20世紀の米国俳優で唯一、美男で芝居がうまく、しかも癒やし系だったロバート・レッドフォードが9月16日亡くなった。60年代から70年代の米国映画はおもしろかった。そのなかでレッドフォードが出演した映画はぜんぶ見た。
ラブロマンスからコメディ、サスペンス、スリラーまで何でもこなせる稀有の俳優だった。二枚目ということならジェームズ・ディーンもいるが、24歳で事故死したので比較できない。
中学生のころみた「草原の輝き」(1961)の主演ナタリー・ウッドに魅了され、彼女がスティーブ・マックィーンと共演した「マンハッタン物語」(1963)は見逃したが、コメディアン的才能の片鱗を示した「グレートレース」(1965)は米国映画全盛期のどたばた喜劇の集大成。
「草原の輝き」にワーズワースの詩の一節が出てくる。「あの草原の輝きや草花の栄光が帰らなくても嘆くのはよそう。残された物のなかに力を見いだすのだ」。中学生の感性に訴えるには十分だった。
レッドフォードはナタリー・ウッド主演「サンセット物語」(1965)で共演、ゴールデン・グローブ賞新人男優賞を受賞した。「雨のニューオリンズ」(1969)でも共演している。ナタリー・ウッドは1981年、カリフォルニア南部の島で水死体となって発見された。43歳の謎の死。
「夕陽に向って走れ」(1969)、「明日に向って撃て」(1969)でレッドフォードと共演したキャサリン・ロスは、「卒業」(1967)でダスティン・ホフマンの相手役となった。初々しいキャサリン・ロスが映画に新鮮味を添える。
「明日に向って撃て」でポール・ニューマンとキャサリン・ロスが自転車二人乗りするシーンに流れる歌「雨にぬれても」は心なごむ名曲。みた映画を書き連ねていけばそれだけで紙面がいっぱいになる。
レッドフォードの真骨頂はポール・ニューマンと共演した「スティング」(1973)、バーブラ・ストライザンとの「追憶」である。「スティング」はベテラン詐欺師をポール・ニューマン、かけだし詐欺師をレッドフォードが演じ、両者とも役のハラをつかんでおり、ギャングのボスをロバート・ショウがやった。競馬賭博に大金を賭けるとみせかけ、巧みに詐欺をはたらく。だまされるロバート・ショウの見事な演技。
「追憶」はバーブラ・ストライザンドの名演技、歌唱力が印象に残った。追憶の原題「The Way We were」は映画をみおえたあとも記憶に刻まれている。ストライザンドは「ファニー・ガール」(1968)の名演で、オスカー主演女優賞をアカデミー賞史上初のキャサリン・ヘプバーンと二人同時受賞。
ファニー・フェイスと呼ばれた彼女は女優としてより歌手としてのキャリアでその後も活躍、エミー賞など多くの賞を受賞している。「ファニー・ガール」は現在も上演されるミュージカルの名作である。
「華麗なるギャツビー」(1974)はレッドフォードの柄に合っておらず、作品自体も駄作だったが、「コンドル」(1975)、「大統領の陰謀」」(1976)でいいところを見せ、1977年から10数年、幾多の話題作に出演した。
ラブロマンスはレッドフォード自身が積極的に出演したいと思っていなかったのか、「夜霧のマンハッタン」(1987 サスペンス映画)で共演したデブラ・ウィンガーの芝居のみ印象に残っている。「普通の人々」(1980、監督主演レッドフォード)はキャスティングに工夫をこらし、演技派をそろえて成功する。
1996年までの約20年、駄作は少なかったけれど、秀作といえるほどの作品も記憶にとどまる作品も少ないなか、「普通の人々」、「夜霧のマンハッタン」、「スニーカーズ」は評価に値した。
レッドフォードが新天地を拓いたのは監督主演の「モンタナの風に抱かれて」(1998)。彼の役柄は事故が原因で片足を切断する10代半ばの少女と、暴れ馬になった彼女の愛馬を立ち直らせる中年カウボーイ。
共演したクリスティン・スコット・トーマス、サム・ニール、クリス・クーパーなど芸達者がそろった。「モンタナの風に抱かれて」は3度みたが、みるたびにレッドフォードの芝居が胸に響く。
当時14歳のスカーレット・ヨハンソンを起用したのもよかった。この映画の数年後、10代後半のスカーレット・ヨハンソンは「真珠の耳飾りの少女」(2003)で17世紀オランダの画家フェルメールのモデル(小間使い役)をつとめる。フェルメールをやったコリン・ファースを向こうに回してひけをとらず、フェルメールの絵をほうふつさせる色調の映像も美しかった。
「インディジョーンズ」や「バック・トゥ・ザ・フューチァー」などの冒険劇、「ハリーポッター」シリーズに代表される魔法劇は、テンポがよく、肩もこらず、気分転換になって一時期流行したが、飽きがくる。
その後米国映画界がたどったのは、過激なアクション、カーチェイスで、みる者を疲れさせた。派手なアクションとカーチェイスを歓迎するのは米国人だけではないのか。映画好きの多くが米国映画から離れていったのは当然の成行きである。
ただし例外はある。トム・クルーズの「ミッション・インポッシブル」シリーズだけはおもしろい。毎回々々よくもまあアイディアが出てくるものだと感心する。シーンが新鮮で練り込まれているのだ。
後進が育たず、中堅俳優は怠慢となってやる気をみせず、安直な脚本と衰退した演技でドラマを支えられるはずがない。米国映画全体がつまらなくなったのだ。製作資金を出す側も出し渋るようになり、米国映画の低迷がはじまる。資金不足とやる気のなさの悪循環。
そういう傾向をレッドフォードは早くから気づいていて、若手俳優養成所をユタ州に起ちあげ、後進を育成する。サンダンス映画祭を創設したのもレッドフォード。俳優、監督業だけでなく製作者としても尽力したロバート・レッドフォード。新聞は、「彼の死を惜しむ声は多い」と紋切り型を書き立てた。
どう惜しむのか。紋切り型で通用すると思っているのか。映画の世界で60年もの長きにわたって演者、製作者両方の側から表現者としての熱意を持って実践を重ねた人が何人いたのか。レッドフォードはそういう意味で稀有。
俳優としてのレッドフォードは人生の一部だ。誰が若手を育てていくのか。挑戦すら困難なことを誰が続けられるのか。惜しむとはそういうことである。おそらく今後半世紀、彼のような人はあらわれないだろう。
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