2026年1月8日    医心方

 
 「医心方」(いしんほう)は宮中に仕えた医師・丹波康頼(たんばのやすより)によって編纂、984年、朝廷に献上された医学書である。槙佐知子(本名・杉山多加子 1933−2023)が1974年、初の現代語訳に取り組み、1993年より2012年まで筑摩書房から随時刊行された「医心方(全訳精解)」は全30巻に及ぶ。そのうちの六巻までが1994年中に刊行された。
 
 1993年の初版発刊当時、1巻14000円(近年25300円)〜18000円(近年33000円)という価格は医学専門書にひけを取らず高額で、懐具合がよくなければ購入できない書。懐のさみしい小生が買ったのはそれなりの理由があった。
 
 「医心方の世界」(槙佐知子)に、「医心方は随唐以前の二百以上の文献から病気の治療法や養生法、医師の心得などをぬき出し、症例別に編集した、日本最古の医学全書といわれるものです」と記されている。
 
 小生の伴侶は平成3年(1991)ごろから重度のアトピー性皮膚炎に苦しんでいた。数年間に西洋医学、東洋医学を関西地方、関東地方、北海道の名だたる医院で診察を受けたが、どれも徒労に終わった。民間療法にたよりもした。
ワラにもすがりたい状況に陥っていたころ、「医心方」が随時発刊された。古代の書物に何かヒントがあるかも知れない。溺れる者の心理である。
 
 当時、世間の話題をさらったのは花粉症。槙佐知子は、「自然に医力あり」(筑摩書房)のあとがきに、「除草剤や排気ガスで痛めつけられたスギの葉は煎じると苦い。良薬だから苦いのではなく、木が苦しんでいるから」、「スギの葉を煎じた液の色はワインレッド」と記す。
1995年春だったと記憶しているが、NHKラジオ「朝の談話室」に出演し、花粉症を取りあげている。スギの花粉はオレンジ色、大量のスギ花粉が飛散した京都で、山火事とまちがえ消防車が出動したこともある。 
 
 ラジオ放送に初めて槙佐知子が登場したのは、1993年春、午前9時から50分、5日間の生放送。 医心方を語った。放送終了後、電話の問合せが殺到し、10日経過しても鳴りやまず。質問は多岐にわたったという。食べもの、病気、薬、禁忌に関すること。西洋医学ではカタがつかず、健康への関心度が高くなっていたのである。
 
 医心方全訳に取りかかった20年後、出版のめどがたたず、ドイツの言語学者(オットー・カロー)が彼女に会い、英国での出版を勧めたらしい。それが契機となって五巻の刊行基金の提供者があらわれ、1994年、筑摩書房が出版を引き受ける。
 
 「医心方の世界」の「長い夜の果てに」という章に、「いつ明けるともしれぬ一寸先も見えない闇の中で、じっと朝を待っていた。徒労とも思える果てしない研究。百本ほど削っておく鉛筆もたちまちちびてしまうと、二本の鉛筆をお尻で継ぎ合わせ、セロテープで巻いた。
そうしないと鉛筆削りにかけられないからだ。消しゴムは最後のかけらが滓(かす)になるまで使った。七年間で背丈を越す原稿用紙も使い果たし、手や指の形も変わってしまった」の文言を読んだとき、胸が熱くなった。溺れる者はワラをつかもうとせず、熱意と導きをつかもうとするのだ。
 
 1993年ごろまで野菜・果物について思ったのは、ビニールハウスや温室栽培で育った野菜・果物は清潔だろうけれど、味は淡泊だ。初夏の佐藤錦は甘いが、大粒のものは箱入りで売られ1万円。庶民のクチに入りがたく、高いばかりで日持ちせず、すぐ傷(いた)む。
 
 温室の化学肥料で生長した野菜・果物は抵抗力がない。行動力のない、もしくは曖昧な態度の人間におもしろみが欠けるのと同じで、屋内で育った野菜はうまみに欠ける。
講釈はしたくない、されたくないとしても、寒い時期に根菜類がうまいのは、植物は春や夏には葉っぱと茎、秋には果実、冬には根に養分が蓄えられるからだ。
 
 医心方の刊行前に「医心方の世界」、「くすり歳時記」、「日本昔話と古代医術」などが出版されており、それらを購読していなければ、「医心方」の存在を知らずにいただろう。
人間であろうと書であろうと出会いは不思議。槙佐知子の「大同類聚方」(だいどうるいじゅほう)についても紹介したいと考えています。大同類聚方の第一巻〜第五巻初版本(各々限定1500部 新泉社)も1994年ごろ購入、同年読了しました。

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