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画像は北ウェールズ・スランデゥドゥノのカントリーハウス「ボディスガスレン・ホール」
1999年6月中旬、英国レンタカー18日間の旅に出発した。航空会社は関空発KLM。アムステルダム経由で南ウェールズのカーディフで降機。到着は夕刻。
夏期は午後10時半ごろまで明るく、道路は左側通行、車は右ハンドルなので、初めての土地でもリラックスして運転できる。カーディフ空港のAVISはダークグリーンのプジョー406ATを用意していた。
当時、AT車の主流は4速。プジョー406は2リッターで馬力は小さいがスムーズな加速、乗り心地が快適。さすがにフランス車。車幅が把握しやすく、自然な操舵感が身体になじみ、10分も走らないのにマイカーのごとく運転に慣れる。
日本でAVIS会員になっていた。入会金も年会費も無料、会員カード1枚あれば海外のAVISでさまざまな割引特典を享受できる。空港のAVISカウンターで予約ナンバーを告げ、会員カードを提示した。
5日以上とか10日以上とか日数で割引率が異なり、12日間のレンタカー料金は計算書を見ると158ポンド(約3万円)。1日1ポンドの道路税12日分も加算されている。
日本で見積もりさせた料金は7万円くらいだったはず。あまりの安さに夢でもみているのではと従業員に問い直す。彼は「イッツ、コレクト」と応え、半信半疑でクレディットカード決済。帰国後料金訂正の請求書が必ず回ってくると思ったが、そのまま何事もなし。しばらくは詐欺師の気分がぬけなかった。
1996年10月初旬、カルロヴィバリのレストランで数名の英国人と談笑し英国行きを決めた。1997年10月の予定でプランを練ろうとしてた矢先、紋別の道立病院に母が緊急入院したという報せが入った。
母とは94年秋から疎遠となっていたが、伴侶と共に紋別へ急行。B型肝炎が3年のあいだに肝硬変となり、かなり悪化していると担当医は言った。3年間、母のそばにいた弟は何の役にも立っていなかった。
12月下旬、主治医の反対を押し切って阪大付属病院に転院。家族からの報告はなく、転院後に妹が連絡してきた。英国旅行も何もあったものではない、延期せざるをえなかった。
その後大阪市内の病院に転院し芦屋の病院へ。母の世話をしたのは弟夫婦だったが、小生の伴侶に世話をしてほしいと側近に洩らしたという。しかし母の私事は弟が仕切っていたのでうやむやになった。伴侶は芦屋の病院へ足繁く見舞いに行き、小生は数回しか行かなかった。母が「きょうは来なかったのね」と伴侶に言ったそうだ。
大正15年利尻島で生まれ、小学校まで利尻、鳥取の女学校を卒業し、昭和18年9月10日の鳥取大地震を予言し霊感少女と騒がれ、戦地の息子や夫の安否を尋ねるため多くの女性が訪れるようすを、縄が輪になって家を取り巻くと語られた。母は1998年10月、71年の生涯を閉じる。
1999年6月の英国の旅から25年経過し、最近になって行先と道路を「Big Road Atlas Britain」で再確認。日本で市販されているガイドブックにほとんど載っていない場所めざしての旅だった。カーディフは「エガートン・グレイ」(現在のニューハウス・カントリーホテル)という郊外のカントリー・ハウスで2泊。
カーディフ城、市内を見学した。町に関して特筆することはなく、ムンバイの繁華街と似ており、英国の建築スタイルが19世紀後半のインドに準用されたのかという印象を持った。
カーディフからソールズベリーへ移動し、大聖堂を見て1泊。翌日はコッツウォルズのアッパースローターにあるマナーハウス(荘園領主の意)「ローズ・オブ・ザ・マナー」で2泊。庭が見事で、庭から続くフットパスを朝食後に歩いた。なだらかな坂に配された庭、フットパスを歩く心地よさ。
宿の庭で話しかけてきた30代後半の女性は米国在住で、両親がこの地方の出身らしく、語りながら目を潤ませた。Heart of Englandと呼ばれるコッツウォルズはバートン・オン・ザ・ウォーター、ストウ・オン・ザ・ウォルド、チッピング・カムデン、バイブリーなどを見学。
なかでもバイブリーは特別、コルン川の水辺でマガモと戯れていた少女、川の中に咲く花。そしてスローター村の夕暮。川面に映えるゴールデンイエロー。郷愁にひたるには十分な場所である。
ローズ・オブ・ザ・マナーのレセプションの男性はテレビドラマ「Xファイル」のモルダー捜査官に瓜二つで、伴侶にモルダーと耳打ちしたら大きくうなづく。モルダーの隣にいた大柄のスタッフは妙に人なつっこく、マンチェスター出身だという。
当時日本でもサッカー熱が盛り上がりつつあった。ろくに知りもしないのにマンチェスター・ユナイテッドと口にしたら、知っていてくれたかと満足気な顔。いまさら知らないとも言えずペテン師のような気分。
コッツウォルズを移動中、畑沿いの道幅の狭い道路は生垣が続き、空き地の周りに雑草が茂り、風にゆられて車を撫でる。そこへ対向車が来る。雑草に車をこすられながらギリギリ寄せて徐行運転。
ここですれちがうのはムリと思った瞬間、シックな緑色をしたオープンカーのドライバーは涼しい顔で、すれちがいざま微笑む。美男子だった。彼の車幅感覚に感服。
チェスターへ移動し、マナーハウス「クラブウォール・マナー」でチェックイン、町へ。市庁舎前でパレードする仮装行列に出くわす。長い行列。少年少女も仮装している。
彼らのスナップ写真を撮っていたら、10歳くらいの少年がはにかんだ笑顔をみせ、12歳くらいの少女が挑発するかのような目をした。巨大な人形が何体も行進する。高校時代の体育祭・仮装行列ガリヴァーを思い出した。
午前10時チェックアウトをすませ、ぜんぜん読めないウェールズ語の地名を英語表示化した、それでも読みにくい道路標識を横目でにらみ、すばらしい景観にため息をつきながら走る。ランチをめざしてまっしぐら。
カーナビもスマホもない時代、複雑な地理にどう対処したかというと、計画の時点で地図を頭に入れた。そして道に迷う前に車を停めて確かめたり、詳細地図を買うためガソリンスタンド(併設コンビニで地図を販売)に寄って道を尋ねた。
英国は地図の国である。地元のコンビニで多種多様の詳細道路地図、一町村の特定区域(行きたい場所)と周辺に特化したA5サイズ20頁前後の小冊子型道路地図などを購入できる。どの地図もわかりやすい。
14世紀のマナーハウス「マイズ・イ・ニューアス」(Maes-Y-Neuadd)はタルサルノ(Talsarnau)にあるのだが、メイン道路のA496からB4573に入って2、5キロ走るとマナーハウスの掲示板があり、そこからの狭隘な道は足長の雑草が両側に茂り、風に揺られて車をかする。対向車は雑草で見えず、すれ違い不可。幸い対向車は来なかった。
雑草道の終点は、暗所から明所へ、視覚効果満点の開けた場所だった。後方に小高い丘、前方に広い畑。その間に古色蒼然とした中世の館。レストランはガラ空き、私たち2人の貸切。
料理は評判通り。ここまで来た甲斐があった。一人前13ポンド75(税込み)のセットメニュー・ランチの味つけもよかったけれど、抜群だったのは、選べるデザートの大粒で赤黒色の濃厚な甘さのイチゴ5個。
畑のイチゴは見えなかったが、土の色と、イチゴの緑葉を見て味を想像した。自家栽培の野菜、果物はさぞうまかろう。アイスクリームを注文した伴侶に「食べる?」と聞くと、「くれるの?」と言うので1個あげた。食べたときの伴侶の顔にイチゴを頼めばよかったと書いてある。日本で紹介されないウェールズの魅力。人は穏やかで料理も風景もステキ。
忘れられないのはイチゴと、レストランの給仕とフロント係。給仕の風貌は特異。ホラーがかったコメディ映画「アダムス・ファミリー」に出ていた男優ラウル・ジュリアを想起させる大きな目、太い眉に不気味さと同時にやさしさを感じ、メインディッシュの金属フタを取るときの表情と仕種は、皿から小さな妖精が飛び出すのではと思わせる雰囲気。
フロント係は明るく陽気。食後、ステキなホテルですね、差し支えなければ部屋を見せてはもらえないでしょうか?と言うと、ちょうどチェックアウトとインのはざま、掃除も終わっているから問題ありませんと言って案内してくれた。
これが1部屋で終わらず、次から次へと5室、6室。説明の途中で何度も映画「アマデウス」のモーツアルトみたいに笑う。次の部屋でも同じ。笑い方がけたたましく唖然。
室内はどこも広く、壁紙、カーテンの色、ベッド、イスは部屋ごとに異なり美麗。フォーポスター(四柱)のベッドもあり、リビングと寝室がセットになった室内。ベビーシッターを伴う客のための召使い部屋も見せてくれた。1室しかなく、狭いけれどそれなりに整っている。
横で伴侶がもっとみたいと小生を促すので2階も案内してもらい、二間続きの部屋ほか結局8室か9室を見学。マイズ・イ・ニューアスは全室14部屋。先を急ぐので言うと、「オブコース」と軽妙に受けとめ、玄関まで丁重に見送ってくれた。
食事はうまい、人は素朴、親切であたたかい。車に乗るやいなや伴侶が言ったのは、「アマデウスだったね」。フロント係の顔と笑い声、サービス精神、親切心、忘れようたって忘れられるものではありません。25年経ったいまでも英国旅行の話題トップ5のひとつは彼。
モーツアルトが長引き滞在は2時間以上。いそいでハーレフ城に向かう。マイズ・イ・ニューアスからB4573で約5キロ。ハーレフ村の坂道中腹に位置する中世の城は突然あらわれ、城からのぞむトレマドッグ湾の眺めは駐車場から想像もつかない絶景。シーズンオフのせいか、おそめの午後のせいか、観光客は私たちだけ。
西はアイリッシュ海が果てしなく広がり、スレイン半島の先端からポートマドックへと続く陸地が見渡せる。眼下は南北に走る長い線路が見え、ハーレフ城がかなり高台に屹立していることがわかる。
1999年当時、城と堀をつなぐのは階段状の木造橋だった。ところが2015年に取り払われ、合板と軽金属の新橋が架けられる。木に竹をつなぐほうがマシ。中世はどこへ行ったのだ。こんな橋なら世界遺産を返上しろい。
絶景に別れを告げ、一路今夜の宿カントリー・ハウス「ボディスガスレン・ホール」(Bodysgallen Hall)へ。A496を北東に進み、A487とのラウンド・アバウトでスノードン国立公園の北側へ。途中、道路沿いを走るフェスティニオグ鉄道の蒸気機関車と出くわし、よくもまあこんな細い線路を。
これが有名な保存鉄道だと翌日知った。線路沿いの道も極細で駐車スペースもなく、そのときは写真も撮れず、いつか必ず再訪してやると心に刻んだ。
フェスティニオグ鉄道の最北付近はA470につながる。スノードニア森林公園の林をぬけ、ベッツィコード村を見ながら、スランルゥストの絵に描いたような古い石橋のたもとで小休止。ハーレフからここまで約40キロ、1時間。
そこからスランデゥドゥノ(Llandudno)の宿ボディスガスレン・ホールまで25キロ。40分。宿に到着したのは午後7時近かったが、明るいので感覚的には夕方5時。フロントで夕食を8時に予約し、20万坪の敷地のカントリーハウス散歩道(森のなかを20分、30分、50分用の3コース)30分コースを歩いた。
居心地のよいステキな部屋の大きな格子窓からコンウィ城、そして遠くにスノードン山をみることができる。特筆すべきは夕食のおいしかったこと。英国のメシはたいしたことがないと誰が言ったのか、真っ赤なウソ。
行くところへ行けば賞讃に値する食事が出ます。ミネラルウォーターを注文すると、若い女性給仕が「必要ありません。とりあえず水道水を飲んで、クチに合わなければミネラルウォーターを」。
水道水の信じがたいおいしさに頭は空っぽ。10年ものあいだ飲んでいた各種ミネラルウォーターは何だったのか。ぜんぶまとめて北ウェールズの水と交換したい。スノードン山系の地下水でも同系のマイズ・イ・ニューアスより美味。南ウェールズのカーディフの水と較べると話にならない。
ボディスガスレン・ホールをファックスと電話で直接予約したとき、電話に出た従業員に確かめたのは、この時期の特別料金サマー・ブレイクス。私たちが泊まったスノードニア・ビユー・ツインの通常料金(室料のみ)は1泊215ポンド(税込み)。
サマー・ブレイクスは2泊以上なら可。朝夕食付き税込み2人分の料金は125ポンド。小生が電話で尋ねたのはこれ。たった125ポンド?2泊で250ポンド?2人分2食付きで?ホントにホントかい?(1ポンド=180円)。
電話の向こうで彼は、格安料金について軽く受け流し、「スノードニア・ビュー」を強調しておりました。安直なバイキングとは大違いのフルコース・ディナー、イングリッシュ・ブレックファスト。
これで驚いてはいけません。サマー・ブレイクス・プランには中庭で味わうアーリーモーニング・ティー、カーナヴォン城やボドナント・ガ-デンなど一ヵ所無料入場券も含まれる。と彼が説明する。んなバカな。
何が何やらわけもわからず、行けばわかるとキツネにつままれた心境。旅慣れていると自認していたが、知らないことを知った北ウェールズ。まだまだ経験不足。
生涯のベスト・ホテルとなった食事、庭園、散歩道。行き届いたもてなし、善良さ、素朴さを隠そうとしない上質な従者を召しかかえる貴族の気分。
ボディスガスレン・ホールのサマーブレイクスが掲載されたタリフ(料金表)を現地で入手し、チェックアウト時の明細書&領収書と記念に持っています。ふところが豊かでなくても、こころ豊かになれる旅。古き良き時代。記憶を呼びもどす旅は続く。
(未完)
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