あれはもう44年前、ポートピア81が神戸市ポートアイランドで開催されたのは。あのころピチピチの20代前半だったダイエー館コンパニオンの女性も60代半ばとなり、過去の追憶にふけっているかもしれない。小生はポートピア博へ3回しか行かなかったけれど、伴侶のアルバムでコンパニオン24名全員の顔と名前をおぼえている。
思い出すのは女性だけではない、ダイエーや広告会社大広のスタッフの男性6名も思い出す。記憶が完全に定着しても話題が尽きず、同じ話を何度きいても飽きない。なぜか。6名の人柄、ユーモア、熱意が伝わるからだ。
今回は最後の言及になると思うので男性の実名を記す。ダイエー館館長の海渡さん、広告会社「大広」から出向組でダイエー館副館長の吾郷(あごう)さん、大広の川勝さん、ダイエー社員で副館長の菱井さん、同社員でダイエー館支配人の井上さん、大広の野村さん(人名は年齢順です)。
痩身の海渡さんは見るからに温厚、実直、やさしい人柄でコンパニオン全員から慕われていた。ダイエー創業者・中内功氏から全権を任され信頼も篤かった。吾郷さんはダンディで美男。コンパニオン憧れの的だったのでは。菱井さんは気前がよく、仕事帰りのコンパニオンを何回かに分け寿司屋へ連れて行ってくれた。
みかけは体育会系なのだが、中身はコメディアンの川勝さん。陽気で楽しく話題のつきない人で、彼の周囲は笑いが絶えなかった。テレビのCM「ぼんち揚げ」(大阪で有名な揚げせんべい)に出演したこともあるとか。
同窓会で幹事(持ち回り)が「二年に一度」と発言したら、「二年先はわからない、来年やってもらいたい」と川勝さんが言った。翌年、幹事役の伴侶が同窓会案内状を出した。真っ先に返事がきたのは川勝さん。「あんなことを言ってまことに申し訳ありませんが欠席します」。
川勝さんの身辺に何かあったのだろうか、体調を崩されたのかもしれないと伴侶と話していたら、その後まもなく川勝さんの訃報が届いた。愕然としたのは伴侶だけではなかった。小生も落胆し、快活な川勝さんの笑顔が浮かんで消えた。
ポートピア博打ち上げ数日後の夕刻、中内氏が芦屋六麓荘の邸宅に関係者を招待した。コンパニオン22名(2名欠席)、館長など前述の6名が出席した。
すっかりできあがった菱井さんは記念写真でいつも通りきれいどころの肩に手を回し、ごきげん。自然体で笑う伴侶と対照的にKさんは、菱井さんの手があやしいところに伸びないよう掌を押さえる。ミスダイエーの目が笑っている。中内氏がカラオケのマイクを握っているとき、菱井さんは拳をマイクに見立て、満面の笑みを浮かべた。
カメラマンは支配人の井上さん。業務中でもカメラを携えていた。彼が八面六臂の活躍をしていなければ、あれほどの枚数の写真は残っていない。ひょうきんで、行動力にあふれる井上さん。
支配人という立場を利用、VIPルームに頻繁に出入りし、著名な芸能人とコンパニオンの記念写真を撮り続け、セーラー(当時の有名モデル兼タレント)が来ると、「ぼく、セーラー好きやねん」と仕事そっちのけで写真を撮りまくった。好き勝手に行動しても憎めない上司。
中学時代、卓球部に属してた伴侶に井上さんが「卓球せえへんか」と言い、出勤日早出の帰り、梅田の卓球場で互角に打ち合ったあと、寿司屋でご馳走になった。
当時、桂三枝のテレビ番組の横断幕を作ってくれと大きな白い布を渡され、自宅に持ち帰った伴侶は、岳父に依頼して筆で文字を書いてもらう。横3メートル、縦1メートルの布地に伴侶が文言を考え、「ダイエー館の星 井川直子」と記し、両側に赤いハートを描いた。
文字は岳父でハートは伴侶が描く。それをテレビ番組で持ったのは7人のコンパニオン。出演者選びは井上さん。大沢、荒木、上野、井川、辻、伴侶、坂東(敬称略)。ニュース番組、バラエティなど最も出演の多かったのは伴侶、次に多かったのは清水さん。
1982年6月〜8月に開催された「北海道博覧会」にダイエーのオムニマックスが上映されると知った伴侶は札幌に旅立つ。大阪ー札幌の機内に菱井さんもいた。2日後の札幌ー大阪の機内でも菱井さんに会った。北海道博のダイエー館で井上さんに再会。
伴侶には3人の井上がいた。もう一人は三菱自動車の鳥取支店社長、当時60代後半。ダイエー館のオムニマックスを痛く気に入り、取引先の知人、そのまた知人を引率し神戸博へ日参した。コンパニオン間で彼は有名となり、VIPルーム顔パスとなる。そうこうするうち伴侶が目にとまり贔屓にされた。
不定期におこなわれた同窓会だったが、支配人井上さんの同窓会欠席理由がわかったのは神戸市内の同じ区域に住むKSさんからの情報。道ばたで出くわしたとき、井上さんはげっそりやつれていたという。変貌に驚いたKSさんは言葉を発することができず、ほとんど黙礼だけで別れたらしい。その後、彼がどうなったか誰も知らない。
2013年10月、大阪の「花座」でおこなわれた同窓会に出席した海渡館長はその数年後ご高齢で亡くなられ、同席された菱井さんも後を追うように旅立たれた。吾郷さん、伴侶より1歳年下の野村さんは健在。故人も現存者もみな明るく、良い方ばかりだった。
自分の同窓会でもないのに、伴侶の話と写真でスタッフの面影が深く刻まれ、思い出すと懐かしさがあふれてくる。ダイエー館を見ずしてポートピアを語るなかれとまでいわれた伝説のパビリオン。伝説は彼らと共に生き続けている。
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