2025年2月5日    ミディピレネーの旅(1)
 
 1999年10月10日、ハイランドの旅を終えてエディンバラ発11時40分エールフランス2489便(座席は10D、10E)でシャルルドゴール空港に着いたのは14時25分(英国との時差は1時間 飛行時間は1時間45分)。
トランジットルームで1時間すごし、15時40分のエールフランス7786便(座席は7D、7E)でトゥールーズに到着したのは17時だった。トゥールーズはカルカソンヌ、コルド、ロカマドゥールなどの起点、もしくは終点となる交通の要所。
 
 空はまだ明るかったけれど、暗くなって活動すると疲れるのでトゥールーズのホテルにチェックイン後、キャピトル広場に出てオープンカフェでコーヒータイム(画像はホテルの部屋から見るキャピトル広場)。広場から徒歩数分の位置にガロンヌ川が流れ、日没前の光景は印象派の絵のように美しい。
ホテルの名は「グランド・オペラ」。正式名は「Grand Hotel de la Opera」。12世紀建造のサン・セルナン・バジリカ聖堂はサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者を長年にわたって受け入れた(宿泊)歴史を持つ。八角形レンガ造りの鐘楼で名高く、主な名所のほとんどが徒歩圏内にあるが、夜が更けると人も車も途絶え、静寂につつまれる。
 
 ホテルは部屋によって意匠が異なり、私たちが通された部屋は、カーテンとベッドカバーが渋いイエロー系、室内は優雅で広く、バスルームは洗面台が2つあり、バスタブも大きかった。
1999年、ヨーロッパ名門ホテルの宿泊料金は当時、日本円に換算すると4万円〜5万円だったが、グランド・オペラはツインルームの料金860フラン(1フラン約18円)。15400円でこの部屋泊まれる。つくづくパリの物価は高く、南仏の相場は安いと感じた。
 
 ミシュラン星付きのレストランは高く、グルマン・マークのレストランは安く、しかもグルマン・マークのレストランのほうが味もよかった。ミシュランの信奉者は名前だけでありがたがるのかもしれないが、ガイドブックはアテにならない。食べれば誰にでもわかることだ。
ミシュランの星付きレストランとグルマン・マークのレストランが異なる点は、食器(皿やフォーク)の値段だ。しかし皿は食べられない。ミシュランの星にこだわる人は皿も食べもの一部と考えているのだろう。
 
 グランド・オペラにはレストランが2つ。料金の高い「ジャルダン・デ・ル・オペラ」(ミシュランの星付き)と「ブラセリー・デ・ル・オペラ」(グルマンマーク)。ブラセリーは内装と食器が豪華なジャルダンの3分の1の料金で食べることができ、味もすばらしい。ジャルダンの料理は塩っぱかった。
 
 私たちの旅はアラカルト。食事も各人の好みで注文し、フランス料理でも中華料理でもコース料理は食べない。ブラセリーの前菜に何を食べたのかおぼえておらず、思い出すのは子牛肉のソテーで、肉はやわらか、ソースも美味だった。
絶品だったのはデザートのヌガー・アイス(Nougat Glace)。カラメルに何かを足したアイスクリームケーキ。ヌガー・アイスを注文したのは小生のみ。ほかの2名がデザートを注文したかどうか忘れました。伴侶の姉、伴侶、小生の3人の合計461フラン(税込み)。
 
 翌日、トゥールーズのマタビオ駅発ニース行き11時29分の列車ユーロスターに乗り、カルカソンヌ駅に12時19分下車。切符は自販機で購入し、改札口のオレンジ色の機械で日付を刻印する。
 
 中世のカルカソンヌはしばしば宗教紛争に巻き込まれる。13世紀初頭、キリスト教の一派カタリ派はローマ教皇から異端とみなされ、フランス王フィリップ2世軍がシテを包囲し、籠城を余儀なくされたが頑強に抵抗しつづけ、フランス軍は退去したものの、その後1世紀にわたって弾圧された。
 
 異端審問を中世の遺物と言い放つのはたやすいけれど、コソボ紛争、クルド難民、北アイルランドの新旧教徒対立、イスラエル&ガザ紛争、ウクライナ戦争に至るまで、異端審問は姿形を変えておこなわれている。対立と分断の歴史は世紀を超えて存在し、彼らの記憶は憎悪の念とともには受け継がれる。
 
 消える記憶もあれば消せない記憶もある。言うは易し、行うは難しであっても、先進国の美点は、忘れて友好を保つのではなく、忘れないで仲良くすることなのだろう。忘れることが美徳であるかのような、隠し味や隠れ家をありがたがるような国民には理解しがたいのかもしれない。
 
                     (未完)
 
         「グランド・オペラ」の室内からのぞむキャピトル広場


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