2025年12月20日    Kwaidan ラフカディオ・ハーン
 
 高校1年の夏休み、英語の宿題は美誠社刊「英語の構文と解釈」というハードカバーの本と、ラフカディオ・ハーンの「Kwaidan」だった。英語は得意科目だったが、厚手の参考書に興味は持てなかった。
「Kwaidan」は短い作品を集めており、授業で週に一度使っている「ロビンソン・クルーソー」の18世紀・古典英語に較べれば平易で読みやすく、「耳なし芳一」は子どものころに聞かされていたが詳細を知らず、英文で読んでおもしろいと思えた。
 
 「More than seven hundred years ago,at Dan-no-ura」ではじまり、「Heike crabs」(平家蟹)や「Oni-bi」の記述の見られる耳なし芳一は、読み物として10代の高校生でも興趣を添えられる。訳出困難な単語のないことも高校1年に向いていた。先日、「Kwaidan」英語版が届き、すらすら読めたので安堵する。
 
 「怪談」(1966)の「雪女」は映画でみた。「おゆき」を演じたのは、「君の名は」(1953)の真知子や「雪国」(1957)の駒子で有名になった岸恵子。「雪国」によって北国への憧憬、ロマンは高まっていくが、旅行ブームとまでは行かなかった。そのころの日本は貧しかったのだ。
 
 後年、「悪魔の手毬歌」(1977)で岸恵子は犯人役をうまくやっており、彼女の美貌はミステリアスで凄味のある役にも合っていた。
「yuki-akari」(snow-light)とか、「Ki ga areba,me mo kuchi hodo ni mono wo iu」(気持ちがあれば、目は口よりも多くを語る)とローマ字で記される。老人を殺しても、若者は殺すつもりで殺さなかった雪女。民話で語られる情け、慈悲はハーンの心に届く。
 
 1984年3月に放送されたドラマ「日本の面影」で、ラフカディオ・ハーンをジョージ・チャキリス、妻・小泉セツを檀ふみがやった。脚本は山田太一。
キャスティングは主演の二人をのぞき耳なし芳一を演じた小林薫はおぼえているが、ほかの演者を忘れてしまい、あらためて調べたら、伊丹十三、津川雅彦、加藤嘉、長塚京三、加藤治子ほかの錚々たる面々。明治期の雰囲気をかもしだせる役者がそろっていた。
 
 ドラマ「日本の面影」に触発され、「Kwaidan」を20年ぶりに読み返した。高校時代に較べて経験を積んでいるせいか、平家の盛衰に詳しくなったせいか、「耳なし芳一」が一番おもしろかった。人は栄枯盛衰の栄を懐かしみ、偲ぶ。権力の頂点にのぼりつめた平氏はなおさら。琵琶法師・芳一の名調子は落武者の亡霊をかきたて、涙をさそう。
 
 僧侶が芳一の身体にくまなく経を書いたけれど耳に書くのを忘れ、そのため亡霊に耳をもぎとられた芳一だったが、名医の治療のおかげで快方に向う。不思議な体験の話は遠くの町や村に伝わり、貴族も芳一の吟唱を聞きに来て、そのつど謝礼を得た彼は長者となる。ただし呼び名は芳一ではなく、耳なし芳一となった。
 
 民話として語り継がれる怪談は単に恐いだけでなく、その後に立ち直る人たちの寓話も織り込まれ、ハーンの実人生を想起させる。芳一の話は心に響いたろう。ハーンは片目しか見えないのだ。山陰地方を愛したハーンは怪談物語も、松江や出雲の風景も書き、可能なかぎり広く紹介したかったにちがいない。
 
 ところで、朝ドラ「ばけばけ」はヘブン役(ラフカディオ・ハーン)トミーー・バストウは問題ないが、主役の両親と祖父の会話シーンの馴れあいはコメディのヘタな三文芝居。特に祖父役・小日向文世のダイコンぶりは救いようがない。
北川景子と吉沢亮の芝居が上達し、やれやれと思ったのも束の間、北川景子はすぐいなくなった。共演者でうまかったのは堤真一、佐野史郎、伊武雅刀。だが主題歌「笑ったり転んだり」の歌手が粗雑、投げ槍で、ドラマとの距離が離れすぎている。主題歌は爽やかなほうがいい。
 
 怪談は昔の話、絵空事と思われるかもしれない。ところが、地方のお寺、公民館でおこなわれる子供会では、住職や世話役のイベントとしていまも語り継がれ、子どもたちは真剣に聞いている。
そして「首を切られた」とか「生首を取ってこい」ということばは戦国時代ではなく現代のサラリーマン社会に生きており、鬼火は鬼嫁や鬼親、鬼子として存在する。
 
 ラフカディオ・ハーン著「日本の面影」は機会があれば、「幕間」の「Book Review」で紹介したいと考えています。
 
       ドラマ「日本の面影」(1984)のラフカディオ・ハーン役ジョージ・チャキリスと小泉セツ役檀ふみ。


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