2024年8月30日    ハイランドの旅(3)
 
 1980年代の終わりごろ、香港ハーバーシティのショッピング・モールの書店で見た写真集「Scottish Symphony」がきっかけとなってハイランドに興味がわいた。ハーバーシティの突堤に長々延びる建物を探訪したが、行けども行けども店がならび、Uターンして帰ろうとしたら大きな本屋があった。なかは閑散としており、膨大な蔵書。
 
 ヨーロッパ関係の書物コーナーがあり、それだけで半日はつぶれそうな多さに目が回った。そのときである、一冊の大型写真集が目に飛びこんできたのは。
米国ボストンの出版社が刊行し、値段は50USドル。香港でいくらしたのか思い出せない。ぱらぱらとめくっていると、40頁から41頁の見開き(72センチ)に見たことのないような風景があった。ここはどこだ。
 
 海を背景にした丘に城跡らしき建築物がいくつかあって、孤独と毅然を感じさせた。厚い雲が海面にせまり、遠くは明るい。巻末の「List of Plates」を見ると「Dunnottar Castle near Stonehaven」と記されていた。112頁から113頁の見開きにも魅せられた。「December in the Pass of Glen Coe」。心惹かれたのはその2枚だけだったが、買わずにはいられなかった。
 
 ハイランド3日目と4日目、ピトロッホリーの「パイン・ツリー」(Pine Trees)で2泊した。4日目はピトロッホリーを起点にB8019の紅葉街道を西に向かい、進行方向左側に続くタンメル湖が終わったところで左折、B846を南へ進む。フォレストパークを通り抜け、A827を西に向かいキリン着、パブでランチ。
 
 私たちが食べ終わるのを見計らったようにカウンターの椅子に腰かけていた60代半ばの男性が話しかけてきた。会話と顔立ちでわかっていたのだろう、「日本の方ですね」と言ったときのやわらかい物腰とやさしい目。
 
 英国海軍に在籍していた男性は、「ランボー」の大佐役をやったリチャード・クレンナ似の二枚目で品があり、空いている椅子に座ってもらった。彼は、「横浜と神戸に滞在したことがあります」とほほえんだ。
何を話したのかおぼえていないけれど、勘定を自分が払うと言い張り、固辞しつづけるのはかえって失礼かとも思えてご馳走してもらった。その男性とエディンバラ・ピザハットの20代前半女性従業員の顔はいまもはっきりおぼえている。そばにいるだけで気持ちが豊かに、温かくなる美男美女。
 
 キリンのドカート橋を共にわたりながら会話を交わした中年女性も忘れがたい。出会った人々は荒涼たる風景と対照的に親切で穏やかだった。ハイランドの陽光は曲がりくねった山間にたなびく靄のように遠ざかってゆく。しかしその光は、旅人が北風にすくむとき、雲の絶え間から射してくる月の光にも似て懐かしい。
 
 強い光はひらめき、刻印を残すが、弱い光は幽かにまたたくだけだ。弱い光は、寂寞とした野を、あるいは霧につつまれた森の奥を照らす日影のようにやさしい。どこに行っても、何を見ても、思い出すのは過去に出会った人々と心の風景である。
 
 ホテル「パイン・ツリー」の1999年5月1日〜10月31日「Summer-Autumn」プラン(2泊以上)は朝夕2食付き(税込)スーペリアル・ルームで1人1泊58ポンド、2泊合計232ポンド。夕食は日替わりコースディナー。英国のB&Bは夕食を提供する宿もあり、その場合はB&B.Dとなる。
宿は英国観光局だったかクレディット会社だったかのディスカウントに対応しており、パーセンテージで何%ということではなく、約19ポンド割引されていた。
 
 10月5日、ピトロッホリーを出発してまもなくキリークランキー峠を越え、ブレア城見学し、A9とA889の三叉路を左のA889を西に進み、途中でA82となる道をフォートウィリアムまでの約80キロ走る。
フォートウィリアムの手前で右折、A830を20キロ西へ行ってグレンフィナン高架橋を見学し、もと来た道をもどり、ケンタレン村のB&B「アードシール・ハウス」(Ardsheal House)に投宿。現在のハウスは1760年建築。
 
 アードシール・はハウスはニールさんとフィリッパさん夫妻がきりもりするB&Bで、敷地98万坪(縦1.6キロ横2キロ)の奥まった場所に建物があり、道路から小道(敷地内)を延々と走ってハウスへ行きつく。ドイツナンバーのぴかぴかの白いポルシェが駐車場に置かれ、ニールさんが「毎年ドイツから来訪します」と言っていた。
 
 夕食時テーブルは満杯。料理目当ての数組の常連客で占拠されている。予約困難なB&B。あれほど美味な西洋料理は6月のボディスガスレン・ホール以来。7月半ばにFAX予約できて正解。
コース・ディナーがひととおりすむまでフィリッパさんは厨房にいる。近隣からの中年女性がニールさんと給仕をしていた。見るからに人柄がよさそうで笑顔がステキ。最高峰の家庭料理2食付き1泊1名63ポンド。
 
 10月6日、ニール夫妻と写真撮影後、グレン・コーまで12キロのA82を東進。秋は終わろうとしている。カーブは何度も大きくなだらかに曲がり、景観をゆっくり眺めることができる。ドライバーにとっては何より。
車を駐め一軒家に向かって歩いていると朽ちてゆくものの匂いが、秋なのに春の匂いがただよう。日が暮れると車も通らず、小動物も鳥も近寄らない。そんな場所でも旅は道づれ、世は情け。
 
 秋の峰々は黒く、ヒースの生い茂る野は寂しい。遠くに無人の家がひっそり佇んでいる。あの家で旅人を待つ人はいない。だが、だれかが待っているかもしれないと旅人に思わせる何かがあるのだ。
 
 スコットランドのガイドブックでグレン・コーを紹介しないものはないほど知られている。1692年2月13日に起きた出来事がグレン・コーの名を歴史にとどめた。しかし、私たちが白壁の家まで歩き、家に入って、再スタートするまでだれにも会わなかった。駐車場もわたしたちの車だけだった。無人の家、吹きぬける風を3人で共有していた。
 
          (未完)


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