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観光地としてすでにトルコのカッパドキア、ギョレメの奇岩は知れわたっていたが、パムッカレは周知されていなかったろうし、1991年カッパドキアで熱気球飛行がおこなわれるまで今のような日本人旅行者の集客力はなかった。その点イスタンブールは20世紀初頭からヨーロッパからの旅人でごったがえしていた。オリエント急行である。
2024年11月10日出発のトルコ10日間の旅に参加したのは、女性同士ペア6組12名、夫婦6組12名、伴侶の25名。ひとりで参加したのは伴侶だけだった。ひとり参加が目立ったのかどうか、宝怩フ井上さんとすぐおぼえられたらしい。ほとんどが関西の人。香川県・丸亀からの夫婦79歳男性、76歳女性が最高齢。年齢層は30代半ば〜70代後半。
愛媛県・今治出身の女性添乗員が旅行数日前に電話してきて、宿泊先のいくつかにプールがあるので水着を持ってきてくださいと言う。電話を切ったあと伴侶は、この年でいまさらとつぶやく。
出発日当日、しょっぱなから戸惑いの連続。航空機の自動チェックイン。新型コロナ蔓延ごろ、関空国際線は様変わりしていた。荷物預けの列に並んでいたのだが、ちょっとしたことで列を出なければならなくなった。
連れがいれば荷物の番をしてもらえるのだが、荷物を置いて離れるのは危ない。しかたなくスーツケースを持って列を離れ、用事をすませて列の最後尾に並び直す。
添乗員は小型封筒を全員に配布し、「後ほどイスタンブール空港の広場で」と言ったきり視界から消えた。個人旅行なら航空機を予約した時点で座席指定できるのに、ツアーは事前に座席指定ができず、当日やらねばならない、自分で。トルコ航空787便エコノミークラスのシート配列は3、3、3、画面を見ると通路側はいずれも満席。落胆してはいられず席を確保。
機内で封筒の中身を確かめると、添乗員が独自に作成した写真、イラスト入り小冊子が入っており「サフランボルの岡」と書かれている。「丘」なのに。アンカラの「アタテュルク廟」は「アタテュルク廊」。霊廟はいつのまにか廊下に変身。推測するに、霊廟ということばを知らず、廊下だと思ったのだろう。
直行便は13時間後の午前5時半イスタンブール着。機内預かりのスーツケースをピックアップをするため、添乗員の指示通り全員がターンテーブルで待ちかまえていたが、周りにいるのは参加者25名プラスワン。ターンテーブルは回転せず、荷物は出てこない。
航空機は満席だったのに待っている人間が26名とは不自然。ターンテーブルが動いていないのもヘン。そのうち4名はトイレに駆け込む。添乗員がターンテーブルを間違えていると気づいた参加者のひとりが声を発した。
あわててほかのターンテーブルに移動。スーツケースはぐるぐる回っていた。トイレから出てきた4人がきょろきょろしながら駆け寄る。参加者のなかの女性が言う、「添乗員、トルコ案内した経験ないのでは」。添乗員は過去3度トルコの添乗をしたらしい。
そこから強行軍。休憩なしで空港からバスに乗りサフランボルへ向かう。途中、レストランで昼食。サフランボル観光は約90分、またバスに乗ってアンカラへ。この日バスの走行距離は約660キロ。観光時間は短く、バス乗車は長く、たまりません。午後7時過ぎやっとホテルへ到着。関空を出て27時間経過。
翌日、アンカラ市内、トゥズ湖観光をしてカッパドキアへ。地下都市見学後、トルコ石みやげ店へ連れていかれ、ホテルに着いたのは午後7時。翌早朝、夜明け前にホテルを立ち熱気球飛行。絶景を眼におさめつつ気球に乗る。これが楽しみで伴侶はトルコへ行きました。カッパドキアは2泊、気球に乗るチャンスは3回というツアーだったけれど、晴天にめぐまれ1回目でクリア。
1時間飛行し地上に降下。気球会社が用意した安着祝いのシャンパンで乾杯。アルコールがダメな人はぶどうジュース。そのあと絨毯屋へ連れていかれ、買う気はなかったのだが玄関マットを購入。6万円の言い値を値切って5万円也。帰宅して、おそるおそる絨毯を出した。「記念になってよかったじゃないか」の声に一安心。
伴侶より年下の男性が、「値切ればもっと安くなった」と言ったらしい。大きなお世話。とそのとき女性添乗員が、「トルコに3回行って、そのたびに絨毯買いましたよ。記念になりますから。1枚は母にプレゼント。喜んでくれました」とフォロー。
年下男性はその一言で沈黙。その年下男性は、ほかの年寄り男が伴侶にくだらないことを言ったとき、伴侶をかばう発言をしたらしい。入れ替わり立ち替わりさまざまなことを言うのも関西カラー。
数日前、別の女性がラインで知らせてくれたブログを読み、同じものを同額で買ったと知った伴侶は、その女性の旦那さん(ブログ開設者)が、4万円と書いていたら気落ちしていたろう。旦那さんは「玄関狭いのに」とも書いていた。
翌日、コンヤからパムッカレへ向かうバス駐車場で女性ペアがすたすた反対方向へ歩いているのを発見。おしゃべりに夢中でまったく気づいていない。ペアのひとりは50歳前後、高橋真梨子ふうマダム。写真を見るかぎりではそれなりにしっかりして、貫禄さえ感じる女性。
いち早く気づいた伴侶が走って知らせようとしたら、「わたしが行きます」と隣にいた年若の女性が一目散に駈けだした。イスタンブール到着から同行していた現地ガイド(男性)も気づき、「違うところに行ってしまう」。
マダムほか1名が違うところへ行くバスに乗り込み、出発後、周りの乗客が知らない人ばかりでヘンに思っても後の祭り。添乗員が気づいたときの行動は、駐車場にいないバスの現地代理店に問合せ、行先を特定し、ツアー客を現地ガイドに一任、タクシーに乗ってバスを追跡。
しかし、つかまえたのが雲助タクシーで、上玉ではないが日本人女性はカネになるから仲買人に売り飛ばす。添乗員は何が何だかわからずオロオロし、仲買人が、どうみても中年だから3万円がいいところだと言い、雲助も不承々々OK。トルコ語のやりとりだから添乗員は会話の内容を把握できない。あとで3万円と知り、絨毯より安いのかと愕然とする。
という話を伴侶にしたら、自分の値段はと尋ねるので、「添乗員より年は上だが、容姿も上だから5万円」と言った。そこで、「添乗員さんはね、イスタンブールで街歩きしたとき、みんなに焼き栗買ってくれた。親切で気のきく人」と言う。ターンテーブルのお詫び焼き栗かもしれない。
添乗員はパムッカレでもイスタンブールでも室内プールで泳いだらしい。みやげ店であれこれ買物をしていたというし、写真をみると顔に疲労感がにじんでいた。伴侶はみなに気をつかいすぎたからと言うが、遊びに集中して疲れたと思う。
行く先々で風景を背景にスマホで自撮りしていた30代半ばの女性は、聞くところによると子どもにバレエを教えており、インスタを4つ持ち、旅先や日常の画像をインスタにアップしているという。イスタンブール空港に到着したさい、どこかに消えて、あらわれたと思ったら着がえていた。誰かが思わず叫んだらしい。「あの人、もう着がえてるわ」。
カッパドキアで桃色のコートふうチュニックを着てばちばち自撮りし、あいまに同行した自分の母親とおしゃべり。風景はほとんど見ていない(と小生は思う)。その写真を伴侶が撮っていた。
桃色は周囲の光景の色がベージュ一色だけに目立つ。インスタを4つ運営しているので視覚効果を念頭に入れているのだ。60代の母親も並んでスマホのシャッターを押す。母子のツーショットをインスタに挙げるのでしょう。
夕食のレストラン。隣のテーブルでバレエ教師の母親の声が聞こえてきた。姑に苦労した母親は身の上話を延々としゃべる。前のツアーではよよと泣き崩れたそうだ。苦労が重なって発病したらしい。話を聞いていた太めの中年女性が、「そりゃ、病気になるわ」と声高に言った。太め女性は現役看護師。同僚看護師とともにツアー参加した。
同僚看護師は40代半ば、目標はスペインの巡礼道を毎日20キロほど歩いて聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラへ行くことらしい。大聖堂が終着点だ。彼女と伴侶が地名を言おうとするが出てこない。「あれ」とか「それ」をくり返し、結局スマホ検索。顔を見合わせてサンチャゴ・で・コンポステーラを合唱。心境は合掌。
翌日、母親は「そりゃ病気になるわ」と同情してくれた看護師のうしろをついて回る。そんなことならトルコでなくても大阪城とか通天閣でもよかったろうに。母は身の上話、娘はファッションショー。
パムッカレで石灰棚田(世界遺産)を見学。昼食は串焼き肉なのだが、前菜のじゃがいもなど少量の野菜を誰かが「メインディッシュ」と言った。単なる早とちり。メインは一人分の串焼きが5本もあってその女性びっくり。その後エフェソスへ移動し遺跡見学。
イズミール発19:55のトルコ航空機でイスタンブールへ移動。約1時間。夕食は機内食。それまでで一番おいしかった何かのサンドイッチ。隣の女性と「おいしいね」と話していたら「ランディング」の機内放送。着陸態勢に入る。
出たばかりの食事はトレイごと下げられた。まだ半分も食べていない。水平飛行になって提供しておればこんなことになっていない。出すのが遅い。後部座席に座っていた女性が叫ぶ、「罰ゲームや」。太めの看護師でした。
イスタンブール空港からバスでリッツ・カールトンホテルへ向い、チェックインしたのは午後11時半ごろ。荷をおろし、ひとっ風呂浴びていたら突然停電。真っ暗闇のなか手探りでベッド近くに置いたスマホを探す。
スマホのほのかな照明を頼りにカーテンを開けると、まわりのビルはぜんぶ照明が灯っている。停電はここだけ。リッツ・カールトンホテル3泊という謳い文句ですが、1泊目は深夜到着で寝るだけ、おまけに停電。
翌朝、ブルーモスク、アヤソフィアなどを見学。イスラム寺院なのでスカーフ着用。ボスポラス海峡をわたる船でクルーズ後、宮殿ホテル・チュラーンでランチ。トマトのサラダ、チキンカツレツなど。夕食はシーフード。イスタンブール3日目は世界最大のモスク(名前忘れた)とスーパーマーケット見学。サバサンドのランチ。午後はパラット地区へ行くかホテルライフでチャイ(ケーキ付き)か選択可。
疲れはたまっているけれど観光を選び、トルコ人ガイド(到着時からのガイド)、20名くらいの参加者と一緒にトラムに乗る。下車し、みなで歩いていると、はるか前方に日本人女性ふたりがいた。あのマダムと相棒。三叉路を曲がって商店がごちゃごちゃ建ち並ぶバザールに入ろうとしていた。
伴侶が気づいてガイドに声をかけた。ガイドは大声で添乗員の名前を呼び、マダムたちの方向を指さす。添乗員は脱兎のごとく駈け、マダムに追いつき、引き留める。バザールの人混みにまぎれこむ直前だった。迷子になっていたら参加者の話の種になっていた。
イスタンブール4日目、トプカピ宮殿、スレイマン・モスクを見学し、深夜便に搭乗するため空港へ向かった。出国手続き前、列に並んでいたら添乗員がいない。トルコ人ガイドと伴侶が目で探すと、添乗員は数名を従えて反対方向に向かっている。ガイドが大声で添乗員の名を呼び、「こっち、こっち」と叫ぶ。
添乗員は革製品の店でみなが買物を終えても最後まで残っていた。やっと出てきて紙袋の中身を伴侶に見せてくれた。極薄レザーコートで、黒地に紫色の細い線が模様としてあしらわれたステキなコートだった。伴侶が趣味のよさをほめたら、「次回の添乗で着ていきます」とこたえる。
全員いい人ばかりだった。帰宅するまでは倒れないと自分に言いきかせ、くたくたになって帰国した伴侶は、「サフランボルとカッパドキア、パムッカレは思い出すけど、あとは時系列も場所もばらばら。気球飛行だけは一緒にいたかった」としんみり言った。伴侶がどこにいてもいつでも小生はそばにいる。姿が見えないだけだよ。
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