を刺す』」とリゴレットのせりふをオペラ調で述べた。
会話はランチ予定時間の2時間を過ぎても終わらなかった。ほんとうのメインディッシュは彼らとの会話。英国人は愉しく時間は足らず。小生の英国行はそのとき決まった。それまで英国旅行なんて考えもしなかったのだ。
 
 思い出すのはプラハでもない、カルロヴィバリでもない、どこへ行っても、何を見ても、過去に出会い、胸の深奥に刻印され、心の風景となった人々である。
 
 日帰りバスで行ったカレルシュタイン城の英語ガイドも忘れがたい。身長は185センチくらい、黒っぽいダスターコート、ハット帽子すがたが映画スターのごとくさまになり、「ガイドは隠れ蓑で、スパイが本業かもしれない」と伴侶に言ったらば、そんなふうにみえるねと返す。私たちはスパイものやミステリーのファン。
 
 カレルシュタイン城はカレル4世が隠れ家として建てた。14世紀のボヘミア王の寝室は狭く、朽ち果てそうなベッドも小さい。城は19世紀に再建されたが、寝室は昔のまま保存されている。ヨーロッパ中世の王で敬虔なキリスト教徒は質素。王の礼拝堂も小さかった。
 
 プラハからウィーンまではチロリアン航空(オーストリア航空関連会社)利用。48名乗りの双発プロペラ機。空港待合室から歩いて搭乗するのは旧紋別空港以来。ウィーンには50分ほどで到着。張り込んでインペリアル・ホテルに3泊した。ウィーンフィル定期公演の楽友協会が至近距離で市内観光も徒歩圏内。
 
 朝食のコーヒーはおいしかったが、カフェデーメルのコーヒーの味には及ばなかった。ウィーン訪問の主目的はコンサート三昧。しかし予約なしで良い席が取れたのはウィーン交響楽団のコンサートだけ。霧雨のなか、ホテルの大きなカサをさしてコンツェルトハウスへ行く。
翌日の楽友協会はウィーンフィルをアーノンクールが指揮、ゲストはイタリアのオペラ歌手チェチーリア・バルトリ。考えるまでもなく満席、立見ならOK。約800円で購入。立見席というけれど席なし。若い人が多かった。一般席は1F、2F、立見は3F。
 
 曲目もバルトリの歌もおぼえていないが、楽友協会内部の豪華絢爛は記憶に残る。立ちっぱなしで疲れた。伴侶もそうだろうと思ったが、平気と言ったので安堵。午後7時にはじまったコンサートを最後まで聴くとレストランの予約時間をオーバーするので休憩時間に退出。
 
 コンサートの前に日帰り英語バスに乗ってマイヤーリンクへ行った。バスターミナルで伴侶に、「どこで乗ればいいのでしょうか?」と尋ねたカナダの男性が同じホテルに泊まっていた。夕食時、奥方と連れ立って外出しようとしており、スーツとネクタイでばしっと決めていた。奥方は富豪の傲慢さが露出するタイプ。彼の接し方をみれば明らかに恐妻家。
 
 ウィーンからザルツブルクまでは日本で予約ずみのオーストリア国鉄コンパートメント。ザルツブルクからミュンヘンまでも鉄道。ザルツブルクでは旧市街ゲトライデガッセ通りの「ゴルデナー・ヒルシュ」に3泊。かつての狩猟の館。ホテルを出ると昔の大司教の住居ホーエンザルツブルク城が見え、城からは街を一望できる。
 
 2日目は日帰りバスでザルツカンマーグートへ行き、3日目も日帰りバスでドイツのベルヒテスガーデンへ。結局、ザルツブルク市内観光は1日目だけとなり、見残した場所もあったけれど、城とミラベル庭園だけはみた。
ゲトライデガッセのお店をほとんど見ていないと伴侶が言っていた。申し訳ない。初日、小生の持病が出て薬局探しに追われ、伴侶もつきあってくれたので。
 
 ミュンヘンのホテルはフィヤー・ヤーレツアイテン(英語でフォーシーズンの意)。リスボン行きの前に1泊、帰国前に2泊。宿泊費は高額だが、スタッフとサービスは二流。現在マンダリン・オリエンタルと名を変えているホテル・ラファエルに宿泊したかったが、旅行計画の時点で部屋数の少ないラファエルは満室。
1997年7月、ホテル・ラファエルはミュンヘン公演のさいマイケル・ジャクソンが泊まって、お気に入りだったという。96年9月のプラハ公演で彼が泊まったホテルはどこだったのだろう。
 
 ミュンヘン一日目は安上がりの夕食を居酒屋「庄屋」で食べたあと、ラファエル1Fラウンジでお茶。ピアノを弾いていたのはピアニストで指揮者アシュケナージ似の好感のもてる二枚目中年。私たちに気づいて演奏したのは「さくら さくら」。演奏しながらこちらを見てほほえんでいました。翌日は旅のハイライト・リスボンへ。
 
          (未完)
 
            カルロヴィバリ 観光用2頭立て馬車


前の頁 目次 次の頁