ダラムはヨークとエディンバラの中間に位置する大聖堂と大学の町で、大学の創立は1657年、大聖堂は11世紀末から12世紀にかけて創建されたという。大聖堂と大学は三方を蛇行するウィア川に囲まれている。
町はしっとり落ち着いた雰囲気。投宿した低層階ホテルの眼下はウィア川で、部屋の窓から大学ボート部女子が練習に励む姿が見える。2人用ボートを猛然と漕ぐ速さにみとれてしまった。美顔とは対照的な肩幅の広さ、短パン上脚部の太さ。
ウィア川に架かる橋をわたって大学と大聖堂へ向かった。ダラム城は大学の寮となっており、観光客の出入りは自由。大聖堂入口にさしかかると幽かに妙なる歌声が耳に入ってきた。
ここでも少年聖歌隊の歌を聴けるとは、それも、ヨーク大聖堂の聖歌隊より声が澄みきって、たとえようのない無上の響きなのだ。敬虔な信仰者でもなく、礼拝をしない者に対しても至福をもたらす歌声。月曜や特定の祝日以外の午後、少年聖歌隊の歌を聴くことができるらしい。後年、ダラム少年聖歌隊は英国内外で公演を実施している。
ダラムには聖歌隊学校(生徒は園児から小学生)があって、英国を代表するコメディアンのローワン・アトキンソンはこの学校出身だとか。Mr.ビーンで一躍有名になった彼は、音楽の授業中どんな顔して歌っていたのだろう。
大聖堂の中庭で読書したり、城の林にハンモックを吊して昼寝する学生を見た。女子学生は活発にボートを漕ぎ、男子学生は静かに本を読む。両者から伝わってきたのは清々しさだった。
大聖堂からエルベット橋を渡ると石畳のオールド・エルベット通りで、おしゃれな店舗が両側に並ぶ。そのなかに広東料理の看板を掲げる店があり、商店ふうの1階の階段を上るとレストラン。
午後8時ごろ、こじんまりした室内の7つか8つのテーブルは満席。唯一空いているテーブルは予約席だと給仕が言う。あきらめて帰ろうとしたら、オープンドアから女性があらわれる。金糸の花模様を綴った深紅のチャイナドレスを颯爽と着こなし、スタイル抜群の女性マネージャーは肌が小麦色のマレーシア系華僑。
給仕に広東語で何か言って、「どうぞお座りください」とイスを引いた。「カスタマーが9時に予約していますが、それまでに何席かのカスタマーは帰ってテーブルに空きが出ます」と微笑んだ。
広東料理店の窓際テーブルから通りが見え、着飾った娘たちが三々五々歩いている。ロングドレス数名のうち一人は、ポニーテイルをくずし、着やせしていたが、ボートを漕いでいた女子学生だろう。
会話がはずんでいるのか、花が開いたように笑っていた。午後8時は夕方5時過ぎなみに明るい。入店したとき、通りを行き交う人はまばらだったけれど、テーブルに座って20分も経ったら、通りは人でごった返している。
アジア人は私たち一組、あとは常連と思える英国人。チャイナドレスの女性は客との紋切り型の挨拶、料理のリクエストに応じ、それでもときおり客にさりげない笑顔を送る。ドレスは夜来香(イエライシャン)の花の色と異なりバラ色としても、あたたかいもてなしの彼女が夜来香かもしれなかった。
料理はいつものごとくアラカルトを注文した。長年にわたった香港3泊4日で広東料理の真髄を究めることができた。ダラムはヨークよりおいしく、97年の中国返還以来、腕のよい料理人が海外へ流失している。
翌朝10時、ダラムから190キロ北のエディンバラへ向かう。
30キロも行かないうちに北イングランド最大の都市ニューカッスル・アポン・タイン(New Castle Upon Tyne)にさしかかり、中央突破すれば渋滞に巻き込まれる怖れがあるので、西側の迂回路を進んでA1を60キロ直進、アニック(Alnwick)から15キロ行ってB1341を右折、東の北海をめざす。速度を落として走ったので2時間はかかった。
ニューカッスル周辺をのぞいて道はガラ空き。B1341はのどかな田園風景が続く。数キロでバンバラ村に入り、左手にバンバラ城の偉容を目にする。城の専用駐車場は砂浜の草っ原。それでも有料。土曜だったせいか車の数も多かった。
城内見学の前に浜辺散策。水平線が見える真っ青の北海と白砂のコントラストに目を奪われ、風にゆれる雑草の繁茂する丘を歩いた。なだらかな起伏にとむ白い丘。
すでに昼時。村のパブとも考えたが、探すのも面倒だし、城内にレストランがあった。まず食券を買うシステムは昔の百貨店の大食堂。たいしたことはないと思いつつスパゲティ・ミートソースを選ぶ。
たいしたことないどころか伴侶と顔を見合わせる。質素に慣れた修道士でさえパスするのではという味つけ。パブで食べていればよかったと悔やんでも後の祭り。それからエディンバラに向かってA1を北西に走る。
ベリック・アポン・ツィード(Berwick Upon Tweed)を通過したあたりから8キロにわたって間近に北海が見え、いったん隠れるが、しばらくするとまた10キロ以上にわたり目に入ってくる。道路越しの絶景。
レンタカーを駆ってドライブを数日続けていると、A地点からB地点の途中で出会う風景に魅了される。ソールズベリーからコッツウォルズへのカントリーサイドではポピーが一面に咲く丘、畑と畑を隔てる高い生垣。停車して丘陵や畑と一体になった。
99年ごろから世界遺産という言葉が日本でもてはやされはじめた。みるべきものの多い世界遺産ではあるけれど、一部の場所をのぞいて混雑し、独占は不可能。だが、ハーレフ城、ボーマリス城などへ平日の閉門まぎわに行けば独占できた。すれちがう車もない美しいカントリーサイドの道を専用道であるかのごとくひとり占めできた。
(未完)
ダラム ウィア川に架かるキングスゲイト橋(1966年) この橋のみ20世紀建造 橋をわたると大聖堂と大学

|