2025年4月13日から10月13日まで開催された大阪関西万博。開催前、見てもいないのに大規模赤字になると声高に言い立てたメディアのネガティブ報道にもかかわらず成功裡に閉幕した。ネガティブ報道したメディア関係者は頭を剃りなさい。
5回しか行かなかった伴侶は、10月に入って「通期パス」を買っていればよかったと嘆く。通期パスを買えば何度でも入場できる。行くたびに万博のおもしろさ、たのしさ、すばらしさを再確認したのだ。
中東諸国の沙漠の砂、星空、東南アジアの民族舞踊、周囲約2キロの大屋根リング。それらは未来の造形物ではない、過去と現在の伝統を具現化したものであり、大屋根リングは万博の遺産。
テレビ中継によると、フィリピンほかのパビリオンで民族舞踊をみた人々は、二次元ではなく三次元の世界に目を見張ったという。眼前で繰り広げられる立体的で色彩豊か、動感に満ちた踊り。数百年の歴史の蓄積が見学者を酔わせた。わかる人にはわかるだろう。
「いのちかがやく未来社会」が万博のテーマ。動かない展示物にかがやくいのちを見いだす人が多いとは思えないけれど、各館は最大限、持てる力を発揮し、見応えの多い展示をした。
万博イメージキャラクター「ミャクミャク」の色、赤と青は動脈と静脈をあらわしている。まさに「いのち」。当初は奇異に見えたが、ミャクミャクの意味を知らない人にでもデザインと色は新鮮。それにしてもミャクミャクがこれほど人気になるとは予想できなかった。色もデザインもユニーク。
躍動感にあふれた各国の舞踊。カラフルな衣裳に目を奪われ、高揚感に満たされてこその「いのち」であるだろう。ステキな舞踊を取り入れた国々に感謝。
民族舞踊を見せてくれたのは、パプア・ニューギニア、ケニア、ガーナ、キルギス、チェコなど様々な国で、多岐にわたる。フランス館と日本館を結ぶ人間の赤い糸(赤い衣裳の人々が両館をつなぐ)。
いくつかのパビリオン館内に設営された森や庭。自然保護、環境保全を前面に押し出す国、主催者の考えはわかりやすい。万博をきっかけに未知の国を知り、初めて会った海外の人に親しみをおぼえる方も少なくないだろう。
10月13日閉会日を迎え、「帰りたくない」と言って泣く子どもが続出し、各国パビリオンのスタッフと別れを惜しんで涙ぐむ人々が大勢いた。海外のスタッフが彼らに接する姿勢、熱意、心からの歓迎ぶりが伝わったのだ。海外を旅した者の実感を海外へ行かなくても体感できた。万博のすばらしさである。
あれはもう半世紀前のことだったか、伴侶と小生はフィリピンを旅したとき、民族衣装をまとうタガログ族の舞踊を見学した。藁葺きの古い民家屋根の下に舞台をこしらえ、踊るのは全員若い娘。そのうち8名と伴侶が記念写真に写っている。8人の娘は伴侶になじんでいた。
20代の半ば、モロッコからサハラ沙漠に入った。沙漠の砂は想像していたよりずっと白く、粉のように細かかった。アフガニスタンの沙漠は岩沙漠で、ごつごつして色も茶褐色、沙漠とは思えなかった。
小生は独身時代、ヨーロッパ各地、北アフリカ、中東、インドなどを旅した。20代でヨーロッパ、北米、カナダ以外のアジア諸国はフィリピンとシンガポール、ネパールしか行ったことのない50代半ばの伴侶に、アラブとインドは見ておいたほうがよいと勧め、伴侶は実行した。
世界人口のなかで多くを占めるのはイスラム教信徒とインド人。中国は論外。さまざまなパビリオンを紹介したテレビ番組だったが、中国を紹介したメディアはなかった。発想力の著しく乏しい中国館ならそうなる。
1970年の万博へ行った人は感慨もひとしおだろう。伴侶は18歳のときEXPO70を見学、岡本太郎の太陽の塔を間近で見て感動した。55年前と意識下で較べていたと思われる。
単に較べるだけではないだろう、当時の出来事、それからのドラマを追懐したのではないだろうか。伴侶は1981年に開催されたポートピア神戸博でコンパニオンをやっていた。期間は半年。当時の思い出も重なったのだ。
コンパニオン仲間のひとりTHさんは、30年以上たって伴侶と話したとき、当時のことを「涙なくして語れない」と言った。それを伴侶から聞いた小生は、コンパニオンでもないのに万感胸にせまった。
最長10時間待ちだったダイエー・パビリオンのコンパニオン数名の顔が瞬時に浮かぶ。閉会日、達成感と寂しさが怒濤のごとく押しよせよたろう。コンパニオンはかけがえのない貴重な時を過ごし、共有した。その思いが「涙なくして語れない」である。人の心を動かすのは率直さだ。
経験したことは、別の経験が契機となって思い起こされる。インド館へ行くとジャイプールの風の宮殿を、エジプト館は王家の谷、トルコ館はカッパドキアと気球、ポルトガル館へ行けばリスボンとロカ岬、シンガポール館ならオーチャード・ロードとボタニック・ガーデン、イタリア館へ行けばバチカンのピエタ、チェコ館はプラハ城とカレル橋。海外に興味を持つだけで視野は広がる。
記憶が内面に刻印されていれば思い出せる。忘れたはずの記憶がよみがえるのは、時間を越えて、刻まれた、もしくは刷り込まれた過去を呼びさますからだ。経験が重層化するほど追懐は深まり、フィードバックして再び感動する。
伴侶から万博の話を毎日聞かされ、写真を見て、行ってもいないのに行った気分。何度も同じ話を聞かされたが、不愉快な話ではないのでゲップは出なかった。
総じて海外パビリオン・スタッフの熱意、創意に感心した。ボランティアも予想をはるかに凌ぐ数だった。経済的豊かさが熱意や創意に結びつくわけではない。先進国、発展途上国の別なく諸外国のスタッフの姿が浮かんで胸を打たれた。
10月13日の閉会式の吉村洋文大阪府知事のスピーチ。話の途中で泣きそうになった吉村さん。心がこもり、入場者、関係者、すべての人々に対する感謝の気持ちがみなぎっているように思えた。
小生は2005年に始まった古美研庭園班OB会(1年に1度)に10年連続出席した。仲間は全員いい人ばかりだった。なのに何か物足りなかった。急所に届かないのである。彼らは過去現在の心境について語らないことが多かった。
1年に1度しか会わないのに、酒をくみかわし、あたりさわりのない近況報告だけで時間が過ぎていった。感情をあらわにするのがイヤだったのか、気取っていたのか、知性と教養がじゃまして自己を語るのはハシタないと思っていたのか。
だが自然体でホンネを吐露する男性もいた。名古屋でOB会が開かれたとき、名古屋城からOB会会場への道中、約1時間20分、歩きながら交流のあった女性のことを語った後輩MY君。
親しい交流があったのに恋愛に発展しなかったのは、彼の消極性と思いやりによる。過度の思いやりは時に恋愛の障害となる。後悔という言葉は出なかったけれど後悔していたはずだ。
女性は彼の同期の男性と家庭を持った。その男性は率直でやさしく、晩年は貫禄も漂い、東海地方の大手テレビ局会長だったが、2021年12月、世を去った。訃報を知ったときのMY君の失意落胆は電話から伝わってきた。まるで夫婦が同時に亡くなったかのように、ビールを飲みながら泣きじゃくった。
胸のうちを語ってこそ親近の情がわくと頭ではわかっていても実行しない人間は多い。2022年10月、「お会いできるのは最後になるかもしれません、昔話でも」と言ってOB会の翌日、拙宅に学生時代の合宿や旅行の写真をいっぱい持ってきてくれた後輩がいた。
最近、OB会の案内メールに、「井上さんの第一回目開催(2005年OB会)に思いを馳ながら、原点の京都での開催」という文言を書き記す後輩もいた。世の中、捨てたものではない。
某局のアンケート調査では、2025年大阪万博入場高齢者で70年万博に行った人は60%弱。関西在住者は義理堅いというか、お祭り好きというか、長生きというか。次の万博も行くと言う60歳以上の在住者が多い。サウジアラビアは遠いが伴侶も行く気でいる。創る人の熱意は見る人にも伝わるのである。
45年くらい前のマニラ。民族衣装をまとうタガログ族の少女たち。快く記念撮影に応じてくれた。

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