2026年2月8日    銀盤の記憶
 
 コルティナ冬季五輪がはじまり、注目のスピードスケート女子、カーリング女子、スノーボード男子などの競技はこれからだが、フィギュア団体に出場しているペア「りくりゅう」の三浦璃來選手は宝恷s出身。
 
 過去、宝怩フ公立小中学校に在籍した五輪選手は、三浦璃來のほかに飛び込みの寺内健、玉井陸斗(パリ五輪の銀メダリスト)がいる。
 
 寺内選手はかつて「パンネル」(宝恷sに数店舗)という名のパン屋の贔屓で、高校生のころ時々出入りしたらしい。パンネルは小生も30年来の贔屓なので応援した。
 
 パリ五輪ボクシング女子の金メダリスト入江聖奈選手は鳥取県米子市に実家があり、人柄の良さがにじみ出て、特に応援した。入江選手は現在も大学院でヒキガエルの研究をしている。
 
 女子フィギュア・シングルは過去、伊藤みどり、荒川静香、浅田真央など名だたるメダリストを輩出し、視聴者の目を釘付けにした。小生の印象に残るのは、バンクーバー五輪の浅田真央。
 
 ハチャトリアン作曲「仮面舞踏会」の音楽にのって、衣裳も振付け(タチアナ・タラソワ)もステップも最高レベル。冬のオリンピック競技の花はフィギュアという思いをあらたにさせてくれた。
 
 思い起せば冬季五輪に関心を持ったのは、1972年札幌五輪のスキー・ジャンプの笠谷幸生。金メダルは日本人冬季五輪初で、最長不倒距離ということばを耳にしたのも初めて。ジャンプで金野の銀、青地の銅と合わせて表彰台を独占、日の丸飛行隊と呼ばれる。命名したメディアは戦後27年たっても太平洋戦争の影を引きずっていた。
 
 小生は笠谷が勤めていた余市のニッカウヰスキーの味が気に入って、当時の呑兵衛が愛好したサントリーの角瓶、オールドではなく、下宿や自宅でちびちびやるウィスキーは、ほんのり甘味を醸す「ブラックニッカ」。
その後、アルベールビル、リレハンメルのノルディック複合で活躍した荻原健二ほかに釘付けとなり、1998年の長野ではスピードスケート500mの金メダリスト清水宏保、スキージャンプ・ラージヒルの船木和喜、原田雅彦に目を奪われた。
 
 フィギュア女子シングルで応援したのは、鈴木明子、中野友加里。スケートに対する姿勢は選手全員すばらしい、が、2名の真摯な姿勢はみる者を惹きつけ、特に中野友加里は五輪出場を果たせず、ほんとうに惜しいと思った。
 
 鈴木、中野は先達の村主章枝(すぐりふみえ)の優雅な滑り、荒川静香の巧みでキレのある演技をみて育つ。鈴木は大学に入学してまもなく摂食障害で著しく健康を損ない、1年以上練習できない状況に追い込まれる。しかし不死鳥のごとくよみがえった。
鈴木明子の復帰後のフリー演技曲は多彩で、「月光」、「タイタニック」、「黒い瞳」、「こうもり序曲」、引退前には「オペラ座の怪人」などすべての曲を自分の日常の音楽のように舞っている。
 
 荒川静香の金メダルで有名になったのはオペラ「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」。オペラを知らぬ人のあいだにもこの名曲が知れわたったことは、ある意味、荒川静香の金メダルに匹敵する。ドラマの背後に名曲あり。
 
 以後、羽生結弦、小平奈緒、宇野晶磨など氷上のスターが次々登場し、冬季五輪の見応え度が飛躍的に向上し、活況を呈する。そうした選手と同時代を過ごし、現在も現役を続けるスピードスケートの高木美帆。個人競技、女子団体パシュートでメダルを狙えるすばらしい選手。パシュートの先頭を行く高木美帆、うしろの2名と共にきれいな線をつくって進むすがたは絵のように美しい。
 
 数千時間の練習を積み重ね、わずか数分の勝負に賭ける力と美技に思いをはせると、選手の心理を模索せずにはいられない。五輪をめざし、最終目標はメダル獲得。外野席のメディアは記録だの記憶だのと理屈を言う。
 
 競技後のインタビューで選手がたまに解放感と言う。元オリンピック選手ならわかるけれど、一介の記者に理解できるはずがない。選手の練習量は想像を絶する。練習が目的化するほど練習を積み重ね、疲労は極点に達し、競技が終了してやっと解放される。解放もあり、達成もあり、ときとして虚脱もあるだろう。
 
 選手は孤高のハンターだ。虚空の獲物に向って銃を放つが、何度やっても弾は外れ、しまいには虚空に銃をぶっぱなす。弾が当たっても再び獲物を獲るため挑戦し、15年以上そういう行為のくり返しの末に高木美帆のような崇高な面立ちとなっていく。
競技も表彰台も練習時間に較べればほんの一瞬である。一瞬のために生活すべてを捧げているかのように見える。しかし一瞬は永遠である。
 
 数年後、もしかしたら数十年後、懐かしく思い出すのは、表彰台、メダルではなく、過酷な練習であり、身体の負担と精神の苦悩に耐えぬいた自分であり、一瞬の喜びではないだろうか。喜びを支えるのは苦悩であると気づいたとき、高木美帆選手のように崇高な表情になるのではないだろうか。
 
 冬季五輪のすばらしさに開眼したのは、1984年のサラエボ。ジェーン・トービルとクリストファー・ディーンのアイスダンスだった。ラヴェル作曲「ボレロ」を神々しい音楽だと感じたのは、トービルとディーンのダンスが神がかっていたからだ。ふたりは銀盤スポーツの美を見事に表現し、フィギュアスケートを冬季五輪の一種目から芸術に高めた。
 
 2016年、プロ野球の監督が言った「神ってる」をメディアが喧伝し、若者のあいだで流行語となる。「神がかる」の意だが、どこでもかしこでも、些細なことを「神ってる」と表現するのはバナナのたたき売り。ありがたみもなければおもしろくもない。
その手の流行語はすぐ飽きられる。流行を追う者はおおむね飽き性で、あるいは、古いとみなされるのがイヤで、また次ぎの流行を追う。
 
 2022年の冬季五輪が今生最後のオリンピックになるかもしれないと思った。2026年冬季五輪をみることができたのは余録だ。先を急がねばならない。
2月6日におこなわれたフィギュアスケート団体ショートプログラムのりくりゅうの演技は優美で、指先の動きにまで神経が行き届き、50種類以上の動きを数分にまとめ、あれよあれよの間に終わる絶妙の出来。選曲は小生の勉強不足で耳慣れない曲だったけれど。身長145cmか146cmの三浦選手は銀盤で踊ると芸容が大きい。
 
 今回のフィギュア団体ショートプログラム、三浦璃來選手の演技の一部で女子シングルのトゥクタミシェワを思い出した。2018年のNHK杯で紀平梨花、宮原知子に次ぐ3位だったが、大胆な表現力、挑発的な演技に度肝を抜かれた。
普通に腰をおろすのではなく、腰を落とし、脚を大きく広げながらすべる。三浦璃來選手は1回で時間も短かったけれど、トゥクタミシェワは長いし、何度かやる。ある種、官能的。
 
 三浦璃來選手の競技ペアで思うのは、シングルのジャンプは高く飛んで縦に回転しながら着地するのに対して、木原選手が高く放り投げ、横なりに回転しながら、もしくは遠く投げられて着地する。着地のさい踏んばる力、ひざや腰にかかる負担は想像するだけでゾっとする。足腰に金属バネはないし、スケート靴の底はナイフのようだ。ひざも腰椎も生身である。
 
 りくりゅうのフリー演技で解説していた高橋成美が、「ショートじゃないですよね。4分(フリー演技は約4分)とは思えない、あっという間でした」と言った。りくりゅうの流麗なスケートにみとれていたのだ。
解説者はかつて念仏を唱えていた。つまらなかった。選手のすばらしさを視聴者に伝えていなかった。リアルな解説者が次々あらわれ活況を呈してきた。選手と一緒に解説者も進歩する。高橋成美が象徴するように気取らない、飾らない。
 
 さらに思い出すのは2014年ソチ五輪の浅田真央。ショートプログラムでミスが重なり16位と大きく出おくれ、浅田真央ファンは落胆していた。フリー演技で彼女はラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」に合わせて踊る。振付けはタチアナ・タラソワ。
瞬時に10代だった天才ピアニスト、エフゲニー・キーシンの劇的な「ピアノ協奏曲第2番」がよみがえった。あのとき、コンサートホールは興奮の坩堝(るつぼ)だった。
 
 前日、打ちひしがれていた浅田選手が気迫に満ち、ジャンプをすべて成功させ華麗に舞うすがたは別人のようだった。ファンから、特にメディアからもてはやされた時期は長かったが、全盛期の浅田真央がフィギュア女子選手に感銘と勇気をもたらしたのではないだろう。
 
 2014年ソチでショートプログラム16位と追いつめられ、フリー3位と健闘し、総合6位まで這い上がった浅田選手だからこそ感動し、勇気づけられたのだ。伝説をつくったのは「仮面舞踏会」ではなく「ピアノ協奏曲第2番」である。
過去の収穫は時をへても実りをもたらし、試練が快感となる日を待っている。フィギュアスケートもスピードスケートも、銀盤のスポーツは台本のない卓越したドラマなのだ。

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