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ポルトガルのファドとスペインのフラメンコはどちらも哀調を帯びているという共通点はあるけれど、ファドは不実な男を嘆く女の恨み節にきこえる。人生に見離され行き場を失ってもあきらめきれない女。不運を嘆いて気持ちが収まるのならそれでいいようなものだが、声を張りあげ、うさ晴らしせずにはおけなかったろう。ファドは運命という意味らしい。
イングランドとオランダが名乗りをあげた16世紀後半。ポルトガルが繁栄したのは、13世紀後半から16世紀初頭、大航海時代にブラジル、スマトラ、マラッカに拠点を築いたころまで。 造船業は熾烈な戦いをくりひろげ、木が伐採され多くの森が消える。
造船に携わる人々は潤っただろうが、船乗り、漁師が蓄財して富豪になったという話は聞かない。船乗りや漁師、その女房が報われない生活のなかで精一杯生きながら、思いの丈を歌ったのがファドではないだろうか。
市内のどこだったか、大きな彫像が立っており、心なしかうなだれているようにも見えるが、左手に帆船が乗っている。人が船に乗っているのではない。海洋王国ポルトガルの面目躍如たる彫像なのだ。
ポルトガルは16世紀後半、表舞台からすがたを消す。しかし見る影もなく零落したのではない。過去の栄光はいまなお華美な影となって見る者の心をとらえ魅了する。
ホテルのコンシェルジュが手配した車に乗ってシントラへ向かった。年輩ドライバーのリマさんは見るからに運転もガイドもエキスパート。シントラの景観は前年(1995年)、世界遺産の指定を受けたばかり。2本の白いトンガリ帽子が特徴的な王宮(夏の離宮)。帽子は煙突。
美しいのでそうは見えないけれど、王宮に入れば煙突だとわかる。周辺は瀟洒な家と木々に囲まれ、屋根の色は同系の柿色に統一されている。配色のセンス、美的感覚はさすが。
シントラの街からムーア人の城跡を仰ぎ見ることはできるが、近いようで遠い。ツアー客は城跡に行かない。城跡の入口はカーブの多い道路(坂道)の途中にあり、目立たない。下車して、崖沿いの狭い、曲がりくねった地道をえっちら、おっちら歩かねばならず、手すりもない。ツアー客はご遠慮くださいということだ。
城跡からの眺望は、大西洋をのぞみ、シントラの全容が見え、王宮、ペナ宮、七つのため息の宮殿も眼下におさめられる絶景。森のあいだに富裕層の別荘が点在し、360度の大パノラマ。森全体が球形に見えた。
城跡の頂きに着くころ、すさまじい風が吹きはじめた。伴侶の髪は漫画のライオン丸のごとく逆立ち、足を突っぱっていないと吹き飛ばされそうになる。強風は20分くらいで収まったが、城跡滞在1時間のあいだにやって来たのは、米国からの若いカップルとリュックを背にした英国人男性だけ。
英国人は1991年ウィンブルドンの覇者ミヒャエル・シュティヒによく似ており、屈強に見えた。城跡を背景に1枚撮ってもらいたいと言い、フィルムの予備がなくなったので、予備を持っているなら売ってもらえないだろうかと尋ねる。
彼もシャッターを押しまくったのだ。小生も夢中で撮影し、シントラと城跡だけで36枚撮りフィルム5本を使い切った。そのことを話すと、ここは人を惹きつける、英国にも城跡はいっぱいあるけれど、こんなにも魅了されないと述べる。
ペナ宮も専用駐車場から徒歩。標高529メートルの途中まではゆるやかな坂なのだけれど、中腹から急勾配。ペナ宮自体は特筆すべきものはなく、建築様式はイスラム、ゴシック、マヌエル、ルネサンス、バロックの混淆、五目チャーハン。しかし、大西洋とシントラの景観が一望に見渡せる。ペナ宮のお伽の国的おもしろさに目をつけた関係者はテレビ映画「ガリヴァー」のロケ地に選んだ。
リマさんにシントラの「パラシオ・デ・セテアイス」(七つのため息の宮殿)で昼食をとりたいと言うと、「美しいホテルです。食事もおいしいですよ」。想像より遥かに美しい快適ホテル。ロケーション抜群。
ペナ宮から森を隔てて見えたのがパラシオ・デ・セテアイスだった。ここからも森の向こうの高台にペナ宮の全景が見える。リスボンの宿に目がいってしまい、早まったと悔やむ。
「七つのため息の宮殿」は18世紀末建造。19世紀初頭、ナポレオンに占領されたポルトガルに援軍を派遣した英国がナポレオン軍を駆逐、シントラ協定(1808)を結ぶ。ところがこれがポルトガルと英国にとって不利な休戦協定。
フランスの降伏は記されず、フランス軍撤退を英国船でおこない、フランスに味方したポルトガルの裏切り者の安全を英国が保障するという内容。落胆した高官は7回ため息を洩らした。ナポレオン失脚後、シントラ協定の場は「パラシオ・デ・セテアイス」という名のホテルとなった。
ため息ホテル・レストランは雰囲気がステキで、従業員も親切で好感がもてた。午後1時半ごろだったので残り3組の客はデザート、コーヒーになっていて、テーブルはよりどりみどり。どこでもお好きなところへどうぞ。
食事は絶品。手頃な料金でこのようなおいしい料理を食べられるのは、ため息レストランと英国ウェールズのホテル「ボディスガスレン・ホール」だけ。新鮮な食材は栄養たっぷりの自家栽培、ソースの味が傑出。
昼食の途中、見わたせば客は私たちだけ。「貸切だね」と伴侶が言う。従業員の物腰は優雅で丁寧、しかも庶民的。こんな場所で食事できるシントラの住民は幸せ。手入れされた庭園の散歩も楽しい。
いつのころからか、たぶん20世紀が終わりに近づくころ、現在に興味がなくなった。過去は豊かさに満ちあふれている。無数の哀歓、耐えがたい苦痛、怒りにも似た嗤いがひしめきあっている。
夜降る雨のように、いつやむか見えてこず、心の深奥から出てくるとしても曖昧なものは苦手で、わかりやすく急所に届くものしか興味がわかない。あえていえば爛熟と孤高。並立しにくいものが共存する状態。まるで隠遁者ではないか。
にわか隠遁者と伴侶を乗せてリマさんの車はロカ岬へ向かった。夕方に近かったせいか、ユーラシア大陸最西端ロカ岬は人もほとんどおらず、風もおだやかで、崖下に打ち寄せる波の音だけが静かな慟哭のように聞こえる。「35年間、数えきれない人を案内しているが、こんな日はめったにない」とリマさんが言った。
ここで陸は終わる。1994年秋のかなしみと怒りは空洞化しないとしても、深く傷ついた心はたやすく癒えないとしても、妄執は断ち切らねばならない。伴侶も同じ気持ちだったのかもしれない。だが断ち切ることはできるのか。かなしさと同時に楽しさ、懐かしさがよみがえる。夕日の海は涙でかすんだ。
絶景と出会い、起死回生のヨーロッパになったのか。わからない。かなしさをロカ岬の崖から海めがけて投げ捨てることはできなくても、さまざまな想いが駈けめぐったことが旅の果実である。旅はまだ続きそうだ。
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