2019年3月11日    西行の時代 出家
 
 1140年満22歳の佐藤義清にとって出家は巣立ちでした。出家して歌に生きるほか選択肢はないと決意しました。出家にいたるさまざまな要因を考え、内奥に入ろうとしても解明できない謎は残ります。その人にしかわからない懊悩。さみしかったから世俗を避けたのかもしれないのではと思います。
 
 出家の理由より出家したことが重要です。出家しなければ私たちの知る西行は存在しなかったでしょう。大蔵省を辞めて作家にならなかったら三島由紀夫は存在しなかった。と記すと、やかましい人々は口々に言うかもしれません、三島と西行は全然ちがうじゃないかと。しかしふたりは官吏を退き創作活動に専念した天才です。
 
 鳥羽上皇の北面に伺候した義清(のりきよ)は主家・徳大寺実能を通して上皇に会う機会をもち、歌会に参加しています。
しかし歌会でほんとうの実力を発揮できたとは言いがたく、歌を詠むのに精一杯、「君が住む‥‥」と鳥羽上皇の住まいをありきたりの歌(「出家前」参照)にするだけで、才能のかけらも示せなかったのです。
 
 それでも徳大寺家は和歌の大図書館として貢献度は高かったでしょう。万葉、古今の歌集を知ることは和歌を学ぶ上で欠かせず、先達の業績に思いをはせ、彼らの心を感じとらねばなりません。
 
 その先に何が見えてくるのか。「西行花伝」の著者・辻邦生は、「私自身が現実を超え、美の優位を心底から肉化できなければ、この作品を書いても意味がない」(西行の時代 「待賢門院璋子(2)」)と述べています。
先達に学びなお自由自在。あるべきすがたを追究するには北面武士を辞し、佐藤家の家長であることも捨てねばなりません。季節が変わっても花は咲く。世が変わっても、地位がかわっても変わらない普遍の存在。森羅万象に同化する。出家といっても特定の宗門に帰属せず、着の身着のまま独り修行をする。いわば遁世。
 
 そのあたりの西行について、「家督を弟(仲清)に譲って遁世の歌人になったのは、むしろ自然のなりゆきであったろう。西行はそれが自分を生かし、追いつめられた魂を救う唯一の道だと思ったのである。
それは、『惜しむとて 惜しまれぬべき この世かは 身を捨ててこそ 身をも助けぬ』という鳥羽上皇に出家のいとま乞いをするときの歌に明瞭に表出されている」(「西行の心月輪」)と高橋庄次氏は記しています。
 
 西行の妻と幼い娘は尼となって高野山の西の山麓・天野に入ります。天野の西・荒川庄の北側・田中庄は佐藤家の所領(「西行の心月輪」は「白河院政期に佐藤家が徳大寺家に寄進したとも考えられる」と記す)です。西行の生き方は妻子の人生も変えてしまう。価値観とか時代とかを考慮しても西行は妻子を幸せにできない人間でした。
 
 西行研究に携わる専門家は、家庭人という立場から憶測して、罪悪感とか未練といった感情にかりたてられるのでしょうか、西行の行動をわがことのように錯覚するのでしょうか、西行は妻子を捨てたと書き記す。許しがたい行為というニュアンスです。
 
 弱冠22歳の青年西行に家庭人という感覚があったのかどうかきわめて疑わしく、かけ離れていたといえるでしょう。妻子を十分に愛していたか。妻女や幼子の側からみる彼はどうだったのか。彼女たちは短期間で彼を愛せたのか。夫を必要としていたのか。西行と妻女のあいだに愛を深めるほどの辛苦があったとも思えません。
 
 妻子が裸同然で投げ捨てられたわけのものではなく、生活権を奪われてもいない。佐藤家旧領において暮らしを保障されて生きるのです。尼というのは生活のすべてが尼僧という意味ではありません。
一日が読経三昧でないことは瀬戸内寂聴の例でも明らかです。そして西行の妻子だけがそういう暮らしを余儀なくされたわけではない。
 
 三島由紀夫の行動により妻子がつらい思いをし、三島が背負っていた十字架を抱きながら暮らしていたことは想像に難くない。事件の数年後三島夫人は早稲田大学文学部に学士入学しました。彼が妻子の将来をまったく考えなかったのでしょうか。大義を通すために妻子は捨てられたのでしょうか。
三島は決行直前に子息を京都へ伴い、八坂神社近くの定宿の仲居らと話しています。仲居の話によると彼はいつもの元気がなかったそうです。三島に妻子を捨てるという感覚があったのでしょうか、不明です。世間の常識にとらわれなかった才人というほかありません。
 
 西行出家2年後、藤原頼長は日記「台記」に次のように書いています。
「西行、もと兵衛尉義清なり。左衛門大夫康清の子なり。重代の勇士を以て法皇に仕ふ。俗時より心を仏門に入れて、家富み年若く、心に愁ひ無きも、遂に以て遁世す。人これを嘆美するなり」。
 
 学者専門家が研究をきわめても西行の経験をへなければほんとうのところをきわめるのは難しいでしょう。史料から得る知識が経験に勝ることはないのです。分析と想像は場合によって役に立つ。
西行のように生き、西行のように感じとるには、遁世以降徐々に彼が習得した感性と人間力を持たねばならない。雲の絶え間の月のごとくあらわれ、白虎のごとく去る。
 
 遁世が生かされるかどうかの目途はないとして、どこかで見切りをつけねばならない。人間の情を無視すれば出家はほとんど無意味です。青年西行はまだ後悔していません。後悔はもっと後にやって来る。後悔は経験の子なのです。              

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