2024年8月19日    ハイランドの旅(1)

 
 1999年6月末、英国レンタカーの旅を終えて帰国して2週間後、スコットランド高地地方(ハイランド)旅行の計画を練りはじめた。エディンバラへはパリ経由のエールフランスを利用。
ハイランドはB&Bが一軒しかない僻地も行くのでそこに泊まり、ホテルのある町ならホテルに泊まる。シャワーのみのB&Bは避け、バスルーム付きを選びたいが、シャワーしかないB&Bもあった。当時パソコンは持っておらず予約はFAX利用。確かめたいことがあるときだけ電話。
 
 小生が何かに集中しているのを感じたのか、わが家を訪れたとき、姉は「旅の計画あるのでは」と尋ねた。伴侶は無視したのだが、男はバカ正直に応じる。すると間髪入れず「連れてって」。伴侶の顔を見たら、おっちょこちょいだからダメと書いてあった。
姉は子どものころ盆踊りが好きで、町内だろうが遠方であろうが、盆踊りと聞けば飛んでいったらしい。母親はそういう場所につきもののテキ屋と懇ろになったらタイヘンと、小学校5年の姉に日本舞踊を習わせる。1年生の妹も習いたいと言って稽古に励んだ。
 
 中学2年の二学期、転校してきた小生が教室に入り、たまたま空いていたのが姉の隣のイス。そのころの彼女は爽やかで、優雅の片鱗さえあったが、いつのまにかコメディアン。連れていけば足手まといになる可能性はある。
しかし姉には恩があった。岳父が重篤な病にかかり、小生との結婚話が持ち上がったとき、母親に対して発言力を持つ彼女は、「井上君なら間違いない」と言ったらしい。間違いだらけの男はその一言で株が上がった。
 
 義理堅い男は姉の子2人が幼いころから好んだ北海道のズワイカニ、高価なイクラ、岡山の白桃、サワラの味噌漬け、姉の好きな鳥取の20世紀梨を毎年送り続けた。今回、一挙に恩返しできる機会がめぐってきたと考え、「いいよ」と返事。姉のうしろで伴侶は渋い顔。
 
 1999年10月1日11時20分関空発エールフランスAF291便は17時、シャルルドゴール空港に到着。エディンバラ行きの便は20時50分発だったので空港内喫茶店で時間をつぶす。ウェイティングが長いと思っていたけれど、気心がしれる者同士なので会話もはずみ、時間はあっという間に過ぎた。
 
 エディンバラ空港着は21時30分(フランスと英国の時差は1時間)。空港に近いホテルを手配したのは、空港内のAVISでレンタカーを手配しているから。風の強い夜だった。
翌朝はカラッと晴れ、バイキング形式の朝食を山のように皿に盛って食べる姉は、生卵をゆで卵と勘違いし殻を割ろうとした。Raw Eggと書いてあったのに気づかなかったのだ。とっさに伴侶がとめて姉は「アッ!」と声をあげた。割っていたらもっと大きな声で叫び、まわりの人も注視しただろう。
 
 エディンバラ空港のAVISで紺色のプジョー406をレンタル。同年6月、カーディフ空港ではダークグリーンのプジョー406だった。基本料金は7日間で185ポンド、異邦人に課される1日2ポンド(6月に較べると倍)、7日で14ポンド道路税、保険が約41ポンドほかの料金に税金17.5%が課税され合計350ポンド弱。日割り計算で1日9000円ほど。
 
 空港は市内の13キロ西にあって、パース方面へのアクセスも便利。A90を北上すればすぐ北海フォース湾に架かる全長約2500メートルのフォース橋にさしかかる。橋は鉄道橋と道路橋が並行、眼下は海。
道路橋から鉄道橋の眺めを満喫したい。ドライバーはよそ見できず、後部座席で姉妹は話ながら盛り上がっているが、橋に気づいていない。「右を見よ」の合図をかけると二人同時に首を90度かたむけ、ほかではお目にかかれないデザインに感動する。
 
 ストーンヘイヴンまで177キロ、約3時間を走って、観光案内所前の駐車場に着いたのは正午過ぎ。案内所で聞いたレストランまで徒歩2分。あっさり味のトマトスープがおいしかった。20歳くらいのウェイトレスは庶民的で可愛くコメディアンふう。彼女も参加してステキな記念写真が撮れた。
 
 案内所前からダノッター城の駐車場へは南へ進み、小さな丘を二つこえて3キロ。町を数百メートル離れるとカントリーサイドの景観に変わり、気分は高揚。ストーンヘイブン観光の要所まで標識があり、迷わず行ける。
 
 ストーンヘイヴンとダノッター城が歴史に登場する有名な場面は13世紀末以降いくつかあるが、1651年後半から52年にかけてスコットランドの高地地方(ハイランド)へ侵攻したクロムウェル(オリバー・クロムウェル 1599−1658)軍がダノッター城を包囲したときの模様が、ナイジェル・トランダー著「スコットランド物語」に記されている。
 
 スコットランドに王冠が運び込まれていたダノッター城は陥落し、王冠が奪われるのは時間の問題となっていた。しかしそのとき村の牧師の妻が一計を案じ、まず王剣と笏を糸巻棒のようにカモフラージュし、王冠はスカートの下に隠したが、馬に乗るときスカートから王冠をはずすしかない(当時、婦人の乗馬は横乗り)。
王冠を腹に隠した夫人が乗馬するさい手を貸したのはクロムウェル軍の司令官。もはやこれまでと夫人は思ったにちがいない。が、妊娠と見誤ったのかどうか司令官は気づかず、王冠は無事目的地に運ばれ、王政復古の日まで埋められる。
 
 束の間の繁栄をもたらした人間は忘れ去られるが、伝説をもたらした人物は記憶にとどまる。繁栄の命は短く、伝説は長生きなのだ。
ダノッター城の駐車場で車を降りると、おりからの強風に飛ばされそうになった。北海に置き去りにされた孤高の廃城が毅然と屹立する姿に私たちは圧倒された。「一番最初に一番すごいものを見たね」と姉がつぶやく。
 
 ハイランドで私たちが見たのは、ガイドブックや写真集にほとんど掲載されない風景である。マイナー中のマイナーといってもよい。観光客をとりこにする景色でもない。なのになぜか心に居すわり続け、思い出すたびに胸がいっぱいになる。そのときの風、空気の色が去来し、出会った人々があらわれるのだ。
 
                  (未完)

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